[原稿200]81 【ネタバレ】影裏
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[原稿200]81 【ネタバレ】影裏

滝川1019

昨日と今日で、「影裏」という本を3回読んだ。それはたぶん、いろんな作品のレビューがすごくおもしろい、以下の方の記事を読んだからだと思う。「読みやすいのに、読み解きにくい文章」「何回か読んでみるとよいかも」という趣旨の言葉をみて興味がわいた。ページ数が少なめで、すぐに読み返すことができたというのも大きい。

ここからはネタバレを含みますので、未読の方は読まないようにご注意ください。

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1回目を読んだ時は、今野が転勤先で出会った大切な友達・日浅を失ったかもしれないお話……? という、とてもぼんやりした感じだった。ほとんど何も理解できず、不安になった。

そのため、すぐにもう一度読み返してみた。2回目は、ざっと通しつつ、初回でなんとなく引っかかった言い回しのところに時間をかけて読んだ。その上で、自分なりに解釈したことを書きます。

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「影裏」は、日浅との関わりを通して、今野という人のひととなりが、(少しだけれど)変わるまでの経緯が綴られているお話なのかなと思いました。

個人的にですが、今野は自分の気に入った人とだけ仲を深めたいタイプで、一見センスがいい人のように見えるけれど、実は「それっぽく見えるもの」のかたを縁取っているだけで、けっこう空疎な人なのかもしれないという印象を受けました。

セクシュアリティの面でいけば、自分の求めるかたちに合いさえすれば女でも男でも、どちらでもいい人なのではないかなあと。反面、今野が認知している、恋人の「らしさ」が損なわれたり、今野のニーズにそぐわない一面が見えると非常に敏感に察知するという。

1人だと寂しいは寂しいし、一般的にいたほうがいいん「だろう」から、友達がほしい、恋人がほしいと思っているのではなかろうか……というのは言い過ぎかもしれませんが。

また、付き合っているからといって恋人を第一優先にすることはなく、仕事だったり他のことで面倒ごとが起これば相手を切り捨てることもできる人。これは完全なる憶測ですが、今まで別れる時は、必ず自分がふる側だったのではないかなあと思いました。

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今野は、転勤先の岩手で現地の人とはなかなか懇意になれない中、地元出身ではあるが大学4年間を東京で過ごした日浅とは唯一仲良くなれた。それは、その土地に根を張っていない感じ、いわば、今野と同じ都心の感じが日浅にもあったからだと思う。

おそらく本人は気づいていない、無意識のそういうフィルター、選民意識のようなものがあるから、地元の釣りイベントに参加しても他の参加者と世間話すらすることができなかったのかなあと。

ある日、突然会社を辞めた日浅と今野は久しぶりに再会するのだけれど、日浅は互助会の訪問営業職に就き、古風なネクタイに鶏冠のような髪型で、以前のように靴の踵を踏み潰すことはなく、岩手支部月間MVPの表彰状を見せて誇らしげにしていた。

その時に、自由業者風の日浅を好ましく思っていた今野からにじみでる「俺の知ってる日浅、これじゃない」感。「日浅、がんばってるな(あたたかい眼差し)」ではないところに、今野の性質が表れているなあと感じました。

2人が仲違いをすることになった鮎のガラ掛けの際も、今野は小洒落たキルシュと瓶詰めのピクルスを買っていく。キルシュなんて鮎の塩焼きには合わないのに。持ち込んだアウトドアグッズは日浅から「ママゴトかよ」と嘲われ、ブランケットやダウンベストにニットキャップと、服装についても難癖をつけられる。

そうしてピリピリした雰囲気になり、今野は家に帰るのだが、お高くとまった品々でつくられたリビングにいたくなかったのは、日浅の指摘が図星だったからではないかと思った。本人の中にも、ガワばかり気にする自分という認識があったのかもしれない。

元恋人の和哉に電話したのは、その居心地の悪さをはらうためだったのかなあと。話しているうちに「都心っぽさって、やっぱりこうだよな」と思い出して安心したから、またリビングに戻れたんだろうか。和哉の以下の言葉にも、今野のひととなりが表れている。

「あれこれ比較し過ぎてるんじゃないかなあ」相変わらず、とても続きそうな、少し含みを持たせたみたいないい方だった。「わたしもね、一人相撲は苦しいなって、最近実感することが多いんだよね」

