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夢のゆくえ -銀河鉄道の夜- ②


 第二章 旅のはじまり

 月日はながれ、寒さのきびしい冬の季節がやってきました。
 タルカは鉄道会社で見習いとしてはたらいていました。――その主な仕事内容は、荷物の積み下ろしや乗客の案内、それから駅構内の掃除といったものです。朝はやくから日がしずむまではたらき、仕事が終わると下宿に帰って夕食をすますと、すぐにベッドに入ってねむるという日々のくりかえしでした。それらの日々はとてもらくな生活とはいえませんでしたが、すこしでもはやく見習いを卒業して汽車の運転方法や整備の仕方を教わりたいとおもっていたタルカは毎日勤勉にはたらきました。
 そのころ、妹のエマも毎日学校に通うようになっていました。レイチェルおばさんのところの末っ子がエマと同学年だったため、二人はいつもいっしょに登校しました。はじめのうちはなかなか新しい環境になじめていないようでしたが、近頃はともだちも何人かできたようで、食事の折などにそのことをたのしそうに話すエマの様子を見て、タルカも少し安心するようになっていました。
 その年の暮れはとくに寒さがきびしく、連日記録的な雪が降り積もりました。あたりの景色はまたたく間に白銀の世界に変わり、高く積もった雪の影響で汽車は動かすことができず、鉄道会社はしばらくのあいだ休業ということになりました。
 エマは、いつもいそがしくはたらいていっしょにいられる時間の少ない兄が、ここ数日はずっとそばにいてくれるのでとてもよろこんでいました。タルカも、しばらく妹にかまってあげることができなかったその埋め合わせをするように、トランプで遊んだり本を読んであげたりして、のんびり休暇を過ごしていました。
 そんなある日のこと、妹の様子がいつもとちがうことに気がつきました。椅子にすわったままぼおっとしていたり、頬は赤くほてって目はうつろ、食欲もありません。
 レイチェルおばさんが心配して体温をはかってみるとたいへんな高熱で、これはいけないとおばさんはすぐにエマをベッドに寝かしつけ、氷枕こおりまくらを用意しました。
「風邪を簡単にみてはいけないよ。こじらせると、長患ながわずらいすることだってあるからね。ほんとうなら、すぐにでもお医者様にみてもらったほうがいいんだけど、この大雪じゃ病院につれていくこともできないし、今からお医者様をよんだところでいつになるかねえ……」
 町にはちいさな診療所がいくつかありましたが、この時期はどこもいそがしく、医者はおおよそ出払っていることが多いのです。大きな病院は都心にしかなく、そこまで行くには汽車に乗って移動するか、馬車で長時間かけて行くしかありませんでした。
 そのため、ひとまず今は様子をみることにして、なかなか熱が下がらなかったり、病状が悪化するようなことがあれば、近くの診療所に医者を呼びに行くということになりました。
 タルカはほとんど付きっきりで妹の看病をしました。近所の商店で買ったリンゴの皮をむいて、食べるようにすすめましたが、エマは首を小さく横に振っただけで食べませんでした。
 つぎの日も、そのまたつぎの日も、エマの熱が下がることはありませんでした。そこでかねてから決めてあったとおり、レイチェルおばさんは診療所までお医者さんを呼びに行くことになりました。
 ですが、外はあいかわらずの悪天候、風雪は弱くなるどころか、ますますはげしくなるばかりです。レイチェルおばさんは厚手のコートを身にまとい、足もとは頑丈なブーツをはいて外出の準備を整えているあいだに、夫のドルトンおじさんは馬車の手配をしました。
「もし、あたしたちがいないあいだになにか困ったことがあったら、エレーナさんか、二階にいるブルックさんに相談しなさい。それじゃあ、おるすばん頼むわね」
 そう言うと、おばさんとおじさんは馬車に乗り込んで出発しました。
 おばさんたちが乗った馬車は吹きすさぶ風雪と煙のなかに消えて見えなくなりました。タルカは家の中に入り、エマがねむっているベッドのそばにある椅子に腰かけ、しばらく本を読んだり、氷枕の氷を取り替えたりしていましたが、そのうちウトウトとまぶたが重くなってくると、いつのまにかねむりにおちてしまいました。


