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第1回 社長の思いを共有することで経営危機を脱したA社

1 なかなか聞けなかった、社長の心の底にあった一番の悩み

 「自分の思いを社員にうまく伝えられないんだよ」。

 社長のそうした悩みを私が初めて耳にしたのは、前職のサラリーマン時代のことでした。

 ずいぶん昔の話ですが、私は新卒で株式会社リクルートに入社して人事部に配属されます。1年目から、中途採用と当時は同社の半数以上をしめていた数千人に及ぶ長期アルバイト、新卒採用などを中心的な立場で任せてもらいました。

 数年すると同社の看板事業でもある採用コンサルティングの現場に出てみたくなり、事業部への異動を希望。大手から中堅中小、時には設立したばかりのベンチャーまで、さまざまな業種の企業を訪問しながら採用や組織づくりのご支援をしました。

 採用は企業にとっては経営の重要課題。大手を含めて最初から経営のトップにお会いして直接お話をうかがうことが多かったのですが、最初はこちらも単なる社外の一業者、しかも肩書もないような一サラリーマンです。

 採用の話は真剣にされるものの、最初から社長の本音が聞けるわけではありません。ただ採用コンサルティングという仕事の良いところは、結果さえ出していれば継続的なお付き合いができること。

 時間のかかり方は人それぞれでしたが、長いお付き合いを重ねていくうちに、社長との心理的な距離が次第に縮まっていきました。

 ある日のこと、かなり懇意になり、私自身もひと肌もふた肌も脱ぐ覚悟でお付き合いしていたA社の社長がぽろりと本音をこぼしました。

 「いやね武田さん、採用ももちろん大事なんだが……もっと悩んでいることがあってね。社員に自分の思いをしっかりと伝えたいのだけれど、これがなかなかうまく伝えられないんだよ。それが私にとっての今一番の悩みなんだ」と。


2 社長の思いへの共感を確認できると、何がいいか

私ははっと気が付きました。

・いくら採用した人材の地頭が良かったり、バイタリティーにあふれていたとしても、社長の思いが伝わっていなければ社員の頑張る方向性はずれてしまうかもしれない。

・またもし伝わったとしても、社員が社長の思いに共感できなければ、本人の能力ややる気をフルに引き出すことはできないだろう。自分の意図しないことを毎日求められるのはつらいことだ。

・片や、社長の思いに共感できれば、それは社員にとってもやりたいことになる。自分のこととして真剣に仕事に向かえるだろうし、能力ややる気も存分に発揮できる。

 お互いのハッピーのために、社長の思いを伝えて共感できるかどうか確認できるといい。できれば“入口”で。

 私はA社の社長に提案しました。「社長の思いを分かりやすくまとめた会社案内を作りましょう。それを興味を持って資料請求してくれた人に送るんです」。

 社長の思いを引き出し、整理してまとめるためのインタビューが始まりました。その方はふだんからよく話される方でしたが、いざインタビューが始まる次から次へと言葉が押し寄せてきました。

 私がメモするノートには言葉があふれました。質問項目は社長の生い立ちからその後の人生の子細にも及びました。初めての試みでしたので手探りで時間もかかりましたが、数カ月かけてようやく整理が終わりました。

 整理したキーワードをまとめたものを社長にレポートしたところ、「まさにこの通り。うまく整理してくれて、何だかすごくスッキリしましたよ」と笑顔になりました。

 ちなみに私がこれまで「思い」の整理をご支援した社長のうち、いわゆるオーナー社長の場合は、分類するとだいたい大きく2つのタイプに分かれます。

 ご紹介した社長のようにものすごくしゃべるタイプと、口下手でふだんほとんどしゃべらないタイプ、このどちらかです。前者は整理するのが大変で、後者は引き出すのが大変です。

 さて次の段階としては整理したキーワードから、新人や入ったばかりのアルバイトの人にも意味が分かるような短い言葉に表現(コピーライティング)していきます。しかもなるべく社長がそのまましゃべっているかのような言葉遣いで。

 これに言葉の背景やより深く理解してもらうための解説文を添えて、社長の思いが分かりやすく詰まった入社案内が完成しました。

 私はさらに社長に提案をしました。その年の新卒採用では入社案内を希望した学生に、読んで興味を持ったら感想を書いて送らせましょうと。

 当時、世は空前の売り手市場。企業側からそんな負担を学生に強いると応募者が減るのではないか、うちのような不人気業界でそれをやるのは危険じゃないかと心配されました

 「でも思いに共感できない人材を採用するよりずっといいじゃないですか。共感してくれた人はほかではなくこの会社に入りたいと強く思うでしょうし、入社後も頑張ってくれると思います」。私はそう説得しました。

 広告などのキャッチフレーズの世界ではよくこんなたとえ話をします。「ホースの先を絞った方が、より強く遠くに水が届く」。

 他社がだれでも応募大歓迎と言っている中で、同じように言っても届かない。中小企業や不人気業界ならなおさらです。

 そうした中で、「当社はこう考えます。共感してくれる人にぜひ来てほしい」と言えば、アンテナにかかった人はこの会社のことが気になって無視できないでしょう。

 逆にアンテナにかからなかった人は来ませんが、それは互いにとって時間の節約になり、入社後に不幸な社員をつくらないですむことになります。

 驚いたことに社長は、「わかった。じゃあ、感想を送ってくれた人とは全員に会うことにしよう」と宣言したのです。

 ふたを開けてみたら、応募者は前年を上回っていました。そして入社案内を読んで感想を寄せてくれた学生も予想をはるかに上回る数でした。一時期は他の仕事ができないくらいでしたが、それもうれしい悲鳴。

