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8月のセレナーデ

8月になった。酒を飲んだ帰り道、歌う。
スガシカオの8月のセレナーデ。

もしも君がいなくなってしまったら
例えば猫や芋虫になってしまったら

恋人の喪失を想像する。ラブソングとしては不思議な出だしだが、そのあとはもっとスガシカオ節が炸裂する。

メソメソと泣くよ
でもそのうち都合のいいネタにしてしまうかも

わかる気がする。ひとりの恋人を深く愛しながら、いなくなったときのことを想像するとちょっと楽しみな気持ちになる。リアル。
そしてサビで畳みかける。

ねぇだから今日はそういつもより
長い電話をしよう
なんとなく君にうしろめたいから
優しくふるまっておこう

想像しちゃってごめんね、という気持ちを、ちょっと面倒くさいときもある長電話で罪滅ぼしをする。こんな歌詞を書ける人はスガシカオしかいない。
そして2番がもっと強烈。

もしも君と友だちになっていたら
知ったふうな顔で助言してくれたなら
僕は涼しい顔で
利用するだけしてゴミ箱に捨ててしまう

異性の友だちなんて、所詮そんなもの。恋人じゃなかったら、あまりに軽く、無慈悲。知ったふうな顔で助言してくる、特に役に立たないちょっと苛立つ友だち。リアル。リアルすぎる。

ねぇだから今日は散歩に行こう
誰もいない夜のまち
月の光でたいていのことは
美しく見えるから……

なんちゅう。スガシカオといえば、その名を世に知らしめた「黄金の月」、「夜空ノムコウ」。まるで自分の代表曲をさらっと皮肉っているような受け。
そして、美しいメロディーとスガシカオの透明な声、余韻を生むエコーで、この歌詞ながら、きちんとラブソングのていをなしている。

つまりは、あのころのスガシカオは最高だったし、青春時代をスガシカオと一緒に過ごせて本当によかったと思うのだ。



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