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【一人で勝手に旅気分】85

(過去の旅についての振り返りです)
★ボランティアキャンプで受けた刺激(2019年9月29日)
3年前のラオス時代は補習校勤務で、授業日が週三日だったこともあり、かなり時間をかけて記事を書くことができていたのだなあと、過去記事を振り返っていて感じます(その中でも、今日シェアする過去記事はかなりの力作です)。

当時は、ネパールのボランティアなどに参加して、それまでの生活では得られなかった貴重な刺激があり、それをエネルギーにして積極的に表現活動していました。

ようやく様々な国がwithコロナを受け入れて、新しい日常が定着しつつあります。私もそろそろ国際ボランティアキャンプへの参加を再開するタイミングかもしれません。

(3年前の投稿)
我楽多だらけの製哲書(2019年9月29日) ~パシュパティナートの荘厳さとシュンペーター~
引き続き7月初めのカトマンズ滞在の振り返りである。
スワヤンブーナート、ボダナートに続いて、私が訪れたのはパシュパティナートであった。
ネパール語は分からないが、この三つがどれも宗教施設であることから「ナート」という音は何らかの共通点があるのではないかという仮説が頭をよぎった。

以前に旅行をしたマレーシアでも同じような出来事があった。クアラルンプール周辺を回っていたとき、所々で「ジャヤ」という音で終わる地名が多いことに気がついた。例えば、ピンク色をしたモスクがとても印象的で、行政新首都として開発が進められている「プトラジャヤ(Putra Jaya)」、総合開発地域としてこちらも開発が進められている「サイバージャヤ(Cyber Jaya)」、他にも「アンパンジャヤ(Ampang Jaya)」、「プタリンジャヤ(Petaling Jaya)」、「タマンジャヤ(Taman Jaya)」などがある。これらの地名に共通する「ジャヤ(Jaya)」であるが、マレー語やインドネシア語で「勝利、栄光」といった意味をもっているので、縁起の良い言葉として地名に使われているのだろう。そして「プトラジャヤ(Putra Jaya)」の場合は、「Putra」がマレー語で「王子」を表す言葉であり、「王子の勝利(または栄光)」という意味のなるのだろう。「サイバージャヤ(Cyber Jaya)」の場合は、ハイテク企業が地域開発に関わっていたりマルチメディア大学があったりして、サイバー関連の地域ということでこのような地名になっていることが分かる。

カトマンズの寺院の名称の場合はどうだろうか。
「スワヤンブーナート(Swayambhunath)」、「ボダナート(Boudhanath、Bouddhanath)」、「パシュパティナート(Pashupatinath)」の共通点は「ナート(nath)」という音で終わっていることである。
ネパール観光について書かれたサイトなどを色々と見ながら、この「ナート(nath)」の意味について調べてみると、
Swayambhu(スワヤンブー=スワヤンブーという地名、創造者という意味もある)、Nath(ナート=神)
BoudhaまたはBouddha(ボダ(ボゥッダ)=仏陀の、仏教の、知恵の) 、Nath(ナート=神、主人)
Pashupati(パシュパティ=万物の)、Nath(ナート=神)
というような記述があった。

ここから「ナート(nath)」が「神」を意味するということは分かったのだが、「パシュパティナート(Pashupatinath)」についてはサイトによってPashu(パシュ=獣)、pati(パティ=王、父)、Nath(ナート=神さま)と記述しているものもあった。当然のことだが言葉というものは、音にしても表記にしても時が経つにつれ変化していくものなので、語源や由来を明らかなものにするのは簡単ではない。
この「Pashupati(パシュパティ)」については、「万物の」と「獣(の)王」とでは意味がかなり違っているので、もう少しこの言葉について調べてみることにした。

