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『この国を出よ』を読んだ感想•要約など。

こんにちは。私はVann(ヴァン)という会社の代表をしているのですが、会社のテーマ「境界線を深耕する」の境界線のひとつは、国境だよな、というのを常々意識していたりします。

何が言いたいのかと言うと、海外のマーケットに出て行くのは必然、そして私自身の情熱が灯る夢でもあるのだな〜と最近あらためて感じるのです。

そんな折に手にとったのが本書『この国を出よ』。大前研一 氏と、ユニクロの柳井正 氏の対談本です。もう12年も前の話ですが、特に気になった箇所を3つ抜粋して備忘録noteにしたいと思います。

日本のバブル経済がピークに達した1989年当時、中国のGDP(国内総生産)は九州とほぼ同じ規模でした。

こちらは大前研一 氏の発言。今ではGDP2位の中国が、かつて九州と同じ規模だったとは。すさまじいまでの急成長に驚きます。

「GDPの成長だけが成長ではない」「資本主義的な成長の発想だけではなく、数値化できない成長もある」みたいな話は脇に置いておいて、グローバルで見るとGDPですさまじい成長をしている国が近くにある。これが事実だということを、ひとまず頭に入れておきます。

自分の国にチャンスがなければ国外へ出る。

すこし長いのですが、大前 氏の発言を引用します。

「自分の国にチャンスがなければ国外へ出る」

これが洋の東西、時代を問わず、人間を突き動かしてきた本能というものです。国や民族、宗教の違いが常に緊張と対立を生み、戦争を繰り返してきたヨーロッパやアジアなどでは、生きるために母国から飛び出すことは日常茶飯事だったと言ってもいいかもしれません。

一方、日本は島国という地理的条件もあり、外敵の難から逃れて海外に脱出する経験は幸いにもありませんでした。これが日本民族に「いざとなったら国外へ」というDNAが刷り込まれなかった原因かもしれません。しかし歴史を振り返ると、この約150年間に日本人が海外に雄飛した局面が3回あります。
出典:『この国を出よ

この150年に3回の海外雄飛とは、以下の通り。

  • 幕末から明治時代半ば

  • 日露戦争に勝利した1905年から大東亜戦争に突入するまでの期間

  • 敗戦直後

いずれも何らかの切迫した事情によって、日本を出て海外に飛んだ先人たちがいました。ただ、地理の話にも触れられていますが、確かに島国で天然の要塞とも言える地理環境にある日本。よほどのことがない限り、国を出るという選択肢をとりづらい環境だと言えるでしょう(裏を返せば、それだけ恵まれているとも言えます)。

日本人は情緒的な民族でロジックが苦手な半面、繊細な美意識など感性の面で優れています。

最後は、柳井 氏の発言。日本人は、ロジックは苦手だけど、感性はあるよね、といった話です。こう話は続きます。

(日本人は)洗練されたものや本当に良いものを見分ける目を持っています。例えば、マニュアル化しにくい〝おもてなし〟の文化などをアドバンテージとして活用すれば、付加価値はもっと高まると思います。
出典:『この国を出よ

本書は一貫して「いまの日本ダメ。世界を見なさい、国を出なさい」といった話ですが、日本人のことを褒めている希少な箇所がこちらです。

確かに、たとえばN.Yで発展めざましいラーメン、あとは抹茶など、食の分野において活躍する日本ブランドはよく耳にしますよね。審美眼・感性・おもてなしなどを組み合わせたサービスは、世界でも通用することの証明ではないでしょうか(あと古くは寿司でした。話はそれますが、アニメのように異なる文脈でも、日本が誇るカルチャー・サービスはたくさんあります)。

感想というか、よもやま

「世界に出た方がいいのかな」のような曖昧な感覚でいるわけではなく、「世界に出ていくためにどうすればいいか?」と考えているので、正直、発破をかけられても響かなかった自分がいます。

それに、実際に世界に出ていない私は良いアウトプットがなくて、noteを書いていて中身が薄いなあと(ここまで読んだあなた、すみません)。

実のある話を、実体験をもってnoteに書ける日を自ら心待ちにしたい。こんな願いでもって筆(というかMacのkeybord)から手を離すことにします。それでは!

ありがとうございます!好きな本を買うか、旅に出ます。