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ぬれた髭から滴らない(偽日記18)

髭が伸びている。無職だと、髭がたくさん伸びる。髪も、伸びる。背も伸びて、手足も、からだのあらゆるが伸びて、いまや私は軟体の電柱のようだ。でも、これは引き伸ばすの伸ばすで、だから雨風に晒されれば、ぽきりといくつかの節に折れてしまうはず。

顔を洗う、髭に水がたまる。顔は、たいていの場合は水を跳ねるものだから、顔のまわりに水が溜まってなかなか滴らないのは不思議。今日はずっと部屋にいた。ずっと一人暮らしのアパートから出ないでいたのは、もしかしたらはじめてかもしれない。

ずっと部屋にいると、部屋しかないから、部屋がよくみえる。部屋の隅の埃の建築や、しがみついて下に落ちないシンクの水の模様、なにをいれていたのかわからない書類の束、部屋のなかで唯一動的な私という私だけの家具、空気の流れもよくわかる。眼がミクロにピントをあわせて、ベッドを広大な砂漠にしてカメラが回る。雑に丸まったタオルケットの山岳を目指して、親子が砂漠を歩いている。砂よけのローブの下まで覗いてやると、しかし親子というにはずいぶん歳が離れているのがわかる。片方はまだ16、7歳くらいの、張りのある肌の上にニキビ痕が目立つ。もう片方は、傷と見間違うような皺が顔中を、そしてみえはしないが全身を覆っているだろう年齢。ほんとうは親子ではなく、なにか、物語を孕んだ二人なのかもしれない。私にわかるのは、二人はまごうことなく旅人で、あきらかにこのまま進めば水不足でくたばるということだけだ。私は成人なので、さすがにベッドにオアシスをつくってしまうようなことはない。

オシャレな、間接照明みたいのが部屋にある。セックス、および読書用である。いまはもう使用用途が半分に減ってしまった。その、オレンジ色の光をつけたりけしたりすると、旅人ふたりは天変地異に驚いて、幼いほうが転んで砂を飲んだ。私は笑った。あまりにも早く過ぎ去る昼夜にふたりはこの世の終わりを勘違いして狂いだす。水も尽きる。私の髭からは、恵の雨はいつまで経っても滴らない。ふたりは倒れ、そのまま電球の明滅の月日に風化して骨になる。骨をみながら、ゴミ出しにいかなきゃと急におもいだし、外にでる。ちょっとだけ雨が降っていたのでパーカーを羽織ってフードで守る。ゴミを回収ネットに入れて、振り返ると大きな風が吹き、私は、やはり節からぽろぽろと折れてしまった。散らばった私たちは、まあ、人数が多い分にはなんとかなるだろうということにして帰路についた。中途半端にちぎれてつかえなさそうな私の分身は、あらためて回収ネットに入れておいた。悲鳴は明日の朝10:30ごろ収集車が来たら鳴り止むだろうから、そこまで困ることもない。

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