そもそもだが、今回訪れた「パシュパティナート(Pashupatinath)」は、バグマティ川の川岸に建っているネパール最大のヒンドゥー教寺院である。このバグマティ川は聖なる川であり、火葬場としても使われているため、遺体を焼いている時には異臭が漂うようであるが、私が訪れたときは運良くなのか運悪くなのか、とにかく火葬はなされていなかった。やはり最大の寺院ということで、敷地自体広いが、寺院に近づくまでの道には多くの露店が出ており賑わいを見せていた。また本殿周辺は撮影禁止ということでライフルを持った兵隊が明らかに撮影している人を呼び止め、画像を消させていた。ただ訪れている人の数と兵隊の数は明らかにアンバランスで、中には見事に撮影に成功している人もいた。私は小心者なので撮影のチャレンジはやめておいたが、その判断が間違っていなかったと感じたのは、本堂脇でこっそり撮影をしていた人が寺院の関係者に思い切り怒鳴られて、服をつかまれ地面に打ち捨てられていた光景を見たからである。しかしこのように後日パシュパティナートのことを調べていると、寺院内にはヒンドゥー教徒以外は入れないという記述が目に付いた。そして寺院には入れないが、入り口から離れた所で寺院内にある金色の牛の像を撮影したというサイトを見つけた。どう思い返しても、私はその金色の牛の脇を通って、色々見て回っていた事実がある。もしかするとヒンドゥー教徒ではないものの、運良くスルーされて見学できたのかもしれない。

そして寺院の中にあった金色の牛の像は、この寺院が崇めている破壊神シヴァが乗り物としている生き物が牛であることに関係しているのだろう。インドやネパールにおいて牛が神聖な生き物とされているのもこのような経緯がある。

さて、このパシュパティという言葉であるが、どうやらシヴァの別名として捉えられているようである。パシュパティという言葉について歴史を遡ると、紀元前10世紀前後のインドの信仰について考える必要がある。現在、インドの大部分の人が信仰するヒンドゥー教の前身にあたるバラモン教が、紀元前10世紀前後に生まれ、教義として確立していったが、このバラモン教の聖典は「ヴェーダ」と呼ばれている。「ヴェーダ」は4種類で構成されており、それぞれ「リグ・ヴェーダ(賛歌)」「サーマ・ヴェーダ(歌詠)」「ヤジュル・ヴェーダ(祭詞)」「アタルバ・ヴェーダ(呪詞)」と呼ばれている。このヴェーダの中に登場する「ルドラ(Rudra)」という神がいるが、この神は暴風雨に関わる神である。暴風雨はその風雨の勢いによって破壊をもたらす恐ろしいものだが、その一方で過ぎ去った後には多くの水と肥沃な土を運んできてくれるので将来的な創造を同時にもたらしてくれるのである。このようにルドラは破壊と創造の二面性を持った神なのである。ヒンドゥー教で信仰される代表的な神として、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァがいるが、ブラフマーは創造、ヴィシュヌは維持、シヴァは破壊を司ると一般的には理解されている。しかし、ヒンドゥー教について調べてみると、そもそもこれらの神は一つの神の異なる側面であると考えられており、それぞれの側面が強調されあたかも独立した神として捉えられているようである。そして、シヴァの破壊というものは、単に破壊して終わりということではなく、新しいものを創造するための破壊なのである。ここからルドラとシヴァの共通性をうかがい知ることができる。

この破壊と創造の関係性、換言すれば破壊と創造が表裏一体であることは、古来より様々な場面で述べられているものではあるが、それを近現代の経済学において理論化した人物が、オーストリアの経済学者であるヨーゼフ・アロイス・シュンペーターである。彼は、前時代の方法は新しい時代の方法として登場する効率的な方法に駆逐されると考え、そのような経済発展の原理を「イノベーション(和訳として技術革新が一般的であるが、実際には技術に留まらない広い概念なので、新結合・新機軸などの方が適切だろう)」と呼んだ。彼はイノベーションとして、新しい生産方法、新しい販売先、新しい組織などを取り上げているが、これは、ある時点で採用された制度や仕組みによって最初は成果を上げたとしても、時間とともに状況・環境が変化し、同様の成果を上げられなくなるという制度疲労から脱却するためのアイデアといえる。企業経営として、成功し続ける企業はこのイノベーションを意識して、戦略を立てているのである。歴史的に見ても、ほとんどすべての国や地域がこのような制度疲労に直面し、そこから脱却するための新しいアイデアを採用するか、しないかで存続と滅亡という明暗を分けている。誰しも、一度成功した方法からの脱却というものは勇気が必要であるし、難しいものである。しかし将来予測をしっかりと行い、次なる方法の模索や実験・検証をし、早い段階に方法を切り替えることができた者が生き残るのである。減退・下降が明白になってから、焦って変更しようとしても手遅れなのである。このようなイノベーションは、それまでの方法を終わらせることと、新しい方法を導入することが同時に起こっているため、シュンペーターの考え方は「創造的破壊」とも呼ばれている。

