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定年退職後の私の日々(健康編5:持病はつらいよ)

 安倍首相が持病の悪化を理由に辞職することになったのは驚いた。2020年は歴史に残る何でもアリの年だが、我が国の首相が前回と同じ理由で任期前に辞めてしまうとは思わなかった。首相も大変だよなあ・・・。お疲れ様でした・・・。

 首相も大変だが、私も持病で結構苦戦している。以前にも記事に投稿したように、8年前に発症した腎臓系の疾患が今年の3月という最悪のタイミングで再発したからだ。

 この病気は結構ヤバイ。ストレスフルで、不規則で偏った食生活が中心の定年退職予備軍の連中は注意が必要だ。治療薬も副作用が強烈なのでかなりウンザリするが、まずは発症後の精密検査からしてかなりヤバイ。以前に、別のメディアで検査の内容を面白おかしく紹介したら「意外と参考になった」との意見があったのでここでも内容を共有したい。

1.腎生検はかなりつらい

 以下、8年前の私の苦難の経験内容である。「尿タンパク値が何だか高い・・・」みたいな自覚症状がある定年退職予備軍の方は参考にしていただきたい。正直、かなりつらい。

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 先日、『腎生検』という少々難儀な検査のため某大学病院に一週間ほど入院した。物心ついてから、初めての入院である。尿タンパク値が異常に高くなり、その原因が不明なため、『腎臓の組織を採取』して原因を探る必要が生じた・・というのが理由だ。

 人生における貴重な体験でもあり、また私と同年代の読者の皆さんも同じ運命になる可能性は十分あると思われるので、参考までに以下にレポートをしたいと思う。

パート1:『まあ、楽勝だな・・』

 某大学病院の受付に13:00に到着。大学病院までのバスを間違ってしまい、時間を大幅にロスする・・というアクシデントはあったが、手続きは粛々と完了。さすが、大学病院はシステマティックだなあ・・と感心しつつ病室に向かう。

 この病院の病室はグレード別に、個室タイプA→個室タイプB→差額ベット4人相部屋タイプ(約5,000円+)→通常4人相部屋タイプとなっている。私は、個室タイプBであった。当初は4人相部屋タイプの予定だったのだが、そこに急遽予定外の人院があり、はじき出された私に相部屋価格で個室を使わせてくれる・・・ということになったらしい。

 これはラッキーである。病室は最上階で景色もバツグンであり、なんだか高級ホテルに宿泊しているような気分だ。しかも若い看護師さんが、『困ったことがあったら何でも言って下さいね!』なんて、優しく笑顔で言うものだから、すっかり極楽気分である。

 最初の検査は、少々心配していたCTスキャン検査。しかし、何の苦痛もなく終了。点滴で撮影剤を体内に注入するのだが、体が若干ポカポカするくらいで全く問題は無し。一番恐れていたのは胃カメラ検査の実施であるが結局実施せず。私は『胃カメラ検査恐怖症』なので、これでいっぺんに気が楽になった。

 18:00からの夕食も予想を大きく裏切りかなり美味。『こりゃあ、楽勝だな。へへへ・・』と、期せずして舞い込んだ休日を楽しむがごとくのルンルン気分で21:00に眠りについたのである。

パート2:『あのですね・・・、痛いんですけれど・・』 

 入院2日目も気分良く6:00に起床。シャワーを浴び、夕食同様に美味な朝食を食べ、後は病院内に併設している本屋で購入した文庫本を読みながら検査を待つ。なにせ、『胃カメラ検査』を回避できたのだから、もう怖いもの無しである。『入院までして、全く大袈裟だよなあ・・』なんてつぶやきながら、ひたすら検査時間を待つ。

 そしていよいよ12:30に検査開始。まずは点滴をセット。『何で、点滴されるの?』と聞くと、明日の昼までずーっと、この状態とのこと。ここで、少々不安がよぎる。しばらくの間ベットに横たわっていると、検査担当の医師が登場。『大体、1時間くらいで終了しますから、頑張って下さいね』とか言われる。

 1時間? 10分の間違いじゃないの?頑張るって、何を頑張るの? と、不安が更に大きくなる。言われるままにうつ伏せとなり、そのままの姿勢で待機。その後、アシスタントスタッフ2名と共に、超音波エコー装置が搬入されるが、ここでアクシデント発生。装置のプローブと称するアタッチメントが認識されない・・らしい。

