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病気のもと⑩「人生のシナリオ」

僕たちが生きている人生に「シナリオ(脚本)」があるってご存じですか?

そう、その「シナリオ」は、自分でも気づかぬうちに、深いところで僕たちを操り、いったんそのシナリオプログラムにスイッチが入ると、それまでと全く同じように「考え」「反応」し「行動」してしまう。

その結果、いつも同じ現実が目の前に「結果」としてやってきてしまう。

そして、こう思う。

「ああ、やっぱり私は、こういう人生なんだ」

「わたしの人生はいつも同じ、変わらない」

これを「人生脚本」と呼びます。

交流分析理論を打ち立てたエリック・バーン博士博士はこういっています。

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「人間の運命は、頭の外で出会った出来事に対して、頭脳内で何が起こるかによって決まる」

「人はそれぞれ、子ども時代の早期にどのように生き、どのように死ぬかのプランを立て、そのプランを「すべきこと」「すべきでないこと」を告げる「親」の声の形で頭の中に持ち歩き、また「どのようになりたいか」という自分の熱望を「こども」の映像の形で持ち運ぶ。それは脚本と呼ばれる」

「脚本は、子ども時代早期に親の圧力によって作られ、ずっと続く人生のプランだ。本人がそれに抗おうが自由な意思だと言おうが、脚本こそが人を運命へと推していく心理的な力だ。」

「行動パターンは、固定的な反射の遺伝子、原初的な刷り込み、乳児の遊びと真似、親の訓練、社会的飼いならし、そして自発的な創意によって決定される。脚本はこれら全てを含んでいる」

「脚本はコンピュータのプログラムのように働き、プログラムを書いた人がいなくなった後も、ずっとインプットされた順での反応を引き出す。そして規定の結末に導いているのは自分だという幻想を抱きつつ、プログラムに沿って人生という題目を演じていくのである」

つまり、僕たちは子供のころに親(あるいは親に代わるような影響力のある大人)たちとの関係性の中で、気づかぬうち、無意識のうちに「シナリオ」を書いていて、それに気づかないまま、そしてそれに無意識に操られて人生を送っているのです。

前回まで説明していた「ドライバー」も「ミニ脚本」と呼ばれ、瞬間的に反応する脚本として知られています。

僕たちは自分が子供のころに、そんなシナリオを書いたなんて、もちろん覚えていません。

そして、自分がどんなシナリオを書いているなんてことも、もちろん覚えているはずはありません。

人生のシナリオとは、僕たちが毎日生きている「顕在意識」の下に流れる基本プログラムみたいなものでしょう。

それは「おぎゃあ」と生まれた時から書き始められ、9~12歳にはほぼ200~300本のシナリオが書きあがり、ハイティーンのときにいわゆる「よく使うシナリオ」の選別が行われ、20歳を過ぎてからは無意識にシナリオに沿って、そのまんまの反応で生きていってしまう。

そう、シナリオに沿って生きているのって、自動的で機械的な反応で生きているということなんです。

つまり、言葉は悪いけれど、機械化されたプログラム化された「機械人間」と同じなんですよ。

でも、本人的には「これが私だ」「これが俺だ」という自己感覚が強いので、それがまさか子供のころにインストールされたプログラムだなんて、思ってもみないし、ましてや気づいてもいないのです。

そうなんです。

僕たちの「性格」つまり「自我(エゴ)」って、後付けでインストールされたプログラムなんですよ。

エリック・バーン博士はそれをちょっと分かりやすく、しかも時間の推移や人生に与える影響、生き方なんかを加味して「人生の脚本」と呼んでいるのでしょう。

人生のシナリオには3つの種類があります。

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①勝者のシナリオ

勝者というと「勝ち組」「金持ち」「社長」「出世」などをイメージしやすいですが、ここで言う「勝者」はそうではありません。

『自分の可能性や能力を発揮する生き方』

その結果、自分も周囲も幸せにする

ってイメージでしょうか。

②敗者のシナリオ

これも同じく。

『自分の可能性や能力を発揮しない生き方」

その結果、自分も周囲も不幸にする。

あるいは、自分だけ得をするようなことをして、周囲を不幸に陥れる生き方

ってイメージでしょうか。

③非勝者のシナリオ

『勝つことはほとんどなく、他人に追従していく生き方』

ってイメージでしょうか。

バーン博士は口悪く、よく訓練された「奴隷」たちと言っています(笑)。

人は誰でも複数のシナリオを書いています。勝者だけの人、敗者だけの人、非勝者だけの人はいません。

この分野では「勝者」が優位だけれど、この分野では「敗者」が強いというイメージ感ですね。

今回のテーマ「病気のもと」という視点でみてみると、病気になるのはやっぱり「敗者のシナリオ」です。

このテーマ、かなり根深いので、次回以降も深堀をしていこうと思います。

もちろん、僕が肺ガンステージ4Bになったのなんて、「敗者も敗者」どん詰まりの「敗者」ですからね。

恐いのは、自分では全く気づいていなかった、ということです。

自覚ゼロでした。

僕は自分が「勝者」だと思っていましたからね。

アホですよ、アホ(笑)。






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