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book review

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これまでいろんなところで書き散らしてきた書評記事のアーカイブです。選書や読書の参考にしていただければ幸いです。
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記事一覧

〈東北〉のいちばん長い日――河北新報社『河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙』(文春文庫、2014年)

「○○のいちばん長い日」というタイトル、元ネタはもちろん半藤一利のノンフィクション『日本のいちばん長い日』(文春文庫、2006年)であろう。現代日本の決定的な分岐点となった1945年8月15日、戦争の終結か継続かをめぐって国家中枢のエリートたちが何を考え、どんな決断をし、そしてそんな彼らの間でどんな抗争が繰り広げられ、あの結果に至ったのか、「どうする日本」の細やかなプロセスを追いかけ、再現した名作だ。それは、そのあと続いていくことになる戦後日本の縮図をそのはじまりの一日に見

価値なきものたちをどう生かす?――眞並恭介『牛と土 福島、3.11 その後。』(集英社文庫、2018年)

「3.11」というのは多種多様なモチーフが絡まり合った複合的なできごとなので、どの場所から見るかによってさまざまな描かれかたというものが成り立つ。本作は、福島の――東京電力福島第一原発事故のもとでの――動物、とりわけ牛とそれをとりまく人びとから見た「3.11 その後」の経験を追いかけたルポルタージュである。著者は、現代社会における動物の意味を問い続けてきたノンフィクション作家。 災害時にペット同伴で逃げるという行動が、近年少しずつ社会的な認知を獲得しつつある。では、畜産農家

「あいまいな死」を追悼する――彩瀬まる『やがて海へと届く』(講談社文庫、2019年)

東日本大震災における被災の苦しみを特徴づけることばとして、「宙ぶらりん」という語彙がよく用いられる。例えばそれは、津波にさらわれ遺体が見つからぬままであるような誰かを身近にもつ人びとの心情であったり、それがどういう影響を自身とその家族にもたらすのかがわからない低線量被ばくに見舞われた人びとの境遇であったりする。自分にもたらされた〈傷〉があいまいであるため、それをどう位置づけたらよいかわからず、よって通常であれば次第に始まっていくような回復や治癒のプロセスがいつまでたっても起動

セックスワーカーたちの3.11――小野一光『震災風俗嬢』(集英社文庫、2019年)

3・11と性風俗といえば、ノンフィクションでは山川徹『それでも彼女は生きていく 3.11をきっかけにAV女優となった7人の女の子』(双葉社、2013年)、フィクションでは廣木隆一『彼女の人生は間違いじゃない』(河出文庫、2017年)などが思い浮かぶ(後者は著者自身によって2017年に映画化もされた)。どちらにおいても、震災をきっかけにAVやデリヘルなどセックスワークの世界に足を踏み入れるようになった女性たちの現状がリアルに描かれていた。 そうした類の一冊かと思って手にとった

「子どもたち」の3.11――森健『「つなみ」の子どもたち 作文に書かれなかった物語』(文春文庫、2019年)

東日本大震災の直後、津波被害の大きかった岩手県大槌町と釜石市を訪れたジャーナリストの著者。その惨状をどう伝えるかを考え抜いた末に、彼は被災地の子どもたちに作文を書いてもらい、それをまとめるというアイディアを思いつく。実際に岩手、宮城の50か所以上の避難所を回り、85本の作文を受け取り、それをもとに2011年6月末に刊行されたのが、月刊「文藝春秋」臨時増刊号『つなみ 被災地のこども80人の作文集』というムックである。 本書は、この作文を書いた小中高生とその家族の人びとと著者が

「さまよう船」としての被災地――池澤夏樹『双頭の船』(新潮文庫、2015年)

震災2週間後に被災地に入り、その後も繰り返し東北地方を訪れているという著者による、東日本大震災と被災地の再生をモチーフにした物語。全般的に幻想的な神話のような筆調だが、その随所におそらくは著者が実際に被災地で見聞きしたであろう諸々のできごとがちりばめられている。 その舞台は、タイトルにもなっている「双頭の船」。ボランティアをのせて被災地を往来する(ボランティアバスならぬ)ボランティアフェリーだ。ふつう船には船首と船尾があるが、その船はどちらも船首(あるいは船尾)となっていて

「遺体」はどのように構築されているか――石井光太『遺体 震災、津波の果てに』(新潮文庫、2013年)

19,000人ほどの死者・行方不明者――関連死を含むと23,000人ほどになる――を出した東日本大震災。それまでそれぞれの場所で生きてきたさまざまな人びとが地震と津波によってほぼ同時にいのちを失い、死者となった。本書は、そうしたたくさんの死者たちの出現に直面し、うろたえたじろぎながらも「死者たちの尊厳」を守り抜こうとした被災下の職業人たち――遺体安置所ボランティア、医師、看護師、市長、市職員、消防隊員、自衛隊員、海上保安庁職員、葬儀社、僧侶など――の見えざる営為を、当人たちの