ルドラとシヴァの破壊はまさに「創造的破壊」なのである。だからこそ現代に至るまで、ヒンドゥー教においてシヴァが絶大なる人気を持っているといえる。もしシヴァが破壊しか司っていなかったならば、シヴァは単に畏怖の対象でしかなく、ここまでの人気を得ることはなかっただろう。破壊そのものは喜ばしいものではないが、その先に更なる発展・成長が待っている、つまり「生みの苦しみ」であり、もっと大きな喜びのための破壊として理解されているのである。

私が訪れたパシュパティナートはシヴァを崇めていることは先ほども述べたが、破壊神シヴァと暴風雨の神ルドラが同一であることは、ヒンドゥー教の聖典である「プラーナ(Purana、Purāṇa)」の記述から分かることである。ヒンドゥー教の聖典には、バラモン教から引き継いだものとして、もちろん「ヴェーダ」があるが、それ以外に、「プラーナ」というインド神話がある。このプラーナは時代とともに増えていき多数のプラーナがあるものの、そのうち特に重要なものは「大プラーナ(マハプラーナ)」と呼ばれている。この大プラーナは18種類であるというのが一般的だが、どの神話がそれに該当するかについて、見解に違いがある。

そのプラーナの一つである「シヴァプラーナ(サイトによっては大プラーナになっていないものもあるが)」には次のような記述がある。
Brahmaji said to Narad:
"When I accomplished my penance, Lord Shiva manifested in his incarnation of Rudra from in between the eyebrows. Half of his body resembled like that of a woman (Ardhanarishwar). I requested him help me in my creational activities. Rudra created his hosts (Rudragana) who resembled like him. I requested him to create the mortals, to which he laughed and said, that he liberated mortals from their sorrow, so how could he fasten them with bondages. Rudra requested me to create the mortals and then he vanished.(Shiva Maha Purana 1.2.18 The Emergence of Rudra-Avatar)

この「Lord Shiva manifested in his incarnation of Rudra from in between the eyebrows.」において、ルドラがシヴァの化身(incarnation)であると述べられている。シヴァプラーナの英文内でこの「incarnation」を検索すると、多くの箇所でシヴァの化身であるルドラというフレーズを見つけることができる。ここからルドラとシヴァの同一性は確認できるのである。

そして、バラモン教の聖典であり、同時にヒンドゥー教の聖典である「ヴェーダ」の一つ「ヤジュル・ヴェーダ」には次のような記述がある。
येषामीशे पशुपतिः पशूनां चतुष्पदामुत च द्विपदम् ।।
Which Pashus do the Pashupati rules? He rules both the two footed and four footed.(YajurVeda 3.1.4)
ここでは「Pashupati(パシュパティ)」はどんな「Pashus(パシュ)」を支配するかという問いに、「二本足と四本足の生き物両方」と答えており、ここから「Pashus(パシュ)」は二本足と四本足の生き物両方を指す言葉であること、そして「Pashupati(パシュパティ)」はそれらを支配する存在であることが分かる。

