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近世欧州の軍事学史で軍隊の人事はどのように考察されてきたのか?

軍隊の能力は武器や物資だけで決まるものではありません。兵士の健康状態が良好であり、知識と技能を持ち、強い戦意を持ち、部隊として強く結束していなければ、組織的に戦闘を遂行することはできません。軍隊における人事の目的は、任務完遂に必要な人的戦闘力を確保することです。

今回の記事では、16世紀から18世紀までの軍事学史で軍隊の人事がどのように議論されていたのかを紹介しようと思います。給与の問題が繰り返し議論されていたことがお分かりいただけると思います。

マキアヴェッリ

近世以降のヨーロッパの軍事学史に長期的な影響を与えた人物の一人に、16世紀の思想家ニッコロ・マキアヴェッリがいます。彼はフィレンツェで軍事行政の実務に携わった経験があり、また古代のローマ軍に関する古典的文献を調査することによって自らの見解を形成しました。

マキアヴェッリは、著作の中で兵役に適した人材をどのように集め、どのように管理すべきかという問いに答えています。彼は徴兵制を支持していましたが、入隊の可否を決める際には厳正な選抜を行う必要があると主張していたので、より厳密には選抜徴兵制の支持者でした。

彼が提案した採用の基準は3つあり、(1)年齢:兵役の適齢は17歳から40歳までとすること、(2)職歴:農夫、鍛冶屋、蹄鉄屋、大工、屠殺人、猟師などの職務経験があること、(3)体力:背が高く、首が頑強で、胸が広く、筋肉が盛り上がった腕で、腹部が引き締まり、贅肉がとれた足を持っていることを新兵に要求しました。

採用した兵士にどの程度の給与を支払うべきかについてもマキアヴェッリは考察しています。彼は国内において軍務だけで生計を立てる職業軍人が増えてくると、多額の国防予算が必要となり、国の財政に大きな負担をかけると懸念していました。

マキアヴェッリの推計では、かりに5,000名の歩兵部隊を編成した場合、彼らが満足できる給与を支払うためには1か月あたり11,000ダカートの支出が必要です。当時のダカート相場が明らかではないため、現在の円に換算することができませんが、これは一国で賄えるような金額を大きく超えているとマキアヴェッリは強調しています。

しかし、兵士に相応の報酬を与えなければ、適切に訓練が行われなくなり、戦時に役に立たなくなることは目に見えているともマキアヴェッリは考えていました。

この問題を解決するため、彼は兵士に生業を続けたまま軍籍を得ることを認めた上で、安息日にのみ訓練に出頭することを命じることを提案しています。このような短時間の勤務であれば、生業がある兵士が感じる負担も少なく、無報酬、あるいは少額報酬であっても意欲を維持することができるとしています。

もちろん、このような場合には軍隊としての練度が犠牲になることは避けられませんが、戦時における長期の従軍は例外として、平時に給与を支払い続けることは財政的に実行不能だというのがマキアヴェッリの考えでした。

サックス

18世紀にフランス軍の指揮をとったエルマン・モーリスド・サックスは、財政的な制約に悩まされたマキアヴェッリよりも多くの予算を確保することができました。当時、フランスはヨーロッパでも有数の規模を誇る軍隊を維持していましたが、それぞれの連隊が予算の範囲で兵士を募集し、給与を支払って軍務に従事させていました。これは有期の雇用契約に基づいており、サックスは自発的に志願した兵士を前提に軍隊の人事を考えました。

この制度に問題がなかったわけではありません。サックスが軍隊の人事で最も深刻な問題と考えていたのは脱走でした。当時の軍隊では脱走が珍しいことではなく、契約が満了する間際に戦争が勃発した場合、連隊は充足率が低下することを防ごうとして、なし崩し的に兵士を戦地に連れて行くことがありました。このような場合に兵士の脱走は頻繁に発生していました。

連隊は兵士の脱走を防ごうと、厳しい刑罰を課しますが、このような措置は部隊の規律をかえって損なうことになるとサックスは批判しており、結局は適切な給与を十分に支払わなければ、部隊の戦闘力を維持することができなくなると論じています。

サックスは兵卒だけでなく、将校の人事にも問題があると指摘していましたが、そこでも給与の問題が取り上げられています。

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