「いないことにされたものたち」の声を聴く――古川日出男『馬たちよ、それでも光は無垢で』(新潮文庫、2018年)

著者は、福島県郡山市出身、東京都内在住。かつて「東北」をテーマに超長編『聖家族』(新潮社、2008年)を上梓した小説家である。2011年3月11日より始まった〈東日本大震災〉に際し、そのとき取材で京都にいたという著者のもとには、その直後よりさまざまな発言機会がもたらされる。東北出身の、福島出身の人として、いま何を思いますか、と。本書は、著者によるその返答の言葉の集積である。2011(平成23)年7月に刊行された。 著者自身を語り手とする、一見してルポルタージュふうの導入。京

21世紀の少女に訪れる「奇跡」――阿部和重『ミステリアスセッティング』(朝日新聞社、2006年)評

 実在する虚構の街「東根市神町」を舞台にした長編傑作『シンセミア』の続編が待たれる阿部だが、そのための準備作業の一環として書かれたのが本書だという。携帯電話配信の連載小説を一冊にまとめたものである。  物語は、ある奇妙な公園を遊び場に集う子どもたちに正体不明の老人が語り聞かせる「かつて実際にあった出来事」という形式で開示される。その主な舞台は2011年(同時多発テロ事件の10年後!)の東京。主人公は東北地方出身の19歳の少女シオリ。故郷の街での出来事と、上京後の東京での出来

オウムとの暗い連続性暴く――吉田司『新宗教の精神構造』(角川書店、2003年)評

 サリン事件から8年、オウム真理教(アーレフに改称)とその土壌としての新宗教ブームに対する冷静な考察や批評がようやく姿を現すようになってきた。山形市出身のノンフィクション作家による本書も、そうした成果の一つだ。事件後、オウムをわれわれ「普通の日本人」の敵として市民社会に対峙(たいじ)させ、我々の正義と彼らの邪悪との深い断絶を強調するたぐいの言説が一般的だ。だがオウムもわれわれ同様、日本社会が生みはぐくんだ存在。決して他者ではない。こうした視点のもと本書は、われわれとオウムとの

サリン事件の謎 つぶさに――森達也『A3』(集英社インターナショナル、2010年)評

 世界中を震撼させた地下鉄サリン事件から15年。事件を引き起こしたオウム真理教の目的、教団捜査の最中に起きた幹部信者刺殺事件や警察庁長官狙撃事件の真相など、膨大な謎の解明が期待されたオウム裁判であったが、結局のところ、それらは審理を通じて明らかにされることのないまま、異例の早さで結審を迎える。かくして、一連の事件の首謀者とされた教団の元教祖・麻原彰晃に対する死刑判決が、昨年9月15日に確定した。  本書は、事件後のオウム教団(アーレフに改称)の等身大の姿を被写体としたドキュ

過疎地の姿を優しい視線で――梶井照陰『限界集落』(フォイル、2008年)評

限界集落とは、65歳以上の高齢者が集落人口の過半数となり、独居老人世帯が増加し、このため集落の共同体としての機能が低下し、社会的な共同生活の維持が困難な状態にある集落をさす。国土交通省の調査によれば、全国で7,873もの限界集落が存在し、そのうちの422集落が今後10年以内に消滅する恐れがあるという。 本書は、佐渡ヶ島在住の僧侶にして写真家でもある著者が、全国各地の過疎の村をめぐり、そこに暮らす人びとの姿を優しく切り取った、フォト・ルポルタージュである。そこには、本県西川

各地のユニーク例豊富に――青木辰司『転換するグリーン・ツーリズム:広域連携と自立をめざして』(学芸出版社、2010年)評

80年代以降、環境破壊や行き過ぎた商業化など、マス・ツーリズムの弊害が世界的に問題視されるようになり、それへの反省から、オルタナティヴ・ツーリズム(大衆観光に代わる新しい観光)への期待が増した。その流れを受け、92年に日本で提起されたのがグリーン・ツーリズムである。 グリーン・ツーリズムとは、都市の人びとが農村に滞在しつつ行う余暇活動のこと。目的は、都市と農村の対等かつ持続的な交流とそれを通じた地域づくりにある。当初、輸入概念の有効性にさまざまな疑問がもたれたグリーン・ツー

住民主体の地域再生現場――結城登美雄『地元学からの出発:この土地を生きた人びとの声に耳を傾ける』(農文協、2009年)評

著者は、「東北むら歩きの旅」と称し、長年にわたって中山間地の農林漁村約600箇所を聞き書きして回ってきたという大江町出身の民俗研究家。本書は、そんな著者の、この10年間における全国各地の地域再生の現場をめぐる旅の記録である。宮城県旧鳴子町「鳴子の米プロジェクト」や本県真室川町「食の文化祭/食べ事会/うつわの会」、金山町「谷口がっこそば」など、東北を中心に、全国各地の地域再生の事例が豊富に扱われている。 本書の事例は、一般には「地域づくり」として知られているものである。その