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器用だったのは勘違い

細かい作業をコツコツこなす。
こういう人は、一度は器用だねって言われた事があるはず。わたしもその内の一人。

そっか、わたしは器用なのか。


学生時代、スポーツが苦手なわたしは、モノづくり、絵を描く、そんなことばかりしてた。

お世辞とはいえ、色んな人が器用だ器用だと褒めてくれる。
器用とはいい響き。

特別エリート器用ではないけれど、並の器用でも充分。


…と、ここまでは順調に見えるわたし。
だけどそれとは別に、上手くできない、上手くやれないこともあった。

自分の感覚が周りの人達と違うことへの違和感。
実は幼少期からあった。

今は、みんな違ってていい風潮だけど、
若かった学生時代のわたしには、この感覚がネックだった。
友達作りが苦手で、グループに入るのも苦手。
自分の意思表示や、大人になってからの仕事への向き合い方にも影響していた。

なんだか、生きづらい…
気が落ち着かない、頭がパンクしそう。

そんな思いのまま、この歳まで過ごしてきた。


気づけば、頭の中の引き出しがあちこち開きっぱなし、散らかりっぱなし。
片付けようにも、足の踏み場もない。
片付ける場所も見つからない。
外部から、さらに色んな言葉がやってくる。
わたしはどこですかー?
どこに埋もれてるの?

器用なはずなのに…。
上手くいかない。
器用にこなせない。

オンオフの切り替えができず、考え始めると頭が休まらずずっと活動していた。
いわゆる不眠。

モノであれば上手くできるのに。
ぶきっちょだな、わたし…。

ぶきっちょ?

なーんだ、わたし不器用なのか。


その事実に気づいたのはここ一年ほど。
四十数年、知らずに生きてきた。
だけど不器用って言葉、なんだかしっくりくる。
生きづらいという言葉より、しっくりくる。

自分に向けられる言葉が
自分の姿だと勘違いしてたなんて、わたしらしいな。








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