見出し画像

【連載小説】 この素晴らしい世界を 【第四回/全五回】

朝方、聞き覚えのないスマホからの緊急ブザーの音で叩き起こされた。送り主は『日本政府』。
テレビをつけると大統領がこう言った。あと24時間で人類は突然の終わりを迎える事になったと。
僕は彼女と最後の日常を過ごす為に、旅へ出た。

 十三時間後。午後七時。

 絶え間なく喋り続けるラジオから、新しい情報がもたらされた。どこか緊張したようなDJの声に、家族となった僕ら四人は無言で耳を傾けた。

「非常に断続的にですが、えー、新たな情報が入ってまいりました。明日未明、落下する小惑星クラスの隕石ですが……落下予想地点が日本の太平洋沖、およそ八百キロということです。これは非常に近い距離という事になるんでしょうか、また新しい情報が入り次第、伝えさせて頂きます」

 僕と紗希は手を握り合った。爪が皮膚に食い込みそうな程、強く。
 地球上の何処に落ちても逃げ場がないと言われていたが、こうやって続報を聞くとその瞬間が近いのだと嫌でも思わされる。酒のせいではなく、鼓動が早くなる。

 その瞬間、外から大きな爆発音が聞こえて来て僕らは一斉に椅子から立ち上がった。そして間もなく、爆発音は連続して鳴り始めた。

「何があったんだ」

 そう言って紗希の父が立ち上がり、玄関を出て行った。

「やだわ、事故かしらね……」

 母が心配そうな顔つきで玄関へ向かうと、外から威勢の良い父の声がした。

「おーい! 来てみろ!」

 外へ出ると、夜空一面に満開の花が咲いていた。爆発音の正体は事故ではなく、花火だった。
 見た事もないほどの量の打ち上げ花火が夜空を埋め尽くし、その音に呼び出された人々が呆けたように夜空を見上げていた。
 花火の音に混じり、遠くから何か聴こえて来る。一体、何の騒ぎだろう。

「こちらー、侠心会! 只今より河川敷にてたこ焼き、焼きそばなどの出店、花火士達によります打ち上げ花火を夜通し催す予定となっております。お金は一切頂きませんので、どうか皆さん最後の夜をお楽しみ下さい! こちらー、侠心会!」

 遠くから聞こえて来た声が徐々に近付いて来ると、黒塗りの街宣車がスピーカーを震わせながら僕らの前を通り過ぎて行った。

「祭りか、彼らなりの任侠を通すつもりなんだな。あれもひとつの生き様だ」

 父は楽しげにそう言うと、楽しげに空を見上げた。空を隠すように、絶え間なく花火は上がり続けていた。

 十四時間後。午後八時。

 僕は紗希と手を繋ぎ、夜の河川敷へ向かった。途中、何度も子供達の群れが笑い声と共に僕らを追い越して行った。 

「これが最後のデートになるのかな」
「何言ってるのよ。夫婦になってから初めてのデートよ」

 紗希は楽しげな顔で、けど少し残念そうな声で呟いた。
 明日、世界が終わる。けれど、そんな事を忘れたように夜の河川敷は沢山の人で溢れ返っていた。

 色とりどりのネオンの飾り付けに、焼きそばやたこ焼き、その他にも豊富な屋台が並び、続々と空に打ち上げられる花火が夜を彩っている。

 河川敷ではカラオケ大会まで催されていて、ステージでは千鳥足の大人が代わる代わる登場し、子供達はお面をつけて光る腕輪を嵌め、あちらこちらで走り回っている。
 若いカップルは花火を眺めながら口付けを交わし、家族連れはシートの上で最後の団欒を過ごしている。焼きもろこしを売る店員は汗を流しながら、それでも活き活きとしていて、誘導係の強面の男は小指のない手で必死に導線を案内していた。
 あちこちから零れる笑い声と、太鼓を鳴らす青年達の掛け声。
 その全ての光景が美しく思えて来て、僕は差し迫る終わりも関係なしに感動してしまう。
 最後の最後に見た人の織りなす景色の優しさに、たまらず視界が揺れる。