 何だかハードディスクが認識されない・・みたいなことのようだ。こっちはうつ伏せのままなので詳細が良く把握できない。担当の医師は『変だなあ・・。こうかな?あれ、動かないなあ・・。こうかな・・(ボキ!)。・・・あれ!まずい。ちょっと、これまずくない?うーん、代わりの取りに行ってくれない?』・・みたいな事を言うのである。

 オイオイ、大丈夫かよ?・・・と更に不安は高まる一方である。そうこうしているうちに、プローブとかいうのもどうやら認識されたらしく(何だかなあ・・)、いよいよ検査開始かと思ったら、なんと着替えと消毒を開始する・・と言うのだ。

 おもむろに着替え始めた彼らの作業着は、あのブルーの手術着そのもの。たかが検査なのに、貴殿達の服装は一体何なのですか? 大袈裟過ぎやしませんか? 冗談はやめてください・・。

 不安はグングンと高まる。加えて、消毒作業に合わせて、私の上には次々に布が被せられるのだ。しかも、その布は腎臓の部分だけが開いているのである。何なんだ・・。これではほとんど外科手術ではないか・・・。

 この段階で不安は一気に恐怖に変化する。脈拍数は上がり始め、呼吸も荒くなってくる。『さあ、始めましょう!!』と医者は明るく言うが、こちらは既にビビり切ったオッサン状態と化している。もう、全身に無駄な力が入りまくりである。

 最初に麻酔注射を打たれる。チクとはしたがそれほど痛くない。良かった。助かった。神様ありがとう・・と思ったのも束の間。第二弾の麻酔注射を打たれる。第二弾は第一弾とは全く違う感触であった。何だか太く尖った物が、背中からズンズン挿入されてゆく。何とも表現できない不気味な痛みを伴う感触である。

 これはマズイ・・・と思った瞬間、明らかに腎臓近傍にこれまでの人生で経験したことがない類いの痛みが走る。『あのですね・・、痛いんですけれど・・』と心で叫ぶ。これはマズイぞ・・・。情けないことに、既に半泣き状態である。

 どうやら、麻酔注射は第二弾までのようで、いよいよ腎臓組織の採取である。採取方法は石油掘削のパイロットボーリングのようなイメージであろうと、勝手に想像していた。したがって、麻酔注射であの騒ぎなのだから、どんなことになるのか?この時点で、既にビビり切りの全泣き状態である。全身に力は入りまくり、じっとりと汗が出始める。

 医者は超音波エコー装置を駆使して、掘削位置を探索している。彼の『うーむ。深いなあ。やっかいだなあ』の一言で、私は数分後の自分の運命を瞬時に悟った。医者は、『じゃあ、挿入しましょう・・・』とスタッフに言うと、どうやら採取機器を私の背中に挿入している(らしい)。

 もう、アワワワワワ・・・状態である。息が苦しい。医者は『ウーム。深いな。もう一回だな』と言う。そうですか?もう一回ですか・・・。やさしく、お願い。痛くしないでね・・・、先生。・・・先生、先生、それは先生ぇぇぇ。もう、ヤケクソである。

 結局、この作業が計6回繰り返された。私の背中の皮下脂肪が厚いらしく、通常より採取が難しかった・・というのが原因である。事前に言ってくれれば、しっかりとダイエットして絞った体で検査を受けたのに、まさに後の祭りである。採取作業終了時には、既にヨレヨレで息も絶え絶え。

 ちなみに、最長掘削距離は約12cmとのこと。これを聞いた瞬間に失神しそうになる。

 まだ、何かされるはずだ・・・とすっかり疑心暗鬼になっていた私だが、幸いにして作業はこれで完全に完了したようで、医者達は既に撤退作業を開始していた。撤退は驚く程、早かった。傷口まわりにテープをベタベタ張られて仰向けの状態となり、採取作業は終了となった。

パート3:『・・・横を向けるなら、死んでも良い』

 茫然自失のまま天井を見つめていたが、徐々に安堵感が芽生えてきた。何とか助かった。あとはひたすら寝て、この恐怖体験を忘れ去るのだ・・とばかり、必死に寝ようとするのだが、昨夜はリゾート・ルンルン気分で惰眠を貪ったせいで、全く眠くならない。

 そうこうしているうちに、徐々に背中と腰が痛くなってくる。何せ、寝返りどころか、横を向くことさえ禁止状態である。これは、キツイ。眠りたい・・、でも眠れない・・状態と格闘すること4時間半。やっと、18:00に夕食である。既に、背中、腰は耐えられない程痛い。夕食時には30度程度ベットを起こすことが許可される。

