小説を書いたついでに……。

意図せず「イジメ」についての小説を書いたので、未だに思い出すイヤ~な経験と、自分の考えをここにまとめさせていただきます。

イヤな記憶は忘れづらい

小学生の頃はずーっといじめられていて、楽しい記憶なんて何一つとしてありません。母親は私がいじめられているのを承知で学校に通わせました。

いわく「イジメくらいで学校を休むなんて許さない」そうで、風邪でもひかない限り『休む』という選択肢は与えられませんでした。

学校に行けばバイ菌扱い、バカにされて見下されて、嘲笑の対象でしかなかったです。休んだ次の日にはクラス全員にものすっごくイヤな顔をされて、一人の人間として扱ってもらえなかった日々……。

帰ってきても兄弟に「友達いないんだって?www」「無口だからwww」とバカにされマウントをとられる日々……。親も親で「立ち向かえ」の一点張り。

これで自尊心や自己肯定感が育つわけがねえorz

「死にたい」、「なんで生まれてきた」、「生まれてきたくなかった」ばかりでとにかく小学生時代は生きる事が苦痛でした。

臭い・汚い・暗い

と、三拍子そろった⇧いじめられて当然の存在でしたけど、小学生の自分にそんな事分かるはずもなく「なんで自分がこんな目にあわなきゃいけないんだ!」といじめられる理由が本気で分かってなかったです。

今にして思えば親の言う事をちゃんと聞いて、毎日お風呂に入って、髪もちゃんと乾かして、歯磨きもして……ってごくごく普通の事をやっていれば良かったんですよね。

自分はこの頃からナマケモノだったんでそういう事をしてこなかったんです。そりゃ、いじめられるわ(笑)  完璧に自業自得!

でも、辛いものは辛い。理由があるからイジメても良いとは絶対にならない。(……自分が言うと説得力ないけど)

ましてや人のものを壊したり、お腹を蹴ったり、靴を隠したりして良いはずがない。

時代が時代なら……

自分はこの程度で済んだけど、今の時代はもっとえげつない行為が行われているんですよね。ネットはネガティブな使い方だって簡単にできるんですから。

自分が今の時代に生まれてたらと思うと、心底ゾッとします。悪い未来しか思い浮かばない。そういう意味では時代に救われたと言えますね。っていうか生まれてこないのが正解なんだけど……。

今の時代は本当に生き辛いと思います。

懐古主義じゃないですよ。ネットのおかげで垣根がなくなったというか、「いつ・どこで・ダレが・裏で自分を悪く言っててもおかしくない時代」になった――というか……。

友達だと思ってた子が、裏で自分の写真を、ご丁寧に住所や電話番号まで添付してばらまいてたって事も十分ありうる恐ろしさというか……。

人間の負のエネルギー・凶暴性・攻撃性が恐ろしい。

そして、それが原因で自○を選んだ子がどれほど多い事か

そういうニュースを見ると「こんな理不尽がまかり通っていいはずがない!」……って思うけど、じゃあどうすれば良いの?って話になるんですよね。

全ては親しだい

他人をいじめる子とそうでない子の違いは、私は『親』にあると思うんです。親の教育・立ち居振る舞いに。

「イジメなんかするんじゃないぞ」って言い聞かせるのも良いでしょうけど、そもそも『イジメ』って言葉がフワフワしすぎなんですよね。だから結局 言葉ではなく態度で教えるしかない(と思うのです)。

子どもが学ぶ対象って結局は『親』なんじゃないでしょうか?

子供が頼るのはどうしたって『親』ですから、良くも悪くも。

身近にいる『親』を見て・触れて・感じて学ぶのが子供だと思います。そして、成長してその子もまた『親』になる。

教育番組とか、学校とかはオプションみたいなもので、大半は『親』の振る舞いから学習すると思うんですよね。そこから物事の判断? 良し悪しを学んで成長していくのではないかと、私は考えます。

ただ、どうしたってイジメは無くならない

コンビニで走り回る子供とか見てると色々と考えます。そういう子の親って何故か傍にいない。親が子どもの傍にいないから、子どもも親の傍にいないのかな? 仮に注意したとしても本気じゃないし。

子どもに嫌われたくない親って一定数いますよね。少なくとも自分が見てきた『親』の中には何人かいました。――親の役目って一体何なんでしょうか。躾の施されてない子供ほど見るに堪えないものはないのに。そして同時に哀れにも思う。

子どもは親を選べない。それなのに子どもの良し悪しは親しだい。


それと最後に、よくよく考えたらイジメの加害者も今じゃ立派な『親』になってるって事実。そんな人が「イジメはよくない!」なんて言えるのかな。それともやっぱり忘れてるのかな、自分のした事。だとしたら複雑…

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