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今日のラクガキと日記 / 20-08-24 / カオスドローイング

ヘッダー画像、絵を二枚重ねてモノトーン化して白黒反転しただけなんだが、すごいキチガイ感出ててなんか好きだわw

最近やけっぱちで「カオスドローイング」と名付けたラクガキをしている。

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Twitterとかウェブブラウズでたまたま出会った画像を適当に模写する。その際手元に大量にある様々なペン類をランダムに使う。「誰か」の顔を描いても適当に描いてるので似てなくてオッケー。とにかく隙間をぎっしり埋める。というのがルール。

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まったく脈絡のないものが並んでいるのが愉快でまた自分にとって新しい画風の開発だなー、と笑っている。と同時にこういう統一感を欠いた結果的にゴミでしかないものを吐き出して終わるのが自分にお似合いの「表現活動」だったのか、というモヤモヤした徒労感もある。そうそう「便所の落書き」、結局たどり着いたのはそこかよ、という。

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先週3枚ほど描いたのだが、だんだん密集感が増してきていい感じだ(笑 あちこち書いてある文字は、それぞれを描いた筆記具の名称。文房具オタクでもあるのでどのペン使うとどんな仕上がりになるか、はとても重要。ただ残念なのはアナログ絵をスキャンするので実際の筆致を再現するのは困難というところかな。

オレにとって絵を描くとはなんなのか。

意外と生真面目な性格なので絵というのは練習によって上達すると愚直に信じてきたけど、この歳になっても上達しないということはこれ以上の練習は無駄かもしれんと思い始めた。「あなたは才能がない」と他人には気楽に言えるが、「自分には才能がない」を受け入れるのはゲロ吐くくらいしんどいな。

まぁ、もう目についたもんを適当に鼻歌まじりに模写してりゃ楽しいんだから、ま、それでいいか、という諦念。だから気楽に描こうとイキってはいるが、「才能がない」という自認を抱えながら「それでも絵を描くのは面白い」と思って歩くその無様な姿を晒すのはかなりの気恥ずかしさがある。

別に落ち込んでるわけではないけど、「歳を取る」ってこういうことか、という「大人の階段 最終章」の始まり、みたいな気分を感じている。「何者かになりたい」という他人の自意識をオレはいつも嘲笑っているようで、オレ自身がその言葉の奴隷なのかもしれない。



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