「なんか、俺さ。人間に生まれて来て良かった」
「何よ、ずいぶんスケールが大きい話じゃない」
「いや、もっと酷い世界に生きてるって思ってたからさ。世界が終わる日が来たら、皆で殺し合っちゃうような。そういう奴らばっかりだと思ってた」
「そうね。でも、そんな世界じゃなかったね。世界が終わる前に、皆でこうして愛し合っちゃうんだもん。ラジオのDJも、お巡りさんも、皆この世界が好きなんだよ」

 小指のない誘導員の応援に駆けつけた警察官が、誘導灯を手に行き交う人達を誘導し始めた。任侠人と警察官が力を併せている姿が、僕はなんだかとても微笑ましく思えた。なのに、明日で全てが終わってしまう。

 その光景に目を奪われていると、紗希が楽し気な口調で僕に言った。

「ねぇ之彦、未来の話がしたい」
「もうすぐ終わるのに?」
「うん、せっかく夫婦になったんだから」

 未来の話。それが例え空想や妄想になってしまっても、夫婦にとって大事な話に違いない。僕は彼女に訊ねる。

「じゃあさ、紗希にはどんな未来が見えてる?」
「家族皆で笑ってる未来が見えてる。私達の家族はね、どんなことがあっても、どんなに離れていても、会った瞬間に家族っていいなぁって思える、そんな家族なの。何歳になっても子供達にね、やっぱり親父って頼もしいなぁとか、やっぱりママは分かってるなぁなんて思ってもらえるような。そんな未来」
「親父はやっぱり頼りないなぁ、なんて言われたりしないように頑張らないと」
「いいのよ。その時は「あれがパパなのよ」って言い聞かせるから」
「だったら俺は息子に愚痴を聞いてもらおっかな」
「ダメよ。その頃には例え息子であっても私の味方なんだから」
「ずるいよ、一人くらい俺に味方付けてくれよ」
「大丈夫よ。あなたはいつだって自分を犠牲に出来る強い人だもの。だから、選んだの」
「今、俺の事「あなた」って呼んだな」
「嘘? 自分でも気付かなかった」

 ビールを手に、僕らは笑い合った。人はこんな風にして当たり前のように、当たり前に見える夫婦になっていくのだろう。こんな新しい発見が楽しく、そして何よりも寂しい。

 十六時間後。午後十時。

 河川敷を後にして紗希の実家へ向かっていると、ポケットに入れたきり存在を半ば忘れていたスマホが鳴った。
 偶然電波が入ってメッセージを拾えたのだろう。
 画面を開くと母親からのメッセージが表示された。

【電話が繋がらないので、最後に届く事を願ってメッセージを贈ります。之彦へ。お父さんもお母さんも、之彦の親であれた事が本当に幸せでした。之彦が生まれた頃、私達は自分達が親になれるかとても不安だった。でも、之彦が見せる笑顔や泣いた顔、怒った顔を見ているうちに親になった喜びが湧いて、私達の自信になりました。私達が親になったんじゃなくて、之彦のおかげで私達は之彦の親になれました。本当に感謝してます。生まれて来てくれて、ありがとうね。お父さんとお母さんは、之彦が生まれ育った景色を眺めながら最後を迎えようと思います。之彦が紗希ちゃんと二人で最後を迎えられるように願っています。あっちへ行ったら、またよろしくね。紗希ちゃん、之彦をよろしくね。未来のばぁばより】

 鳴り止まない花火の下で、僕らは静かに泣いた。
 訪れるはずだった未来を叶えられない事に、無力を感じた。
 繋がらなくなった電波がほんの一瞬だけ掴んだ手紙の送り主へ向かい、僕と紗希は頭を下げた。

 紗希の実家へ戻ると、リビングでは父と母が手を繋いで映画を見ていた。僕らが帰って来た気配には気付いているのだろうけど、熱心に画面に見入っていて振り返りはしなかった。
 映画はとても古い昭和の恋愛ものだった。二人の思い出なんだろうか。僕らは二人の邪魔にならないように、音を立てずに静かに階段を上った。

サポート頂けると書く力がもっと湧きます! 頂いたサポート代金は資料の購入、読み物の購入に使わせて頂きます。