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川を遡上しながら、家族の地理的拡散について考える

 チリ南部のコジャイケを離れる。この街での目的は二つあって、一つは図書館での資料集めと、あと釣り。コジャイケは、ニジマスやキングサーモンが釣れるってことで、スポーツフィッシングをする人たちが集まるメッカなのであります。ここ4日間は毎日釣りで、なぜかタイトルにもある通り、家族の拡散について考えていた。

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故郷っていいよね

 資料集めのほうは全然ダメ。公共料金の値上がりが若者の怒りをかったため、街の施設に石が投げ込まれたりしていて、図書館は一時閉鎖していた。向かいの郵便局で話を聞くと、一カ月前からもうずっと閉まってるらしい。

 それをいいことに釣り三昧となったわけだけど、改めて自然の中を散策するって無茶苦茶に気持ちがいい行為で、ぼくは果たして帰国してから何か東京でやるべきことがあるかと考えた。都会は非日常で十分。最近のネット検索履歴を見ると「岐阜 就農」とかそんなんばっかりの有り様になってしまった。

 ところが、ぼくの実家は東京にある。東京といっても八王子だから随分と田舎なんだけれど、「岐阜 就農」でググってるぼくからすると、相対的にかなり都会。人の暮らしぶりやどことなく感じる価値観も都会的。ただ、故郷ということで仲間も多いし、家族もいる。ぼくは八王子や、そこでの仲間・家族と過ごす時間が大好きだ。そんなわけで、「メロン 高利益」とかググっていたぼくは、チリ南部の川で竿を振りながら、家族の拡散について考えていた。

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日本とチリとフランス

 釣りのポイントまでの行き帰りは、タクシーやヒッチハイクで移動しなきゃ行けない場合がある。そんなとき車内の会話はだいたい家族やコジャイケあるいは日本について。うちの子は首都・サンティアゴにいるとか、アイセン生まれ・アイセン育ちだとか、逆にこっちの家族の話とか、最近のコジャイケがどうとか。

 話している限り、チリでは大卒者は就職や結婚を機に子どもが故郷を離れるケースが多い。若者はいい仕事を求めてサンティアゴに行きたがるという話もよく聞く。逆に、田舎では静かな生活を求めて来たというサンティアゴの人にもよく会った。もちろん、割合としては少ないけれど。

 この間拾ってもらったカップルは、フランス出身。チリで働いている。なぜチリで働いているのか理由を尋ねると、男は「家族と程よい距離をとるためさ。いや冗談だけどね」と言って、助手席の女も同意を含めたようにクスッと笑った。彼らによると、フランスでは実家を出る子どもがマジョリティらしい。この辺は、チリも日本もフランスも同じような現象・価値観があるなあと思う。もっとも、フランスの二人ほど離れる人も少ないと思うが。

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沖縄とペルー

 家族の地理的拡散に思考を巡らせる理由がもう一つある。それは、家族やコミュニティが密になって暮らすことの素晴らしさ。ぼくは大学の4年間を沖縄で過ごして、それを実感した。

 4年間というのは、何というか沖縄のイズムを取り入れるのに十分な期間だったと思う。書こうと思えば、いくらでも書けるけれど、簡単に言ってしまえば、社会がより家族を中心に回っていると感じた。そういう、家族が集まってコミュニティが形成されている雰囲気が好きだった。

 大学卒業後は、南米・ペルーで2年間。ペルーは沖縄よりもずっと家族的だった。3世代が一緒に暮らすことも珍しくない。田舎だと、家族でやっていくこと以外に選択肢がないという事情もあった。孤独とどう向き合うかなんて話は、ペルーで一度もしたことがない。沖縄イズムのままペルーにいったもんだから、その家族コミュニティマンは、より一層家族主義を強めて帰国した。


故郷の拡張

 ただ、今回の南米滞在では、その考えも刷新されつつある。東京でやるべきことが見当たらないというほかに、新しい口実を見つけた。

 日本は小さすぎる。例えばペルーにいたとき、日本の友達に「近所のビーチで初めてサーフィンした」なんて話をしていて、どれくらい近いかを聞かれたので「バスで3時間」と答えると、「全然近くねぇよ!」とツッコまれた。

 これはチリでもそうだが、バスで3時間なんて近場だ。今向かっているプエルトモントという港湾都市からチロエ島のカストロという観光名所まではバスで4時間強だが、これも近場の範疇。同じロス・ラゴス州だし。だから、日本に帰っても高速バスで片道4時間半くらいは近場とみなすこととしよう。

 だいたい、交通インフラの発達で土地の概念は刷新され続けて来たはずだ。新幹線ができて近場と呼べる範囲が広がっただろうし、格安航空会社によって旅行の範囲もだいぶ広がった。先日、ベトナムを旅行中の友人からLINEが来たので、チケット代を尋ねると「急で取ったから往復48000円」というじゃありませんか。

 もっと言えばインターネットはとっくに人間を地理的制約から解放している。チリで働くベネズエラの夫婦を知っているが、暇があればワッツアップで故郷の家族と連絡を取っている。ネットがあれば、古き良き家族主義も貫けるというものだ。もう地方とか都会とか言ってないで、両方を行き来する2拠点生活みたいなものを実現したいと真剣に考えている。

離れて生まれる故郷愛

 さらに生き物は本来、移動を繰り返し繁栄するものだ。ずっと同じ生息域に留まり続けることは、自然界の理からすると不自然極まりない。

 そんなこんなで、もしかしたら帰国後は故郷を離れるかもしれないと思っている。ただ、それは地理的な話であって、ネット以前に精神は地理的制約を受けないので、それは故郷愛が薄いという事実を導くことはない。

 むしろ、故郷を一度も離れたことがないと見えない、あるいは離れることで再確認できることも沢山あるはずだ。好きな詩に、吉野弘の「虹の足」という詩がある。虹の中にいる人は、自分が素敵な虹色の世界に身を置いているとは分からない。そういうことと同じだ。国語の教科書に載っているこの詩が読みたくて、詩集をAmazonで購入すると、目次の「虹の足」には赤線が引いてあった。

 だからぼくが故郷の範囲を拡張させて、例えば八王子以外の土地に身を置いたとしても、それは八王子を離れることにはならない。むしろ一層執着するかもしれない。何となく、八王子市民にはそういう奴が多そうだから特別なことでもないけれど。そんな想像をしながら、川を遡っていた。釣ったブラウントラウトを見てふと思った。ーー鮭だって大海を旅して、生まれた川に必ず戻るじゃないか。岸に上がったブラウントラウトは艶々で精悍な顔立ちをしていた。

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疲れたときこそ!
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ライター兼ラテンアメリカ愛好家。日本流通産業新聞の記者を経て、かつて2年間暮らした南米に渡航。チリのサーモン養殖などを取材。月刊養殖ビジネスや業界新聞に寄稿。現在は、岐阜県飛騨市が主な棲み家。