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そして、日浅はいなくなった。震災を絡ませなくても話は成り立つという意見があったが、たぶん、ふつうにいなくなっただけだと今野は日浅にそこまで後ろ髪を引かれなかったと思う。気になりつつも放置し続けるか、しばらくしたら、また日浅のほうから家にひょいとやってくるだろうくらいに思っていたかもしれない。

日浅があの日の津波にのまれたかもしれないという状況証拠があり、何か大きなものの崩壊に脆く感動しやすい日浅ならば、すぐそばに津波が押し寄せてきていても目を大きく見開いてじっと動かずにいたのではないかと今野は考える。その死への実感があったからこそ、今野は本気になって日浅を探したのだと思う。

ただ、9月に仲違いして3月までの半年間何もしなかった人が、亡くなったかもしれないからとはいえ、友達のためにあそこまでするのかなあとも思ったりした。

かなり穿った見方だが、他人に左右されたくない今野の、死による日浅の絶対的存在化を阻止するために安否を知りたい、できれば生きていてほしいという、本能レベルでの防衛反応……。

もしくは、今までふられたりして失ったことがないので、はじめての喪失感っぽいものに、他人事のようでありながらも執着している……などと考えたのですが、やはりひねくれすぎな捉え方だよなと反省しました汗。純粋に、心配で探し回ったのかなと思います。

最終的に日浅の実家を訪れるのだけれど、父から聞く子ども時代の日浅の話や、模造紙に書かれた「電光影裏斬春風」という言葉は、今野への壮大な皮肉のようにも感じられました。

お前はいろんなことをわかった気でいるようだけれど、本当は何も見えていない。そして、自分にとってお前だけが特別ということはない。

日浅の根無草っぽい感じは、かつて都心にいたからではなく、日浅自身の内にあるつかみどころのない黒さによるものではないのか。どこかで日浅は図太く生きているのではないかと思えてきた。

結局、日浅の安否はわからずじまいだった。しかし、最後の釣りのシーンにおいて、ネットで調べてガワだけわかったような気になるのではなく、実際にこの目で確かめてみようと思い直した今野の姿勢には、何か長年つきまとっていたものが少し落ちたような、ああ、今野ちょっと変わったんだなというのを感じました。

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以下は映画について少し。本だけを読んだ感じでは、今野と日浅の間に同性愛的なものは感じず、全体的にドライな雰囲気で進みつつも、自然の情景描写がとても丁寧でみずみずしいなあと思っていました。

映画では、今野が日浅にキスをして押し倒すシーンが描かれていたりして、同性愛、そして湿っぽさも感じられます。綾野剛の寂しげな表情と空気感に目を奪われ、見つめ過ぎた結果、綾野剛の二重のひだに焦点が当たってしまっていました。

先のキスシーンは原作には書かれていなかったはず、と思って本を読み返すと、明示されてはいないけれども、たしかに2人の間に何かあったと思わせる流れになってはいると知り、ふぁあああとなりました。

序盤で、8月に大きな水楢を2人で見つけた時、日浅の汗を見て、今野視点で「ゆうべの酒が〜」と語られている。たぶん前の晩に泊まって、ここでおそらく何かあった。

仲違いのきっかけになった9月の鮎のガラ掛けの時に、「最初から、おたがい変に緊張していた」2人。そこで焚き火をしている時に、「流木の美質を語るのに、二、三、のどぎつい比較を持ち出した」「わたしに対し明確にそれだとわかる当てつけをいった」日浅。

なんとなく読み過ごしてしまっていたけれど、このへんを束ねるとあのキスシーンになるのか……と。本当のところは何があったのか定かではないが、映画を見てよかった。原作の2人の関係性は友達だと思っていたけれど、少なくとも今野から日浅への性愛的な感情はあったのかもなあと思いました。

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何回か読み返すことで「あれはたぶんこういうことだ」と思える部分もあれば、「1回目の時はこう思ったけど、やっぱり違ったのかもしれない、どういうことだろう?」という部分もあり、非常にぐらぐらしながら読みました。

思い込みの激しい自分からすると「影裏」はこのように見えたという意味での記録になればいいやと思って、終わりにします。少し疲れた。でも、こんなにじっくり本を読んだのは初めてのことだったので、とてもいい時間を過ごせました。




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滝川1019
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