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2024年の話(8)神の計らい

富士山登頂を目指して、できる限りのことをしようと私がしたことをザッと書いていきます。自由時間はたっぷりあったので、体調に合わせて京都を散策しました。京都はぐるりと山に囲まれていて、緑が多くて水が豊かなところです。神社や寺院もあちこちにあり、気が向くところへ行き、手を合わせ、地下水をいただけるところではありがたくいただきました。

アデレードでは10キロぐらい歩く日も多かったので、それが役立ちました。ちょうどお盆時期、京都は五山の送り火があります。大文字山にも2度登らさせていただきました。愛宕さんには8月に7回お詣りしました。何してんだって感じですが、大好きな自然と共に時間を過ごせるのが心から幸せでたくさんのことを学びました。

あるときに山の師匠からもう少し高い山を経験した方がいいので、鳥取の大山に行きませんかと提案がありました。そういうものなのかと大山行きを予定しましたが、諸事情でなくなり、富士山への日程も近づいていたので3,000mを経験した方がいいということで南アルプスを提案してもらいました。登山に興味のない私は「へぇぇ、そういうとこに行くといいんだ」ぐらいな感じでした。南アルプスはよく聞くけど、どこにあるのかもよく分かっていませんでした。山の天気は移ろいやすく、雨予報で行き先がなかなか決まらずでしたが、私の富士山の準備となる山へ行きたいですとだけリクエストしました。そして、決まったのが「仙丈ヶ岳」です。初めての山小屋泊も経験し、準備は着々と進みました。ただ、山小屋に入ったときから頭痛で。軽く高山病にかかりました。頭痛は治らなかったのですが、3,033mの頂上まで辿り着き、無事に下山しました。

南アルプスはとても良かったです。人によって感じ方はさまざまだと思います。私が感じたことはたくさんありますが、いくつかここでシェアしたいと思います。歩き始めて、とても不思議な感覚が全身を貫き、神の世界とつながっている、すべてはひとつなんだというのを大地を通じて感じました。あとはただただ、ありがたいと感謝の気持ちで歩き続けました。山というのは危険でもあり、必要以上に入るものではないと私は考えているので、こうして山をよく知る人に先導してもらえる奇跡を素直に受け取り、今回は大事な神の体内に入らさせてもらえたことを喜んでいました。

あの壮大な景色を見たあと、京都の山々がより近く親しみを感じるようになりました。登山が大好き!という感じにはならなかったのですが、ご縁のある場所にはこれからも元気に行きたい、そのために身体のコンディションは整えておこうという気持ちは強くなりました。

南アルプス 仙丈ヶ岳

南アルプスの経験は私のかたく閉じていた扉を開いてくれました。忘れていた記憶を少し思い出すきっかけとなりました。これは誰かに確認できるものでもなく、自分で決めて進んで知って理解していくものだと私は思います。はっきりとこういうことが分かりました!思い出しました!と言えるものではないのですが、きっとこれなんだろうなぁという感覚は確実にあります。ここまで辿り着けた自分がうれしくてうれしくて。この先、私がつかんだ感覚がどう変わっていくのか分かりません。勘違いだったと笑っているかもですし、元気に世界をめぐっているかも知れません。私が言えることは、興味があることは行動してみる。この一歩が大事。そのためには健康な肉体が必要だし、その一歩をストップする思考の扱い方も知る必要があります。

その後、8月末に予定していた富士山の日程が台風の影響で9月に変更となりました。その前に大山へ行きましょうか?と声をかけてもらいました。少しオーバーワークかもと思ったのですが自然の中へ出かける魅力は大きく、以前学んだポラリティセラピーでも何度か訪れた思い出のある地でもあり、時を経てまた訪れるのも良きことかも、何より富士山の準備になるならと行くことにしました。大山で感じたことは(9)へ続きます。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。

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