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論文紹介 南アジアの国際情勢から見えてくる中国の動向

中国の台頭が東アジアの安定に及ぼす影響は日本でもよく議論されていますが、南アジアでの影響に関しては、まだ十分に議論が尽くされていないと思います。南アジア各国の対中政策は、それぞれの国の状況によって大きく異なっており、複雑な相互作用が観察されています。Amitabh Mattooが2022年9月に発表した論文では、パキスタン、インド、スリランカの3か国の対応の違いが論じられています。南アジアにおける中国の影響力を理解する上で参考になる内容です。

Mattoo, A. (2022). How not to deal with a rising China: a perspective from south Asia. International Affairs, 98(5), 1653-1675.

中国の戦略の特徴は、自国の意図を注意深く隠蔽し、強制と協力を組み合わせ、アメリカとその同盟国、友好国に対して圧力をかけることであると著者は見ています。つまり、中国の勢力拡大に対応するためには、国際的協調を目指す融和(accommodation)だけでは不十分であり、かといって封じ込め(containment)に頼るだけでも上手くいかないと考えられます。中国は常に強硬な対応で勢力を拡大しようとするわけではなく、さまざまな手段で標的国を懐柔しようとするためです。

中国がパキスタンとの関係を構築するために原子力関連技術を利用しているのは、懐柔の一例です。もともとパキスタンはインドとの対立で優位に立つために中国へと接近していましたが、1980年代以降になると核兵器関連技術の研究開発で協力を深めるようになりました。その成果の一つがチャシュマ原子力発電所であり、その原子炉は中国の支援を受けて建設され、運用されています。また、パキスタン軍に配備された短距離弾道ミサイルのM-11は中国から輸入されています。

1992年に中国は核兵器技術の拡散を抑制する核兵器不拡散条約(Non-Proliferation Treaty, NPT)の締約国となったにもかかわらず、現在に至るまでパキスタンの核兵器の研究開発に関与し続けています。2021年9月に中国はパキスタンと原子力協力の深化に関する枠組み協定(Framework Agreement on Deepening Nuclear Energy Cooperation)を締結し、パキスタンに新しい原子炉4基を建設することなどで合意しました。これによりパキスタン軍はさらに核戦力を増強することが可能となる見通しです。

著者は、パキスタンがアメリカの同盟国として振舞う一方で、このような中国との関係強化を進めてきたことを指摘しています。パキスタンは、1954年にアメリカがソ連を封じ込める目的で結成した東南アジア条約機構も参加していました(1977年に同機構は解散)。1979年にソ連がパキスタンの隣国であるアフガニスタンに侵攻してきたときには、アメリカから数億ドルの援助を受け取ったこともあります。

パキスタンはアメリカが中国と国交を正常化するための外交を支援したこともありました。ただ、パキスタンの最大の関心はインドという自国の脅威に対応することにあり、決してアメリカとの同盟関係を絶えず重視しているわけではありませんでした。最近では一帯一路の構想にパキスタンが参画していることも、パキスタンの外交がアメリカとの同盟関係に縛られていないことを表しています。

スリランカの動向も南アジアにおける中国の影響力を考える上で興味深い事例です。中国はパキスタン、インドと共にスリランカ内戦(1983~2008)でスリランカ政府に軍事援助を提供してきました。2009年に内戦が終結すると、スリランカに対する投資を増加させ、現地に多くの観光客を送り出してきました。この対スリランカ政策は一帯一路の構想が明らかにされる以前から実施されており、2019年に中国はスリランカにとって最大の債権国となりました。2020年の新型コロナウイルス感染症が世界中に広がったことで、スリランカの経済は深刻な打撃を受けることになり、スリランカはインドに援助を求めましたが、中国はスリランカのエリート層に対する影響力を維持していると著者は見ています。

中国が自らの影響力を受け入れようとしない場合、どのように振舞うのかを知ろうとするのであれば、インドの事例が参考になります。インドは中国と深刻な領土紛争を抱えており、今でも解決の見通しは立っていません。このため、中国の対インド政策はインドの抵抗能力を低下させることを目指しており、具体的にはパキスタンやスリランカとの外交関係を強化し、インドをより孤立しやすい状況に追いやろうとしています。著者が注目しているのは、小規模かつ限定的な武力の行使によって危機を引き起こし、他国から少しずつ、しかし確実に譲歩を迫る中国の戦略です。

2017年6月、中国、インド、ブータンの3か国の国境に接するドクラム高地で、中国軍が一方的に道路を建設し始めたことがありました。この建設工事はブータンの領域主権を侵害していたので、インドは中国に工事を中止するように要求しましたが、中国はそこが自国領土であるチベットの一部であると反論し、現地での工事を続行しました。インドは、中国軍の工事を阻止するために、6月17日からジュニパー作戦(Operation Juniper)を開始し、インド軍の部隊をブータンへ前進させ、武器を使用することは避けつつも、現地で中国軍の工事を阻止することに成功しました。現地では膠着状態に陥り、その後は数週間に及ぶ外交交渉が本格化しました。8月28日になって、ようやく中国とインドは双方とも当初の位置に部隊を後退させることで合意することができました。

中国はこの一連の動きで具体的な成果を得ることはできていませんが、インドが軍事的な圧力に晒されていること、また中国が軍事行動の規模や形態を注意深く管理していることが分かる事例です。著者は中国がパワーバランスに基づいて行動していることを踏まえ、中国が紛争地域でますます積極的な行動を起こす可能性を懸念しています。

「今回取り上げた3つのケースは、以下のことを示している。中国は、この地域で威信を確かなものにするだけでなく、さまざまな手段を駆使しながら戦略的な忍耐力と明確性をはっきり示すことで、支配(dominance)を追求している。核不拡散、人権、開発援助などを包括した特異な政策によってパキスタンとスリランカが(中国に)追従するように促しながら、この地域における中国の影響力に対抗しようと試みるインドに制裁を加えようとしているのである」

著者は、中国に対して長期的に一貫した対応をとることの難しさに言及していますが、基本的にはインドに外交的、軍事的な支援を与えることによって中国の影響力を弱め、国際情勢の安定性を強化する効果が期待できるのではないかという見解を示しています。最近ではパキスタンやスリランカだけでなく、ネパールも中国に接近する動きを示しており、インドにとって難しい局面が続くことが予想されます。こうした南アジアの状況を日本は他人事のように捉えるべきではないでしょう。

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