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記憶の綱引き

この写真はいつどこで撮ったのだったかな?と思い出せない写真が稀にある。その写真の前後に撮ったものを見れば大抵がああこれはあそこに行った時に撮ったものだとわかるのだけど、出先で一枚しか撮らなかった写真だったりすると前後の繋がりが見えてこないので、いつまで経っても親の名前を言えない迷子の子供のようになることがある。

現像から返ってきたフィルムのデータを整理していたら、この写真もはてどこだったかな?となった。前後には同じように海辺で妻を撮った写真が連なり、その一連の海辺写真の前後は自宅だったり京都だったりしたからこの写真をどこで撮ったのかが思い出せない。ああ、この子もまた迷子か。

フィルム写真を現像に出す時は(島根に送るため)送料の都合から数本まとめて現像に出す。二、三ヶ月前に撮った写真が現像待ちの状態で我が家の冷蔵庫に眠っているなんてこともよくある話だ。現像から返ってきた写真データだけを見てもデジタルで撮ったものと違い正確に何月何日に撮った写真か分からない。

去年撮った写真には違いないから伊勢に行った時かな、でも伊勢では海に行ったかな、なんて記憶を辿るのだけどやっぱり分からない。分からないことを分からないままにしておくのは気持ちが悪いのだけれど、2020年の記憶をどれだけ綱引きして手繰り寄せてもその日の記憶が手元に届かない。延々と続く思い出の綱を当てもなく引き続けているような気分だ。

無力な綱引きはしばらく続いたのだけれど結局この写真をいつどこで撮ったのかは分からず仕舞いだ。ただ目の前に妻を撮った事実がある。これで満足するしかないようだ。これからも度々迷子の写真と出会うだろう。その時の対処法は未だに分からないけれどそんなもんだと受け入れるしかなさそうだ。

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