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政治について語る時、僕が気をつけること

僕はいわゆる作家という職業についている。話をつくり、絵を描き、文章を書く。それを16年間続けている。すごく売れたことはない。だが筆を折るほど困窮したこともない。ほどほどの、ちょうどいい作家生活を送っていると言ってもいいだろう。

そして僕はいわゆるSNSというもので発信をしている。作品の告知、きのう見た夢、今日のおやつ、それから日々流れてくるニュースについて。最近はこのようなご時世だから、新型コロナウイルスのこと、それにまつわる政治のこと、またはそれに隠れるようにして進められる政治のことについて、少し多めの分量で発信をしている。

それは今年に限ったことではない。政治がちょっとおかしくなる時…それはあくまで僕の感覚で言えば、ということなのだが…僕はいつも政治を話題にしてきた。2011年から今のアカウントで発信をしているので、かれこれ9年近く。

最初の頃はまだTwitterのユーザーが少なかったから、これといった批判はなかった。しかし2014年頃からだろうか、少しばかり負担に感じるようなリプライが増えてきた。僕は元来、タフな性質ではない。しかしあきらめがとても悪い。どうしたら煩わしさを減らしながら発信を続けられるだろうか。今から書くのは、僕が臆病で頑固なままでい続けるために考え出した「政治的な発信をする時に気をつけていること」である。参考にしてもらってかまわない。しかし、これをすれば大丈夫だというお墨付きを与えるものではない。この世に完璧な対策など存在しない。完璧な絶望が存在しないように。

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・デマを広めない
政治にかかわらず、あらゆる情報のごく一部はデマゴーグだ。一見信憑性の高そうな情報でも、僕は細心の注意を払って…たとえば、ギョウジャニンニクの山にまぎれこんだイヌサフランを探すように…デマかどうかを考えるようにしている。少しでも怪しいなら、待つ。1日半ほどで賢明な人々によって情報が追加される。ただデマを見分けることは本当に難しい。これだけ気をつけていても、先ほど僕はイミテーションの写真を「カモノハシの赤ちゃんかわいい」とツイートしてしまった。やれやれ。

・リプライを返さない
ツイートには、肯定的なリプライも否定的なリプライもつく。しかし政治についてのツイートの場合に限り、僕はどちらにもめったにリプライをしない。なぜなら僕は議論を目的としていないからだ。リプライをすることにより、議論するつもりがあると誤解されてしまうことは避けたい。

・反論は3日待つ
しかしどうしても、反論したくなるリプライが来ることもある。僕は特に、僕が言ってもいないことを言ったように書かれた時に反論したくなる。しかし、いつもそこをぐっとこらえて3日待つことにしている。それは自分の生活を守るためだ。反論ツイートをした瞬間から、それに対するリプライを待つ臨戦状態が始まる。そんな気分で、とても穏やかに暮らせない。それにたいていのことは、3日経てばどうでもよくなる。3日でどうでもよくならないくらい許せないものなら、反論しようと思う。しかしそういうものは実はほとんど存在しないのだ。完璧な絶望が存在しないように(二回目)。

・先手のブロックをする
残念なことに、名誉を毀損する目的で引用リツイートをするのが好きなユーザーもいる。引用リツイートはTwitterの仕様なので、するなと言ってもしかたがないし、されてしまったら解除もできない。なので僕は、そういったユーザーを謹んでブロックしている。世の中には互いに近づかないほうがいい関係というものも存在するのだ。テイラー・スウィフトと、カニエ・ウェストのように。

・気負わない
ある出来事について問題意識が高まると、それについて触れた自分のツイートもぐんぐん伸びる。2000、5000、1万と数字が膨らむと、発言者として期待をされているような気がしてくる。自分が発言することで、問題の解決に少しでもつながるのではといった心持ちにもなってくる。しかし、ツイートは打ち上げ花火だ。下から見ても横から見ても、花火は花火だ。その閃光は問題を照らす。しかし問題自体を爆破することはない。花火大会は一夜限りだ。気負って毎日打ち上げようとしてはいけないと、僕は折に触れて自分を戒めている。

・ふだん使いの言葉を用いる
あまりにもひどいことが起きた時は、強い言葉を使いたくなる。たとえばこれはあくまで一例だが「絶対に許さない」「卑怯者」「チキン野郎」「アホノミクス」などだ。強い言葉は遠くまで飛ぶ。僕のことを知らない人のところまで飛んでいく。彼らにとって僕が「チキン野郎と言う人」ってことになるのは、少しばかり悲しい。それに1週間くらい経ってから見返すと、自分でもびっくりしたりする。だから僕は、ふだん使いの言葉を用いる。その範囲内で、できるかぎり婉曲的に、強い言葉と同じくらい強い気持ちが伝わるような言葉を選ぶのだ。

