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ある編集者との、ささやかな思い出について。/書かないよりは、まし。25

彼の訃報を聞いたのは、金曜日の夜だった。
家で作業していた僕は連日の仕事疲れで寝落ちしてしまったのだけど、他社の編集者からメッセージが来てるのに気づいた。
僕の知る、ある編集者が亡くなったらしいと。
たぶん、他の人の訃報に接してもそう思うはずだけど、自分の知る人物と、その人が亡くなるということが、最初はうまく結びつかなかった。

最近、僕と仕事をしたり、親しくなった人は、「こいつは長年ウェブメディアの編集者をやっているのかな」と思うかもしれない。
自分もそういう「てい」で働いてるけど、じつは、ウェブ編集の仕事をはじめてから、まだ2年も経っていない。
僕は、この業界に入ってからのほとんどを書籍編集者として生きてきた。
亡くなった彼も、同じく書籍の編集者だった。

僕がかつていた出版社で、ビジネス書の編集に携わり、まだ実績らしい実績を上げていなかったとき、はじめて彼に会った。
たぶん、会社の先輩が引き合わせてくれたはずだ。
彼はそのころからスター編集者で、その噂は聞いていた。
会う約束ができてから、彼が手がけたベストセラーのうち何冊かを買い、研究した。

記憶が間違ってなければ、ほぼ男しかいない飲み会なのに、ムダに照明の暗い、ムーディーな居酒屋で彼と会った。
ろくに挨拶もしないうちから、僕は彼のつくったベストセラーを机上に置いて、質問ぜめをしていた(編集者以外、なかなか伝わらないだろうけど、それぞれの本にかんして「なぜこの表1にしたのか」をしつこく聞いていたと思う)。

会社も違うのだし、正直、ちゃんと答える義理はない。
でも彼は、なぜこのタイトルにしたか、なぜこのデザインか、なぜこのデザイナーと特に仕事をするのか、丁寧に教えてくれた。
どちらかといえば常識破りで破天荒なキャラクターの編集者に見えていたから、いい意味で予想を裏切られた。
後年、彼の部下の何人かから、「あの人は面倒みがいいんです」と聞いたけど、それは本当にそうなのだろう。

人間、会う人によって抱く印象も違うし、実際に見せる顔もちがうはずだ。彼のよからぬ一面を業界の人から聞くこともときにはあったけど、それは自分が見た彼ではない。
だから僕は、ここに、彼の訃報を聞いたときに浮かんだ、ささやかな彼との思い出を書いた。
自己満足かもしれないが、書き残すことに意味があると思ったから。

40歳になろうとしたころから、少しずつ、知っている人が亡くなっていく。
もし亡くなると知っていたら…、と思うこともあるけれど、それを知ることはかなわないし、僕は僕でこの数年、自分の(おおむね今の仕事の)ために、昔から知ってる人とはなるべく会わないようにしていた。
ここ数年彼とは会わず、もちろん彼にとっても僕と会うことの優先順位は低いだろうから、けっきょく会えずじまいだった。
それでも、もっと話を聞けばよかった、という後悔は残る。

そういえば、僕がそのときいた出版社で担当して、けっきょく一番売れた本は、くしくも彼がよく仕事をしていたデザイナーが手がけたものだった。
タイトルも、彼がよく言っていたように、かなり短くした。
こちらは自分の手柄のようにふるまっていたけれど、きっと、あの日聞いた話が生きていたのだろう。

人が亡くなるのは仕方がないことだし、もちろん自分もそれから逃れられない。
でも、残るものはあるし、誰かの中に生きるものも、きっとある。
ーーそう思わないと、人生なんて、やっていらんない。

何を残すか。誰に残すか。
日々、それを考えて、僕はまだこちらにいます。
あの日も、あれからも、ありがとうございました。

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