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毎週一帖源氏物語 第三十六週 柏木

 巻の名前は変わっているが、柏木巻は若菜上下巻との結びつきが強い。三部作の締めくくりという印象を受ける。

柏木巻のあらすじ

 衛門の督の容態は、年が改まってもよくならない。本人も先は長くないと覚悟しているが、やはり宮のことが気にかかる。小侍従を介して文を遣わし、その返りを受け取る。煙を読み込んだ歌を見て、「いでや、この煙(けぶり)ばかりこそは、この世の思ひ出ならめ」(274頁)と嘆息する。
 宮は産気づき、男君が生まれる。源氏はそれを聞いて、罪の報いと受け止めつつ、現世で応報を受けたからには来世での罪は軽くなるのではないかと期待もする。源氏に疎まれるのを感じ取り、宮は出家を望む。源氏はそれをたしなめるが、内心ではむしろそれを歓迎する。宮は心細さから父院に会いたいという希望を漏らし、院は人目を忍んで六条の院に渡る。宮は改めて出家を望み、院はそれを容認する。「御髪(ぐし)おろさせたまふ」(285頁)。院が山に帰ったあと、もののけが姿を現し、うまくやったと笑う。
 衛門の督は宮の出家を聞いて、意気消沈する。帝の配慮で権大納言に昇進したが、もはや病床を離れられない。見舞いにやって来た大将の君に、衛門の督は六条の院の不興を買ったことをほのめかす。そして一条の宮を見舞いに行ってほしいと頼む。ほどなくして、「泡の消え入るやうにて亡(う)せたまひぬ」(295頁)。残された人々の悲しみは、ひとかたではない。
 弥生になり、若君の五十日(いか)の祝いが執り行われる。気のせいか、源氏の目には若君があの人に似ているように思われる。源氏は若君を置いて出家したと言って、宮を責める。
 大将は、最期の言葉を気にかけている。何となく察せられることもあるが、確証は持てない。院にもそれとなく尋ねてみたいが、その機会がない。
 ひっそりと静まった一条の宮を弔問に訪れた大将は、御息所の応対を受ける。御息所は、皇女(みこ)はよほどのことがなければ夫を持つべきではなかったと、後悔している。このときの様子を知らされた致仕の大臣は、悲しみを新たにする。
 卯月になり、大将はまた一条の宮に赴く。庭の柏木と楓の枝先が一つに合わさっているのを見つけて、大将は「葉守(はもり)の神のゆるし」(313頁)もあると詠みかけ、それとなく意中をほのめかすが、御息所は慎重な姿勢を崩さない。

柏木の名の由来

 女三の宮と密通して薫をもうけた衛門の督のことを、柏木と呼ぶ。事情がつかめないうちは、苗字のようなこの呼称がどうにもしっくり来なかった。名の由来を早く知りたいと思いながら、ようやく柏木巻に辿り着いた。しかし、まだ何も明かされないうちに、衛門の督はこの巻の半ばで世を去ってしまう。この人と柏木という名が結びつけられるのは、巻末付近のことでしかない。
 衛門の督は、いまわの際に女二の宮(落葉の宮)の世話を夕霧に頼んでいた(「一条にものしたまふ宮、ことに触れてとぶらひきこえたまへ」(294頁))。夕霧はこれを受けて一条の宮を頻繁に訪れ、女二の宮に心惹かれるようになる。しかし、対面するのは常に母の御息所である。夕霧が柏木と楓の枝先が一つになっていることにかこつけて、柏木に宿るという葉守の神のゆるしがある(から女二の宮との仲を認めてくれ)と詠みかけたのに対して、御息所は

柏木(かしはぎ)に葉守(はもり)の神はまさずとも
  人ならすべき宿の梢(こずゑ)か

柏木、314頁

と返す。この贈答がもとで、衛門の督を柏木と呼ぶことになったという。本人の歌に基づかないのが物足りない気もするが、「柏木」にはもともと「(柏の木に葉守(はもり)の神が宿ると考えられていたことから)皇居守衛の任に当たる、兵衛・衛門のたとえとして用いる」(『日本国語大辞典』第二版、項目「かしわぎ」)という意味があり、この歌のやり取りがなくてもこの人を柏木と呼ぶことに支障はないのだろう。
 それはよいとして、柏木と楓が連理の枝になっているのを、なぜ夕霧は自分と落葉の宮の行く末になぞらえられるのだろう。柏木は柏木であって、夕霧ではないのに。

本人の口から語られるとどめの一撃

 柏木は夕霧に、源氏への執り成しを頼む。あからさまにすべてを打ち明けることはできないが、源氏の不興を買ったことは包み隠さずに述べる。

六条の院にいささかなることの違(たが)ひめありて、月ごろ、心のうちにかしこまり申すことなむはべりしを、〔……〕病づきぬとおぼえはべしに、召しありて、院の御賀の楽所(がくそ)のこころみの日参りて、御けしきを賜はりしに、なほ許されぬ御心ばへあるさまに、御目尻(まじり)を見たてまつりはべりて、いとど世にながらへむことも憚り多うおぼえなりはべりて、あぢきなう思うたまへしに、心の騒ぎそめて、かくしづまらずなりぬるになむ。

柏木、292-293頁

 やはり、源氏の勘気に触れたことが致命傷となったようだ。源氏には常人離れした神々しさがある。柏木は瀆聖の罪を犯し、その重みに耐えかねて死んだのだ。

出家後も六条の院に住み続ける女三の宮

 六条御息所の死霊に取り憑かれて、女三の宮は源氏の反対を押し切って出家する。父の朱雀院は出家後に西山の寺にこもったが、娘の女三の宮は俗世を思い切るわけではない。相変わらず、六条の院に住み続ける。

薫への複雑な感情

 女三の宮が生んだ男君を、源氏は自分の子だとは思っていない。父親は柏木だと信じている。そのせいで、どうしても慈しみ方が十分でないように見える。産養の儀でも、「大殿(おとど)の御心のうちに、心苦しとおぼすことありて、いたうももてはやしきこえたまはず、御遊びなどはなかりけり」(277頁)。
 その一方で、「抱(いだ)き取りたまへば、いと心やすくうち笑(ゑ)みて、つぶつぶと肥えて白ううつくし」(299頁)と映る若君をかわいいと感じる気持ちはある。そして、五十八歳にして初めて子をもうけた白楽天の詩の一節「静かに思ひて嗟(なげ)くに堪へたり」(同)を口ずさむ。このとき、源氏は四十八歳(「五十八を十(とを)取り捨てたる御齢(よはひ)」(300頁))。老境を意識せざるを得ない。

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