・リツイートしやすさを意識する
僕が発信するのは、僕が思っていることを大勢と共有したいからだ。大勢と共有するためには、リツイートをたくさんしてもらうことが大事だ。「ふだん使い」でも話したように、強い言葉や怒りがもろに出ている言葉は、瞬発力があり一気に遠くまで飛ぶ。しかし、強い言葉を好む層にしか刺さらない。気の優しいフォロワーの人たちがリツイートボタンを押すことをためらうような投稿は、結果として多く広く拡散される可能性を狭めることとなる。また、論点が混み合ってごちゃごちゃしているものも、リツイートしたい気持ちを削いでしまう。長文を小分けにツイートするのも、あまり好まれない。どんな人にとってもわかりやすく受け入れやすく、数日経っても古くならず、そして何よりシェアしたいと思わせるような言葉選びを僕は心がけている。

・暮らしの情報をはさむ
動乱の時期でも、一日じゅうそのことばかり発信している状態にはならないようにしている。第一に疲れてしまう。第二に、「ご意見番」「そっち側の人」などのレッテルを貼られやすくなってしまう。レッテル上等と言えればいいのだけれど、僕はレッテルがあまり好きではないのだ。なので、政治についての発信の合間合間に、不要不急の暮らしの情報を発信している。そうすることによって、レッテル貼りが大好きな妖精の出鼻をくじくことができるのだ。彼らは僕のツイートをざっと見て、「なあんだ」と言って帰っていく。それに暮らしの情報だって、僕にとって大事な、大勢と共有したい事柄なのだ。

・メディアに使われにくくする
作家や著名人は、許可なくツイートをニュースなどに使われることがある。ある程度は仕方のないことなのだが、それはちょっとした面倒を生むことがある。吉良吉影のように静かに暮らしたい僕としては、できれば避けたいのが本音だ。なので、この話題はメディアが使いたがっているものだな、と予測できる時には、使いにくいツイートを構成するようにしている。たとえば、絵文字を乱発する。固有名詞をぼかす。何かを言っているようで言っていない曖昧な表現にする。その問題について賛成なのか反対なのか判別しにくい言い方にする。とにかく、使いにくいから今回は見送り、と判断されれば、僕の勝ちだ。いや、勝ち負けではないのだけれど。

・悲観的な言葉を記さない
昨日脱いだパンツを今日履き直す者がいないように、昨日の気分を今日の気分にあえて上書きする人はいない。「この法案が通ったら日本は終わりだ」「もはや海外に脱出すべきだ」「地獄の始まり」「死んだも同然」、そんな気分になることは僕だってある。だけど、24時間悲観的になっているわけではない。食事をして風呂に入り、ぐっすり寝て起きたら「今日も楽しい一日が始まるぞ」と思う。そうして明るくなって筋トレなんかしてる間にも、前の日に放った悲観的な言葉がじわじわとリツイートされていく状況は…やや気取って言うならば…カンファタブルなものではない。だから僕は、なるべく悲観的な言葉は記さないようにしている。

・複数の視点から確認する
一部の限られた読者にむけて記す文章(例えば若者だけが読むファッション・ブックに綴る800字の小洒落たエッセイのように)では書けることも、あらゆる属性の人に届くTwitterでは書けない、ということは往々にしてある。自分にそのつもりがなくても、だれかを馬鹿にした表現になってはいないか、常に気をつけることが大切だ。作家ならではの想像力を駆使し、常にアップデートを欠かしてはいけない。ちなみに僕は以前、繁殖期のカラスが凶暴であることを嘆いたら「カラスだって必死に子育てしている。その発言には失望した」といったようなことを言われた経験がある。これはカラス側に立つ人の気持ちを想像できなかった僕の失態である。

・吐露しない
「クソリプうざい」「誤解されて悲しい」こういった吐露は、一部の人たちを喜ばせてしまう力がある。そしてその人たちはこう切り返してくる。「だったらTwitterやめろ」。わかりきったことなのだ。しりとりで、りんごのあとがゴリラになるように。僕は無意味なダンスは踊らないし、つまらないやりとりに興味はない。だからクソリプを招く吐露はしない。なお、読みちがえないでほしいのだが、このテキストはしりとりにおいてりんごのあとがゴリラになる流れを否定するものではない。

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以上、12の「気をつけること」をここに書き記した。ひとつ言っておきたいのは、僕は発信する側がここまで過敏にならなければいけない現状を本当に煩わしく思っている。自分の対策を書き記してはいるが、発信者を叩くことを追認する意図は一切ない。法律が、人々の意識が、テクノロジーが、この煩わしさを消し去ってくれる日を心待ちにしている。その時まで、僕はこのやり方でしのいでいこうと思う。ドッジボールで飛んできたボールをキャッチできないから、ボールを機敏に避ける技を身に着けた子供の頃のように。

そして最後に。僕の読者はわかっていることだが、僕は40歳の女性だ。このnoteの一部が切り取られ、マンスプレイニングされる事態をあらかじめ避けるために、男性がよく使う一人称を用いている。文体がやや村上春樹テイストなのは、単純に僕という一人称に引っ張られてしまったためだ。村上春樹ファンの方々には、お詫びを申し上げたい。やれやれ。

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気ままに書いたnoteはこちらにまとめておきます。

コメント (2)
ちょうど村上春樹の本を読んでたからシンクロを感じた(クソリプ)
ギョウジャニンニクとイヌサフランを検索しました。なるほどよく似てる。滋養と毒性。滋養を求めて飛びついたら毒で倒れるという引用が面白いと思いました。他いろいろ頷くことが多かったです。
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