 約束通り社長は全員と会い、改めて彼らに直接、自分のこの事業と会社にかける思いを語ったのです。

 手を挙げれば任せてくれるし、やればやっただけ帰ってくるけれど、完全な実力主義。入社後の競争の激しさや、結果に応じた評価など厳しいことも含めて正直に話しました。

 それでもぜひ入社したいと言ってくれた学生、そして会社として採用したいと思った人材から絞り込んで内定を出しました。そして翌年4月、彼らは内定を辞退することなくA社の門をくぐってくれたのです。


3 共感する社員を採用したことでA社に起こったこと

 私は少しして社内異動のためA社の担当を外れました。社長との関係は続けたかったのですが、後任への気遣いからあまり連絡を取らないようになっていました。

 風のうわさでA社がその後も急成長していることを知り、数年後には株式を上場したというニュースを耳にしました。それは社長が私に語っていた大きな目標の一つであり、夢の一つでもあったのです。

 その後私は、サラリーマンを辞めて現在の会社を設立。ご挨拶を兼ねてA社の社長に久しぶりに連絡を取りました。社長は「懐かしいねえ。ぜひ来てよ」と二つ返事で誘ってくれました。

 再会すると、社長は2人の時間を埋めるかのようにその後に起こった舞台裏のできごとを赤裸々に語ってくれました。

 彼は上場を前に、家族同様に思っていた幹部にも株式を分割していたそうです。ところがいざ上場となると、独立心の強かった彼らのほとんどは株を売って会社を去ってしまいました。

 社長は大層ショックを受けつつも、持ち前の性格から「俺は大丈夫だから頑張れよ」と送り出してしまったそうなのです。そしてそんな自分に対して「俺ってバカだよねえ」と言いながら落ち込んでもいました。

 とはいえ上場したばかりの会社としては一大事。社員には動揺を見せないように頑張っていたそうですが、次世代を担う店長たちは気が付いていました。

 店長の一人がやってきて社長に言ったそうです。「社長、僕らは社長の思いに共感してこの会社を選びました。だから絶対に辞めません。安心してください、元気を出してください、僕らが何とかしますから」と。

 シャイな社長は恐らく「バカ野郎、おまえらなんかに期待してないよ」なんて返したのかもしれません。でも心底うれしかったはずです。

 そしてその思いは若い店長たちに伝わっていました。彼らは例の入社案内を読んで感想を書き、社長と腹を割って話した上で入社した社員たちだったのです。

 もちろんベテラン幹部たちの穴をすぐに埋めることは容易ではなかったそうですが、A社は次第に持ち直し、再び成長曲線に乗ることができたそうです。

 ホームページの役員一覧には、私がご支援した時に学生だった人たちの名前が並んでいました。


4 社長は最後に幸せになってください

 私が独立起業を決意したのはA社での経験がきっかけでした。

 会社が元気になり成長するためには、また社員が幸せに働けるためには、社長の思いを整理して分かりやすく伝えることが重要だと感じたのです。それはA社社長との再会で強い確信となりました。

 以来多くの社長の思いを伝えるためのご支援をしてきました。

 人間、自分のことはなかなか客観的に見られず、うまく整理できないものだというのがこの仕事に取り組んできた私の実感です。だからこそ外部の人間としてご支援のしがいがあります。

 中には外部の支援を受けなくとも自分だけで思いを整理し、分かりやすく表現して伝えられる社長もいます。経営と、整理したり表現したりするために使う能力はまったく違うだけに大変だとは思いますが……。

 今回のシリーズ『武田斉紀の「社長の思いはこうすれば伝わる」』では、経営課題の大きな柱である「社長の思いを全社の社員に伝える」ために、社長本人や社内でもできるノウハウを公開します。

 他にもよくいただくご質問に、「父親から事業を承継することになったが、自分の思いをどのように社員に伝えればいいか分からない」といった事業承継上の悩みがあります。

 また最近目立つのは「別会社を吸収合併したが、どうすればより早く融合できるだろうか」といったM&Aにかかわるものがあります。今後は、こうした疑問にもお答えしていきたいと思います。

 第1回の最後になりますが、私が新たな社長から思いを整理して分かりやすく伝えるご支援の相談をいただいた際に、必ずお伝えしていることをご紹介します。それは「社長は最後に幸せになってください」ということです。

 社長の思いを整理して分かりやすく伝えると、その思いに共感する社員が集まります。彼らは仕事そのものが自分のやりたいこと、実現したいこととなるので、生活のための仕事という立場を超えて頑張ります。

 彼らのエネルギーやモチベーションはチームで一つに、課や部で一つになり、想像もしないような大きな力になっていきます。社長の思いは共感する社員によってより大きなパワーとなり、顧客や社会にも伝わっていきます。

 「A社はこんな会社だと感じていたが、社長だけでなく社員もみんなそうだ。この会社は信頼できる」と。信頼は価値となり、ロイヤルカスタマー(ファン、忠実な顧客)を増殖していきます。そうなればおのずと株主の信頼も得られるでしょう。

 さて、社員が喜び、顧客や社会が喜び、株主が喜んでいて、喜べない社長はいるでしょうか。

 ステークホルダーたちは、好循環のスタート地点が社長の思いであると知るでしょう。「社長の思いを全員で共有できているからこそ、この会社は強い、信頼できる」と認められるはずです。そうなった時に喜べない社長が世の中にいるでしょうか。

 だからこそ私は「社長は最後に幸せになってください」と言いたいのです。


(著作:ブライトサイド株式会社 代表取締役社長 武田 斉紀)
※上記は、某金融機関の法人会員向けに執筆した内容をリライトしたものです。本文中に特別なことわりがない限り、2020年7月時点のものであり、将来変更される可能性があります。※転載される場合は著者名とコラムタイトルを必ず明記ください。

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