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★我楽多だらけの製哲書(26)★~キツネにつままれタヌキに化かされたような商品とヒューム~

関東と関西の違いとして、エスカレーターのどちらを空けておくかであったり、マクドナルドの略称であったり、うどんやそばのスープの色であったり、雑煮の餅の形であったりと、そんな事例は枚挙に暇がない。しかし、これらの事例はそれぞれの異なる点があるということで理解することが可能である。

しかし関西出身の知り合いと話をしていて、一番かみ合わなかったと感じたのは、「うどん/そば問題」であった。

私は北海道出身であるが、関東に長く住んでいるので、一応、関東文化圏の常識が自分の常識になっている。関東文化圏では「きつねうどん」というと、「油揚げ+うどん」のメニューを意味し、「たぬきそば」というと「天ぷら+そば」である。この「きつねうどん」は関西文化圏でも同じイメージで通用するのだが、「たぬきそば」のそれは通用しない。関西文化圏において「たぬきそば」は「油揚げ+そば」なのである。

この「油揚げ+そば」というメニューは関東文化圏では「きつねそば」と呼ばれている。しかし、関西文化圏には「きつねそば」という概念はないらしい。同様に、「たぬきうどん」という概念もないようである。だから関西文化圏で「きつね」と言えば、基本的に「うどん」を意味し、「たぬき」と言えば、基本的に「そば」を意味することになる。

関東文化圏は「きつね」という表現と「油揚げ」との結びつきが強く、「たぬき」という表現と「天ぷら」との結びつきが強いため、「きつね/たぬき」という表現は麺の上に乗る具材を意味するものとして浸透している。そして、「具材に関する表現」と「麵の種類に関する表現(うどん/そば)」が組み合わさることで、そのメニューの実態が明らかになる。

一方、関西文化圏では「きつね/たぬき」は「具材に関する表現」ではなく、それ自体がほぼ「麺の種類に関する表現」と同義になっているのである。だから、「たぬきそば」がどのようなメニューを意味するのかについて、関東と関西でのミスマッチが生じるのである。

そして、関西文化圏において「きつね/たぬき」が「具材に関する表現」ではなく、基本的には「油揚げ」のメニューを意味しているということは、「天ぷら」に関わるメニューを意味する表現が別に必要となるわけで、「天ぷら+〇〇」というメニューは「ハイカラ+〇〇」という名称がつけられているのである。なお、ここまでの考察をマトリクス図で整理すると「図①」のようになる。

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この考察を始めるにあたっては、関東文化圏と関西文化圏における「うどん/そば問題」と表記していたが、この問題は「うどん/そば問題」というよりも「きつね/たぬき問題」と言い換えた方が適切だろう。そして、この「きつね/たぬき問題」に一石を投じる商品が、少し前からセブンイレブンで販売されるようになっている。

「赤いきつね」と「緑のたぬき」というカップラーメンは長らく親しまれてきた。この秩序を破壊する商品がセブンイレブン限定で販売されるようになったのである。それが「赤いたぬき」と「緑のきつね」である。これまで「赤いきつね」といえば「油揚げ+うどん」で、「緑のたぬき」といえば「天ぷら+そば」というイメージが定着していた。そのため「赤」は「油揚げ」のイメージカラーであると同時に、「うどん」のイメージカラーであった。一方、「緑」は「天ぷら」のイメージカラーであると同時に、「そば」のイメージカラーであった。

しかしこの新しい商品は、知らず知らずのうちに私たちの中で当たり前になっていたイメージを破壊するものとして登場したのである。

「われわれは直接の原因を知るだけでは満足せず、探究を推し進めて、根本的な究極的原理まで達しようとする。原因のうちにあり、それによって原因が結果に作用する勢力、原因と結果を結合するきずな、このきずなが依存する作動的性質、こういったものを実際に知るまでは我々は進んでとどまろうとはしないだろう。そしてこの結合、きずな、あるいは勢力が実はただわれわれ自身のうちにあるにすぎないこと、つまり習慣によって身に付けた心の規定、ある対象からいつもそれに伴うものへ、一つの対象から 他の対象の生き生きとした観念へわれわれを移行させるようにする心の規定に他ならぬことを学び知るとき、どんなに失望せねばならぬことか。」

これはスコットランドの哲学者・経済思想家・外交官で、イギリス経験論の流れをくむデイヴィッド・ヒュームの言葉である。彼は、外界から得られる経験の純粋性を重視し、その中に因果律(因果関係)があると考えるのは、あくまでも人間の主観的で恣意的な偏見(思い込み)によるものであると考えた。そのため、ヒュームは因果律(因果関係)を外界において知覚することはできず、それは習慣によって生み出されたものにすぎないとして、あらゆる偏見(思い込み)の排除を進めた。

これはさきほどのカップラーメンについても当てはまるものである。私たちは習慣の中で、主観的かつ恣意的に、「赤=油揚げ、うどん」、「緑=天ぷら、そば」という因果律(因果関係)を生み出していたにすぎず、本来、色と具材・麺との間には因果律(因果関係)はないのである。

ヒュームが説いた因果律(因果関係)の主観性・恣意性の主張に衝撃を受け、「独断のまどろみ」からカントが目覚めたのと同様に、私も新たに販売された「赤いたぬき」と「緑のきつね」によって「独断のまどろみ」から解放されたわけである。この2つの新商品によって、色と具材・麺の間に存在すると思い込んでいた因果律(因果関係)は否定された。その結果を整理したものが「図②」である。

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窮屈な因果律(因果関係)から解放されたことで、偏見(思い込み)を持つことなく、「赤いたぬき」、「緑のきつね」だけではなく、これまでの「赤いきつね」・「緑のたぬき」についても、純粋無垢に美味しく食べることができるようになった。

しかし、これまで蓄積されてきた偏見(思い込み)が完全になくなるのには時間がかかるだろう。そこで、偏見(思い込み)から自分を解放するためのトレーニングとして、「きつねとたぬきの間違い探し」を作ってみた。この配列を毎日ランダムに変えたとしても、間違いを瞬時に見つけることができるようにトレーニングしていけば、私の偏見(思い込み)は消え去ることだろう。
#哲学 #ヒューム #赤いきつね #緑のたぬき
#ハイカラうどん #ハイカラそば #マトリクス図
(もう一つの間違い探しは以下に掲載)

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