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ために

育休中に日課になったNHK朝ドラ。

オフの日には自然と観ています。

モネちゃんはなぜ、気象予報士をめざすの? 林業ではあかんの?

今日で前半戦終了のようだったこのドラマ、

「あのとき、何もできなかった・・・」という切なくも強烈な想いがつながり、それぞれの人生を綾なし、交差していく

秀逸な物語性を感じ、この15分から感じたことを少し。

自然とじぶんをこのドラマの語る意味に のせてみたくなります。

なぜ 看護師になったのか? なぜ この土地ではたらいているのか?

2ヶ月の育児休業をとったのは、なんのためだったのか?

ものごと・できごとの 意味 を追い求めすぎると 息苦しくなるものですが、

やっぱり 〜のために という想いは、

職業や、人生の大切な選択をする上では、とてもたいせつな 動機づけ

であります。

もちろん、生きるため、というのが動物である人間の もっともシンプルな動機であるけれども、

人間は意思の生き物ですから

お金のため、美味しいご飯を毎日たべるため、物質的に豊かな生活を送るため、家族を養うため・・・

意思をもって生きることが、よりよい人生だと感じやすいですよね、なんとなく、ですけど。

動機づけの強い(主観的にでも、客観的にでも)意思、人生の選択ほど

つぎ込める熱量は大きくなり、継続したり、広げたり深めたりデカくしたり

できるのは、たしかなような気がします。経験的にも。

ぼくは果たして、これからも看護師をしていくことができるだろうか?

まず、自問自答してみます。

病気の人、飢餓や貧困など、困難な状況にあるひとたちに、お金やモノをくばったりではなく、痛みを和らげたり、医療で心身の安らぎをもたらしたり、そういうひとの目の前でなにかできる人間になりたかった。

概ねそれができている今 それで生きていくことができている今

不足はないです。

そして家族がいる今。

しあわせなことです。

しあわせ これは究極的に 主観的な概念だと想いますが、

できるだけ多くの人が、そのひとらしく、もって生まれた人生をまっとうできるように 祈りながら

息子たちが、じぶんだけではなく、他者のしあわせや痛みに想いを馳せる

ことができるように 祈りながら

後半戦のモネちゃんの 活躍を楽しみに ドラマを観たいとおもいます。

それにしても 役者さん、ドラマって おもしろいですね、こんなことを考える機会をくれるんですから。 俳優を仕事にするというのも、生半可な気持ちでは 選べない人生、すごいです。

こうやって考えるために書く機会を作っていくれているこのnoteという場も とってもステキですね! 




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