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タケトピ徒然草  家族

姉から珍しく電話があった。私の幼馴染のお母さんが亡くなったという知らせだった。
姉は昔から陰のパワーに鼻が効く。いつも誕生日にメッセージはくれるが、このタイミングで電話はさすがだ。腹水が溜まっていること、卵巣癌の疑いがあることを告げて電話を切った。

私の実家はみんなが歪み合っている。父、母、兄、姉。個々は好きだが集まると苦手だ。親戚も然り。

そういうわけで私の家族感はちょっと歪んでいる。個人主義というのか、よくはわからないが、なんでもかんでもまとめる必要はない!と思っている。


次男が産まれた時、長男は全く興味を示さなかった。ベッドに寝ている次男に一瞥をくれることもなく通りすぎる。あまり生き物が得意ではないし、これはこれで仕方ないと諦めていた。
が、お座りができるようになり、動きが激しくなってきた頃から長男が次男と一緒に遊ぶようになった。弟はお兄ちゃんの真似をして、お兄ちゃんは弟の様子を常に気にしている。まさに兄弟。

子どもたちが幼稚園に行くようになり、世界は広がり始めたが、長男と次男はいつも待ち合わせて一緒に遊んだ。「もう少しお友達とも関われるといいんですが。」と先生。
確かに、少しずつでも外界に出た方がいいのはわかる。ただ、二人はいつでも支え合っている。もう少しこのままでもいいと思えた。放置。

長男が小学校に上がる年に末っ子が産まれた。毎度赤ちゃんを抱く度に、こんなに可愛い子がいるとは、と親バカになるが三番目も同じように溺愛した。

これまでアイドルだった次男は必然的に長男に任せることが多くなった。長男がお迎えに来てるのが見えるとささーッとお支度して出て行くのでびっくりします。お兄ちゃんは厳しいんですね、と先生が言っていた。声もかけないのに弟が従い、二人で整然と出て行く姿がお父さんより貫禄だと。

そして母ちゃんから片時も離れたことがない次男に更なる試練が訪れる。一人で寝る。

机と二段ベッドを買って子ども部屋を用意した。自分の子ども時代なら飛び上がって喜んだだろう。今日からお兄ちゃんだよ。二人は毎日ベッドに上がり、私は別の部屋で赤ちゃんと二人の時間を過ごす。順調順調。

ある日コソコソと話し声が聞こえてきた。それも随分遅い時間だ。

「いつまで起きてるの!」
ドアを開けると長男は次男の布団に入っている。

「早く寝ないと明日起きられないよ!」
ガミガミ言う私に長男が言った。

「さみしいって言うから。寝るまで一緒にいたの。」

「え。」

よく話を聞くと、毎晩次男はさみしいと泣き、長男は次男が寝付くまで隣で添い寝をしていたという。

次男は一度も私にさみしいとは言わなかったし、長男も寝つくまで見届けるのは大変だっただろうに長い間愚痴ひとつこぼさなかった。小さいながら私を気遣ってくれたのだろう。赤ちゃんしか見えなくなっていた自分が情けなかった。

今から思えばまだ幼い幼稚園児で、一人でいるのが嫌いな次男に一人で寝ることを強制するなど、よくできたもんだと思う。ここから次男は4年生まで末っ子と私と一緒に寝た。

そんな次男が一人暮らしがしたいとな
ほんとに大きくなったもんだ。

彼らは生きる世界が広がっても、未だお互いを尊敬し支えあえる関係を保っているように思う。それはお互いがお互いの為に使った時間が変わらない信頼を築いていったのだろう。こうしてゆっくり作られる信頼感が家族になっている。二人を中心に家族とか家庭とかいう単位での価値も、少しずつわかりはじめてきた。

みんなで食べるご飯は最高に楽しいし美味しい。

この子たちともう少し、一緒にいられたらいいな。私の日頃の行いが次男に勝ってしまったか、この春晴れて浪人生。

次男ごめんな。

                 (つづく)

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