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覇権国家が国益に走れば、世界経済はナショナリズムで分断される

チャールズ・キンドルバーガー(1910~2003)の著作『大不況下の世界1929-1939』(旧版1937、新版1986)は国際政治学の名著の一つであり、世界経済が危機に瀕している今こそ読み返されるべき研究です。

この著作の目的は、1930年代に世界を襲った長期不況の原因を説明することです。キンドルバーガーは一国の経済政策の適否だけでは当時の長期不況を説明することは難しく、世界経済を制御するための国際協力が失敗したことに注目する必要があると判断しました。

表題だけを見ると経済史の研究に見えますが、世界的危機の中で各国がそれぞれの利益をどのような政策で追及したのか、その相互作用が国際社会の利益をいかに損なったのかを明らかにする政治学的な研究です。

今回は、この名著を読んだことがない方に向けて、キンドルバーガーの議論を解説したいと思います。

世界経済は解体に向かったのか

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1930年代の世界不況の直接的要因は、1929年のニューヨーク株式市場の崩壊でした。金融危機で需要が冷え込む中、世界各国が自国の産業を保護するために次々と関税を引き上げ、外国製品を排除しようとしたため、その影響が全世界に広がり、貿易取引は減少し始めました(キンドルバーガー、181-2頁)。

キンドルバーガーは当時の急激な貿易の縮小の速さを調べています。75カ国の総輸入額を旧米金ドルを単位として比較した場合、1929年1月の時点で29億9800万だった世界の貿易量は、1930年1月に27億3900万、1931年1月に18億3900万、1932年1月に12億600万、そして1933年になると9億9200万というペースで減少し続けました(同上、183頁)。

この貿易の減少と連動して起きていたのは、1931年から本格化した金本位制の解体でした。そもそも金本位制というのは為替市場における貨幣の価値を安定させるため、貨幣と金を一定の比率で自由に交換することを保証する貨幣制度のことです。第一次世界大戦(1914~1918)の影響でいったん運用が停止されましたが、戦後には主要国が足並みを揃えて復帰し、為替の安定と貿易の促進に寄与していました。

しかし、1931年9月にイギリスが金本位制から離脱することを決定したため、英ポンドの相場は4.86ドルから数日で3.37ドルにまで急落し、12月には3.47ドルで推移するようになりました(170頁)。

この劇的なポンドの下落は、それ以外の国々の通貨が急激に高騰したことを意味します。つまり、イギリスの輸出産業にとってみれば、有利な経営環境が出現したことを意味していました。ある国の貨幣の価値が下落すると、その国の輸出産業はより安い価格で外国の市場に財やサービスを輸出することが可能になるためです。

イギリスのポンドの切り下げに対応するため、他国も自国の通貨の価値を切り下げようとすれば、その国自身も金本位制から離脱することが必要になります。そのため、イギリスと経済的関係が深いエジプト、アルゼンチン、ポルトガルなど合計25カ国が次々と金本位制から離脱しました(同上、171頁)。さらに、当時の世界で最も有力なアメリカも1933年に金本位制から離脱し、ドルの切り下げに踏み切っています。

経済的危機に直面した国々は、自国の国益を第一に優先して行動しました。このことが外国為替の安定を損ない、関税の引き上げで減少した世界貿易の取引をさらに抑制することに繋がったとキンドルバーガーは考えています。

誰かが指導力を発揮しなければ解決困難な問題だった

キンドルバーガーは、1930年代の世界経済の衰退を振り返り、その安定化のためには、国際社会を主導する意思と能力を持った指導的国家の存在が必須であると考えました。これがキンドルバーガーの研究で最も有名な議論であり、国際政治学では覇権安定論と呼ばれています。

キンドルバーガー自身は覇権(hegemony)という言葉よりも指導力(leadership)という言葉を好んで使っています。彼はこれを「全体的な利益に反して行動する個々の国々の能力を制限するために、主権を共有することを可能にするもの」という意味で使っていました(同上、332頁)。さらに、各国の個別の利益を全体の利益に従属させる強い力を行使することが欠かせないと考えられています。

キンドルバーガーは1930年代の世界不況の説明として、イギリスが指導力を発揮する能力がなかったが、アメリカがそれに代わって指導力を発揮する意思を持っていなかったことが、最も根本的な原因であったと考えています。つまり、本来であれば世界経済の安定のために指導力を発揮すべき国がどこにもいない事態が起きたことが、世界不況の長期化を招いたというのです。

「1929年、1930年、および1931年にはイギリスは世界経済の安定装置として行動することはできず、アメリカはそうしようとはしなかった。あらゆる国がその国民的個別的利益を擁護することに転換した時、世界の公共利益は失われ、それに伴って各国の個別利益はすべて失われるにいたったのである」(同上、316頁)

キンドルバーガーの説が正しいのであれば、1930年代にアメリカが世界経済の安定化のために指導力を発揮していたとすれば、その後の歴史は大きく違ったものになったはずです。しかし、当時のアメリカの政権中枢には、世界経済を立て直すだけの政策的知識も政治的意思もなく、適切な政策を立案し、実行することは難しかったであろうというのがキンドルバーガーの評価です。

むすびにかえて

キンドルバーガーは、世界経済の安定を損なう危険なパターンを3つ挙げています。一つは、世界経済の指導権を求めて各国が争いを始めること、二つは特定の国が指導力を失っているのに、他の国が変わって指導力を発揮しようとしないことです。

そして三つは「各国がそれ自身の積極的計画を実施することを要求することなしに、世界経済システムの安定または強化のための計画について拒否権を留保すること」とされており(同上、333頁)、これは覇権的地位にある国の指導力の発揮を阻害し、問題を先送りにする国が出てくるリスクを指しています。覇権的地位にある大国が指導力を発揮する意思と能力を持つだけではなく、それに残りの国々がどこまで従うかによって結果が変わるのです。

現在の世界経済の状況は1930年代とは異なっていますが、世界経済の回復のために国際協調がかつてなく高い水準で必要です。キンドルバーガーの研究は今後の政策を考える上で重要な参照点であると思います。

武内和人(Twitterアカウント)

参考文献

チャールズ・P・キンドルバーガー『大不況下の世界1929-1939』石崎昭彦、木村一朗訳、改定増補版、岩波書店、2009年


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