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恐怖の王と人質たちの42時間 梅川昭美と三菱銀行猟銃強盗殺人事件(後編)

算命学とは、古代中国で生まれ、王家秘伝の軍略として伝承されてきた占術。恐ろしいほどの的中率をもつその占いは、生年月日から導く命式で霊感の有無、時には寿命までわかってしまうという。

本企画は、算命学の占い師・幽木武彦が怪奇な事件・事象・人物を宿命という観点から読み解いていこうという試みである。

今回は稀代のシリアルキラー、「三菱銀行猟銃強盗殺人事件」の梅川昭美について前後編でお送りする。
まずはこちら、前編をお読みいただいてから後編をどうぞ。

 
 それでは後編スタートだ。
 前編では稀代のシリアルキラー、梅川昭美の宿命(命式、人体図)について考察を試みた。

 今回は梅川が起こした二つの事件。そのそれぞれの年の「奇妙な運勢」をひもといてみたい。

 まず初めは、梅川が15歳のときに起こした最初の事件「大竹市強盗殺人事件」である。

大竹市強盗殺人事件

 1963年12月16日。
 広島県大竹市の土建業者の自宅に強盗が入った。
 被害に遭ったのは、土建業者の弟の妻(当時21歳)。刃物で刺されて殺され、金庫などを盗まれた。
 この犯人が、かつて土建業者宅でアルバイトをしていた梅川だった。

 本来なら死刑、あるいは無期懲役が当たりまえの重罪。だが当時の梅川は少年法に守られ、少年院送致処分となった。
 しかも事件から1年半後には、少年院の仮退院を許可されている。
 梅川がこの事件を起こした当時、審判の場で彼と出会った裁判官が感じた不安は、前編で紹介した。
 15歳の梅川は、尊い人命を奪ったことに対する罪悪感など微塵も感じていなかった。
 裁判官は、彼に刑事処分を科せないことに心から不安をおぼえつつ、少年院送致の決定を下したのだった。

 そんな梅川昭美の「1963年」とは、いったいどんな運勢だったのだろう。

 もう「おなじみの」といってもよいかも知れない。
 宿命3干支(年干支、月干支、日干支)に10年に一度変わる「大運干支」(梅川は12歳からスタートした「丙辰」を通過中だった)、その年の年運干支「癸卯」(万人共通。1963年は「癸卯」)を加えた「五柱法」という見方。

 これで見てみると、日支「酉」とこの年の年運支「卯」が「卯酉の冲動」という激しい破壊現象を発生させている。

「冲動」というのは、十二支をぐるりと円環状に並べたとき、対極同士になる十二支同士の組みあわせ。

 もっとも遠くにあるもの同士のぶつかり合いで、たとえば真夏(午)なら真冬(子)、春たけなわ(卯)なら秋真っ盛り(酉)。

 互いに相いれず、正反対に位置するもの同士がぶつかることになり、これで天干が同じだったら「納音」(=人生が180度変わるようななにかが起きやすい)、天干同士も激しくぶつかりあう「七殺」だったら「天剋地冲」(=破壊力最大級の激突)へとエスカレートする。

 この年の梅川には、そんな「冲動」が出ていた。

 しかも、その年にめぐってきていた十干「癸」は、梅川の命式においては「母親」を意味する

 冲動が発生したとき影響を受けるのは、まずその上に鎮座する天干だ。

 つまり「卯」の上にある「癸(母親)」と「酉」の上にある日干「乙」。日干は本人を表すので「梅川自身」となる。

 すなわち、梅川本人とその母親に大きな衝撃を与える強烈な破壊現象が彼の人生に発生する暗示が、しっかりと出ていたということだ。

 梅川は、文字も読めず無教養であった母親を軽蔑し、その人格を激しくゆがませていったという。

 中学時代の彼は「なぜうちだけが貧乏なんじゃ!」と母に当たり散らしていたというが、そんな母親への愛憎入りまじる複雑な思い、世間への怨みつらみが「母親(癸)がめぐってきた年」に暴発したことに、私は運命の不思議を感じる。

 梅川は自分自身を激しく傷つけるとともに、自分をこんなふうにした母親に対しても復讐めいた気持ちがあったのではあるまいか。

 しかもさらに、このときの月運干支(12月)、日運干支(16日)まで加えると、

 事件を起こした1963年12月16日当日の十干も、母親を表す「癸」

 ……偶然なのだとは思うけれど、いささか不気味である。

三菱銀行猟銃強盗殺人事件

 そして。
 それから16年後。
 ついに梅川は、日本暗黒犯罪史にその名を刻印することになる悪魔のような猟奇事件を起こす。
 この事件の概要は前編で紹介した。
 事件の発生は1979年1月26日。この年の梅川の運勢は次のようなものだ。

