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危機管理の限界

写真 : カルカッタから120キロ離れた町ミドナプール郊外の貧しい農村(2010年7月) 筆者撮影

紛争地や治安が悪い場所に向かうと、予期せぬ事態にも見舞われます。予期しないので事前に防護策を確立することは困難です。対処法があるとすれば、一つだけになります。それは、取材を諦めるという選択肢です。

これまで話してきた被弾の件もその一つです。ただ、常識的に考えれば、目の前で戦闘が発生すれば、そのど真ん中に飛び込むことはありません。なので、カシミールの件は僕の完全なミス、自業自得です。それとは別の体験を一つお話しできればと思います。

・インド共産党毛沢東主義派(ナクサライト)

僕はフリーなので、なるだけ誰も取材したことがないテーマに手を出したいという思いがありました。マイナーなテーマは需要が少ないですが、競争相手もいません。カシミールの取材がひと段落してしばらく経った2010年夏、新たなテーマに選んだのが毛沢東主義派、マオイストでした。

マオイストと言えば、ネパールが真っ先に思い浮かぶかもしれませんが、インドでも活動していました。裸足に腰巻をして旧式の銃を構えて、ジャングルでインド軍を相手に戦闘をしていました。彼らは貧しい農村を拠点にしており、土地を収奪する外国企業や国営企業、差別を受ける農民や部族民を味方に農民蜂起を掲げていました。赤い回廊と呼ばれるほどインド各地でマオイストは勢力を広げていました。

インドの西ベンガル州の州都カルカッタから2時間ほど列車で向かった先に小さな町があります。ミドナプールです。寂れた町ですが、マオイストの強力な支配地域の一つに数えられていました。僕はカシミールの次はここだ!と気合いを入れ、地元の新聞社の扉をノックしました。自己紹介をして、何か情報があったら、知らせてくださいと伝えた数日後、連絡がありました。

町から20キロほど離れた農村で昨夜、インド軍とマオイストの戦闘があり、マオイストが殺害され、遺体が放置されているという話でした。カメラマンのバイクにまたがり、急いで現場に向かいました。途中に軍の検問がありましたが、朝早いからか、素通りできました。現場には既に3人ほど他のメディアの記者が駆けつけており、待機していました。遺体は村人が回収しおり、その村への立ち入りの許可を求めていると一人の記者が説明してくれました。

・田んぼの真ん中で処刑

待つこと1時間から2時間、ようやく許可が下り、村人が我々を案内することになりました。周りには田んぼと椰子の木のような熱帯植物があるだけで村に通じる一本のあぜ道が永遠と続いています。歩くこと20分、村らしき影も見えない中、遠くから一台のバイクがノロノロと走ってきました。ん?何だろう。迎えかなあ。そんなことを思い、周りの記者もざわざわとしました。

僕ら一団の前でバイクは止まりました。白いヨレヨレのシャツに腰巻きを履いた男が二人、僕らを見渡すと、肩ほどまで髪を伸ばした男が僕に近づきました。怒鳴り声を上げ、瞳は血走り、ひどい興奮状態でした。なんだかよく分からないけど、ヤバイなあと近くにいたカメラマンに助けを求めた瞬間、男はピストルを取り出し、私に向けました。血の気が引き、反射的に手を上げました。

男はもう一人の男と何やら話をしており、周囲のメディア仲間は必死で男たちを説得しているようでした。僕は彼らの言葉は一切分かりません。ただ、刺激しないようにじっと黙ってあぜ道に腰を下ろしていました。15分か20分後、残念ながら、僕は処刑されることになりました。スパイ容疑です。外国人である僕を彼らはインド軍のスパイだと決めつけました。そして、彼らの正体はマオイストを支持する自警団でした。処刑されるとなぜ分かったのか。それは、田んぼの真ん中に連れていかれたからです。

・死を前にして見えた光景

スパイは田んぼの真ん中で殺されます。この一帯では頻繁に田んぼに遺体が転がっていました。理由は見せしめです。貧しい農村を解放する目的でマオイストは活動していましたが、一部ではインド軍から金を受け取り、スパイ活動に従事している者もいました。そのため、農民に恐怖を植え付ける意味でも、スパイの末路を公にする必要がありました。晒し首です。

僕は黙って田んぼの真ん中に座りました。コメカミには銃口が押し当てられました。逃げようとか、抵抗しようとか、一切考えませんでした。それは恐怖で体が動かないのもありましたが、一番の理由は瞳に映る景色に見とれていたからです。処刑が決まった途端、死を覚悟した瞬間、全ての景色が一変しました。まず驚いたのは石です。なんの変哲ない石ころが宝石のように輝いて見えました。土や木々、空に浮かぶ雲、何もかもが輝いていました。座らされた地面に生えていた雑草を愛おしく感じて涙を流しました。僕が生きている世界はこれほど美しかったのかと感動しました。

結局、僕は生き残りました。撃たれる寸前、大勢の村人が男たちに怒り狂いました。あとで理由を聞いて納得しました。まずあまりにもマオイストは村人を殺していました。スパイではないのに怪しいという理由だけで処刑を実行し、村人は不満を募らせていました。さらに、外国人を殺害すれば、後々にインド軍が何らかの理由を付けて、マオイスト掃討作戦と称して村が襲われる可能性がありました。村人は軍とマオイストの間で板挟みになっていました。村人の激しい抗議により、怖気付いた男は僕の処刑を中止しました。すると、不思議と目の前の輝いていた景色が、無味乾燥とした荒れた農村に変わり果てていました。

・防げない不測の事態

解放されると、なぜか僕を処刑しようとした男たちは村を案内しました。貧しいのだと僕に切々と語りかけました。しかし、帰り道、今度はインド軍の検問に捕まり、拘束され、マオイストの自警団にかち合ったこともばれて、国外退去と脅されましたが、日本大使館の説得が功を奏したのか、町から今すぐ出て行くのを条件に許されました。

今回の一件は、果たして予測可能だったのか。土地勘があり、地元でカメラマンをしている人間をガイドに雇い、さらに数人の記者も同行していました。その最中で、たまたま通りかかったマオイストの自警団に捕まり、周囲の仲間の説得にも耳を貸さず、処刑という判断が下されました。そもそも危険な場所に行くから悪いんだ。それを言われたら、返す言葉もありませんが、取材の段取りには落ち度がないように思えます。

リスクを下げることは可能ですが、やはり何が起きるのかは現場に向かうまで分かりません。また処刑されなかったのは運が良かったのですが、これは被弾と同様にして一つ大きな貴重な体験にもなりました。死に瀕した人間が生還することはその人の人生に大きな何かが蓄積されます。その芽を潰すのか実らせるのかは本人次第であり、その結果を待って周りは判断すべきだと思います。マオイストは現在もインドで赤い回廊を広げていますが、僕は諦めました。処刑の経験もそうですが、インドの農村は迂闊には手を出せない恐ろしさがあります。

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主に紛争地を活動拠点として取材を続けています。フリーのジャーナリストです。シリア関連の記事を中心に書かせていただいています。HP http://t-sakuragi.com/ twitter https://twitter.com/takeshisakuragi
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