ヤジュル・ヴェーダではさらにこのような記述が続いている。
तेषामसुराणां तिस्त्रः पुर आसन्नयस्मय्यवमाथ रजताथ हरिणी ता देवा जेतुं नाशक्नुवन्ता उपसदैवाजिगीषन्तस्मादाहुर्यश्चैव वेद यश्च नोपसदा वै महापुरं जयन्तीति त इषु समस्कुर्वताग्निमनीकं सोमं शल्यं विष्णुं तेजनं तेऽब्रुवन्क इमामसिष्यतीति रुद्र इत्यब्रुवन्रुद्रो वै क्रुरः सोऽस्यत्विति सोऽब्रवीद्वरंवृणा अहमेव पशूनामधिपतिरसानीति तस्माद्रुद्र पशूनामधिपतिस्ता रुद्रोऽवासृजत्स तिस्त्रः पुरो भित्वैभ्यो
The Asuras had Tripuras; the lowest was of iron, then there was one of silver, then one of gold. The gods could not conquer them; they sought to conquer them by siege; therefore they say--both those who know thus and those who do not--'By siege they conquer great citadels.' They made ready an arrow, Agni as the point, Soma as the socket, Visnu as the shaft. They said, 'Who shall shoot it?' 'Rudra', they said, 'Rudra is fierce, let him shoot it.' He said, 'Let me choose a boon; let me be overlord of Pashus.' Therefore is Rudra overlord of Pashus. Rudra let it go; it cleft the Tripuras and drove the Asuras away from these worlds.(YajurVeda 6.2.3)

ここではルドラがアスラ(阿修羅、神と敵対する魔族のようなもの)を追い払った功績に触れながら、「Therefore is Rudra overlord of Pashus.」のように、ルドラが「Pashus(パシュ)」たちの王・君主にふさわしいことが述べられている。

また、大プラーナの一つである「ヴァラーハ・プラーナ」にはこのような記述がある。
रुद्र उवाचः
भगस्य नेत्र भवतु पूष्णो दन्तास्तथा मुखे ।
दक्षस्याच्छिद्रतां यातु यज्ञश्चाप्यदितेः सुताः ।।
पशुभावं तथा चापि अपनेष्यामि वः सुराः ।
मद्दर्शनेन यो जातः पशुभावो दिवौकताम् ।।
स मायापहृतः सद्य पतित्त्वं वो भविष्यति ।
अहं च सर्वविद्यानां पतिराद्य सनातन ।।
अहं वै पतिभावेन पशु मध्ये व्यवस्थित ।
अतः पशुपतिर्नाम मम लोके भविष्यति ।।
ये मां यजन्ति तेषा स्याद्दिक्षा पाशुपती भवेत् ।
एवमुक्ते तु रुद्रेण ब्रह्मा लोक पितामह ।।
Rudra spoke:
Let Bhaga get back his eye and Pusa his teeth. Let the sacrifice of Daksa also attain completion. At my sight, O! Deva you have all become Pashus to me and I take you all to me. I thus become your master. I am also the embodiment of all knowledge and also your eternal master. Being thus the master of all you Pashus, I will attain the name Pashupati in the world. Those who sacrifice for me will have the observance called Pashupati. When Rudra spoke thus. Brahma told him affectionately with a smile. Certainly you will be hailed as Pashupati in the world, and the world will gain renown by your name. The entire world will surely worship you.(Varaha Purana in chapter 21)

ここからも「Pashupati(パシュパティ)」は「Pashus(パシュ)」を支配する存在であることや、ルドラが「Pashupati(パシュパティ)」であることが分かる。

資料を引用した考察がかなり長くなってしまったが、「Pashupati(パシュパティ)」という言葉は、「様々な生き物の王・君主」を意味しているということになるだろう。そして、それが破壊と創造を同時にもたらすルドラまたはシヴァのことを指しており、「Pashupati(パシュパティ)」という音自体がルドラやシヴァと同義と捉えられるようになっていると考えられる。

それから「Nath(ナート)」については、もともとはサンスクリット語で「主・主人」といった意味がある言葉で、そこから偉大な存在として「神」というニュアンスも加わっていると考えられる。
そのため、「パシュパティナート(Pashupatinath)」という言葉は、もともとの意味よりもその音が固有名詞化された部分もあり、個々の言葉の意味を分解することは難しく、結局のところ全体として、「万物の神」や「全ての獣の主」や「あらゆる生き物の君主」というような意味になっているのだろう。
今回の考察的投稿は色々な資料の読み解きに時間がかかってしまったが、とても勉強になった。宗教は本当に奥深く神秘的である。それゆえ人々を引き寄せる壮大なる魅力を持っているのだろう。パシュパティナートを訪れていた多くの人々の姿がそれを証明している。

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