 この年の年運干支は「戊午」

 なお正確に言うと、1979年の年運干支は「己未」なのだが、算命学では2月の立春を新年の始まりとしている。
 そのため1979年1月の事件発生時は、まだ1978年の年運干支「戊午」が支配
していたことになる。

 ちょっとややこしいが、そうご理解いただきたい。
 すると事件発生時の干支の状態は、

 この年の年運支「午」と梅川の年支「子」が「子午の冲動」という散法の状態を発生させている。またしても激しい激突だ。

 しかもそれぞれの天干が同じ「戊」なので、

①天干が同じ(=戊)
②地支が180度対極に位置するもの同士の「冲動」(=子午の冲動)

 というこの状態は、いわゆる「納音」
 人生が180度変わるような現象が発生する(しやすい)ことが運勢的に暗示されていた(しかも梅川は「午未天中殺」の宿命なので、天中殺まっただ中でもある)。

 こんな「納音」&「天中殺」のとき、ついに梅川は最悪の事件を起こしたのである。その上、この年回ってきた年運干「戊」は、梅川の命式では「父親」を意味する。

 一度目の殺人事件は母親(=癸)が回ってきた年。
 二度目の大犯罪は、父親(=戊)が回ってきた年。

 もちろん、偶然かも知れない。

 だがそれにしても、とも正直思う。

 この年の梅川は「子午の冲動」を包含する「納音」で天干の「父親(戊)」を激しくたたきのめし、しかも、またしてもこのときの月運干支(1月)、日運干支(26日)まで加えると、

 奇妙なことに、今度もまた「母親(癸)」が回ってきた日に事件を起こしている。
 偶然にしてはできすぎな気もするがどうだろう。

梅川を語る「キーワード」

 ちなみに。
 大阪府警捜査第一課の事後捜査によると、梅川は事件が起きるまで何人かの女性と交際をしていたが、参考人供述に応じた複数の女性たちは、みな一様に同じキーワードを口にしたという。

 ――「全裸」。

 梅川は嫉妬で怒り狂ったりすると、一緒に暮らす女性を全裸にして玄関から外に放り出していた(前編で紹介したとおり三菱銀行籠城時も、梅川は女性行員たちを全裸にさせている)。

 この倒錯した欲望こそが、梅川という男の精神の核ではないかと捜査第一課は確信した。だがはたしてその異常性は、幼年時のなにによって形成されたのだったか。

 キーパーソンとなるのは、やはり母親だろうと捜査一課は考えた。しかしすでに梅川はこの世におらず、結局解明には至らなかった。

 父を憎み、母を憎み、おのれの境遇を憎んだ梅川は、1979年1月28日午前8時41分、大阪府警狙撃犯6名による8発の銃弾を浴び、掛けていた席から崩れ落ちた。
 死亡したのは、同日午後5時43分だった。

 梅川に射殺された行員2名を悼む三菱銀行葬には、2000人にものぼる会葬者が長い焼香の列を作った。
 一方、梅川の遺骨はあれほど憎んだ母の胸に抱かれて瀬戸内海を渡り、香川県へ。
 1月31日午後5時半から、母親が間借りしていたかまぼこ製造所二階の八畳間の雨戸を閉め切り、葬儀が営まれた。

 参列したのは母と叔父の二人きりだったという。

-完-

参考資料:
書籍『野獣の刺青/福田洋』(光文社)
書籍『三菱銀行事件の42時間/読売新聞大阪社会部』(新風舎)
書籍『破滅/梅川昭美の三十年』(幻冬舎)
書籍『封印されていた文書 昭和・平成裏面史の光芒 Part1/麻生幾』
雑誌『昭和の謎99 2021年夏号「梅川15歳の殺人」』(大洋図書)
映画『TATTOO<刺青>あり/高橋伴明監督』

著者プロフィール

幽木武彦 Takehiko  Yuuki

占術家、怪異蒐集家。算命学、九星気学などを使い、広大なネットのあちこちに占い師として出没。朝から夜中まで占い漬けになりつつ、お客様など、怖い話と縁が深そうな語り部を発掘しては奇妙な怪談に耳を傾ける日々を送る。トラウマ的な恐怖体験は23歳の冬。ある朝起きたら難病患者になっており、24時間で全身が麻痺して絶命しそうになったこと。退院までに、怖い病院で一年半を費やすホラーな青春を送る。中の人、結城武彦が運営しているのは「結城武彦/幽木武彦公式サイト」。


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