 しかし、ほとんど焼け石に水である。必死の形相で夕食を食べる。美味なのが唯一の救いだ。

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 夕食後、またひたすら仰向け状態で背中、腰の痛みと闘う。つらい。本当につらい。これ。しかも、1/10の速度で進行しているのではないか?と思われるくらい時間の進みが遅い。痛い。『・・横向けるなら、死んでも良い』と思わず心で叫ぶ。そして、この状態が翌朝6時まで続いたのである。

パート4.『個室で良かった』 

 検査(・・正確には採取だな)の翌朝6:00まではほとんど身動きが取れないという地獄の時間を過ごした訳であるが、身動きは取れないとはいえ当然尿意はもよおすのだ。じゃあ、どうするか?溲瓶を使うのである。

 難しい漢字であるが『シビン』と読む。昔シピンって野球選手がいたな。人生初めてのシビン。ウフフフフ。深夜3時にシビンでオシッコである。美人の看護師さんが、『手伝いましょうか?』などと・・・言うのだが、妙齢の美人の看護師さんに深夜3時にそんな事をお願いしたら男のプライドも何もあったものではない。

 本当だ。本当にそれは無理なのですね。失礼の無いように看護師に退室いただき、自分で尿採取を試みたのだが、何せ初体験の深夜3時の溲瓶である。結局、若干ながら漏洩しましたね。もう、深夜3時に溲瓶でグチュチュ、ニュルニュルである。個室で良かった。

パート5:『愚か者。それでも男か!!耐えるのだ』

 シビン初体験も散々な有様で、失意のどん底で天井を見つめていると、遂に担当医師が登場。腎臓の具合を確認して経過が良好ならば、寝返りどころか立ち上がることすら可能だと言うではないか!!腎臓の状態を確認するのは、先般からおなじみの超音波エコー装置である。今回はプローブは即座に認識されたようだ。

 医者はテキパキと作業を行う。そして、経過が良好だということで、無事自由の身になれたのである。苦節、18時間。長かった・・。ここで、思わず泣く。

 よし、これで俺の天下だ・・・と思ったのだが、、まもなく次の苦難が降りかかることが看護師長様から告げられる。『4人部屋が空いたので、午後にそちらに移ってくれ』と言うのである。

 『何だよ、それは!!』と文句を言いたいところだが文句は言えない。悲しいなあ。午後2時に追い立てられるようにトボトボと4人部屋に移動する。移動係のオバチャンの手際の良いことには驚愕した。

 四人部屋には既に他の患者が3人居た。どうやら、左隣のオッサンはその日の朝に私と同じ運命をたどったようだ。私のお気に入りの美人看護師のWさんに、『あのですね・・・。腰と背中が痛いんですけれど・・』と泣き言を言っている。

 『愚か者!それでも男か!耐えるのだ!』と偉そうに心で叫ぶ。そのオッサンは結局は耐えきれなかったようで、その後に鎮痛剤を処方していた。それに比べると、私は我慢強くて偉いなあ・・、と妙な優越感に浸りながら、夕食をボソボソと食べるのであった。

パート6.『爺さん・・、頼むよ・・』

 夕食後はすることはない。左隣のオッサンは相変わらず、ウンウン唸っている。たまに、屁もこく。『うるせー』と心で毒つく。前日と比較すると身動きができるだけ天国のような状況であるが、さすがに前夜からの疲労は濃い。眠い。しかし、悲しい事に眠れないのである。

 何故か?右隣の爺さんが異常に騒がしいのだ。年は79歳とのことであるが、この爺さんはめったやたらと看護師を大声でこう呼ぶのである。『ちょっとー、凄いんだよ!!』。何が凄いのかというと、彼曰く。『尿の貯蔵量』が凄いのだそうだ。そうですか・・。尿が貯まったのですか・・・。

 でもね、15分毎に大声でお知らせしなくても良いのではないでしょうか?・・とサジェスションしたいが、じっと耐える。しかも、この爺さんはナースコールボタンを押さずに、彼の肉声でナース・ステーションまで彼の尿の貯蔵量についての状況を伝達するのだ。この状態が深夜3時まで続く。

 『爺さん・・、頼むよ・・・。お願い、静かにして・・・』と心で叫ぶ。翌日も、その翌日も『ちょっとー、凄いんだよ』が延々と繰り返されたのだった・・・。こうして、私の初入院は悲惨な体験とともに終了したのである。