 ふと目をさますと、部屋の中はすっかり薄闇につつまれ、時計の針が時をきざむ音だけがむなしく響いていました。
 いったいどのくらいの間ねむっていたのか、目をこすりながらあたりを見まわしてみると、ねむっていたはずのエマが、ベッドの上でからだを起こしたまま窓の外をじっとながめている姿が目に映りました。
「どうしたの? まだ熱が下がってないんだから、ねてなくちゃだめじゃないか」
 返事はありません。エマはうわの空で窓の外をながめています。やがてハッとしたように兄のほうを見ると、「お兄ちゃん、どこかから、汽車の音がきこえる」と言いました。
「汽車の音?」
「そう、汽車が走っているときにきこえる音」
 タルカは怪訝けげんな表情をうかべながら耳をすましてみましたが、そのような音はきこえてきません。窓の外をながめてみると、先刻までの猛吹雪はすっかり鳴りをひそめ、おだやかな町の風景がひろがっていました。青白い月明かりが、銀世界の地上を幻想的に照らし出しています。
「汽車の音なんてきこえないよ。ちかくには駅も線路もないし、それにこの雪じゃ汽車も走ってないさ。きっと熱のせいで幻聴がきこえたんだ。さあ、いまは安静にしてねていなさい、いいね」
「でもね、ほんとうにきこえたんだよ。ほんとうだもん」
 そう言うとエマは窓を開け放ち、外の様子をながめようと身を乗り出しました。
「ばか、寒いじゃないか。窓を閉めなさい!」
 しかしエマは窓から身を乗り出したまま、遠くからきこえてくる音に耳をすましていました。
「ほら、きこえる。お兄ちゃん、やっぱりあれは汽車の音だよ」
 タルカも窓から身を乗り出して、きこえてくる音に耳をすましてみましたが、やっぱり汽車が走る音などきこえてきません。町のなかはしんとしずまりかえり、街灯の明かりだけが薄霧と夜気でうるんでいます。外の空気はこごえるほど冷たいはずでしたが、ふしぎなことにまったく寒さを感じませんでした。そのときふとタルカは、おばさんたちはまだもどってきてないのだろうか、とおもいました。
「やっぱり汽車の音なんかきこえないよ。さあ、もう窓を閉めるよ」
「だめ、ぜったいにきこえたよ。汽車が、どんどん近づいてくる音がきこえるんだもん」
 そう言うとエマはベッドの下にある自分の靴をはき、開いた窓から外にとびだしました。
「あ、エマ、もどってきなさい!」
 タルカはあわてて妹を制止しようとしましたが、エマは雪の上を走ってどんどん遠くへ行ってしまいます。しかたなくタルカも窓から外にとびだすと、エマのあとを追いかけました。
  自分たち以外に外を出歩いている人はひとりも見当たりません。周辺はおそろしいほどの静けさで、まるで町全体の時間が止まっているかのようでした。
 エマは、見えないなにかにみちびかれているように、一度も立ち止まることなくずんずんと走っていきました。
 タルカも必死にエマを追いかけましたが、なかなか追いつくことができず、いったいどこを走っているのやら、また、いま自分がどこにいるのかさえわからなくなっていました。
 やがてエマの足がぴたりと止まり、ようやくタルカは妹に追いつくことができました。どうやらそこは開けた場所のようでしたが、ちかくには街灯らしいものがなにもなく、あたりは薄暗くてほとんどなにも見えません。かかる雲のすきまから差し込む月明かりの下で確認できるのは、壊れた看板やぼろぼろにくずれた乗降場、それから使われなくなって久しい鉄道の線路です。
 どうやらここはずいぶん前に放棄された廃駅であることがわかりました。しかしタルカは、こんな場所にこんなすたれた駅があったことなどまるで知りませんでした。
 壊れた看板にはもともと駅名が書かれていたようですが、いまとなっては読み取ることもできません。
「この駅はもう使われてないみたいだ。いくら待っても汽車なんてこないよ。さあ、宿にもどろう。病気が悪化しちゃうといけない」
 しかしエマは兄の言うことには耳を貸さず、線路の先にひろがる暗闇をじっとみつめています。
「エマ、いいかげんにしないと――」
 そのとき、遠くから汽笛の音がきこえた気がして、おもわずタルカは言葉をのんであたりを見回しながら耳をそばだてました。すると、こんどは汽笛の音とともに、ボッボッボッボッという蒸気の排気音がかすかにきこえてきます。やがて、暗闇のなかにぽつんと浮かぶちいさな光が現れました。光はこちらにむかって少しずつ接近しています。汽車が走るガタゴトという音もますます明瞭になってきました。そしてついに、立派な汽車がもうもうと煙を吹き出しながら兄妹の前を通過しました。汽車はつんざくような汽笛の音とするどいブレーキ音を響かせながら減速し、駅の所定の位置に停車したのです。
 タルカはしばらく呆気にとられたまま、一歩も動くことができませんでした。妹のエマは兄の上着のそでを引っぱりながら、「ほらね、やっぱり汽車が来たでしょう?」と、得意げな顔です。
 こんな夜更けに、しかもこんな廃駅に、汽車が停まるなんてことは通常ならありえないことでした。それに、現在この町の鉄道会社は大雪の影響で休業しているはずです。よしんばなにかの手違いで汽車がここに迷い込んできたのだとしても、事前になにも連絡がないのは奇妙なことだとおもわれました。
 たちこめる白い蒸気で一時は周囲がよく見えなかったのですが、しばらくして視界がはっきりしてくると、やはり目の前には月明かりを照り返してピカピカと光っている黒い蒸気機関車が停まっているのでした。
 あらためてよく観察してみると、タルカが知っている汽車よりもいくぶん旧式の型であるように見受けられました。また、後部には四両編成の客車が連結牽引けんいんされていましたが、いくら待てども乗客が降りてくる気配はありません。車内は照明が灯っていたため、中のようすを確認することができましたが、ざっとみたところ乗客の姿は見当たりませんでした。
 ふと、ついさきほどまでとなりにいたはずの妹がいないことに気がつきました。どこにいったのか、あわててさがしてみると、最後尾の客車のなかにきょろきょろと車内を見てまわるエマの姿をみつけました。タルカはとびらを開けて客車の中に入ると、妹をつかまえて、たしなめるように言いました。
「勝手に乗り込んだらだめじゃないか。みつかったら怒られるよ」
「でも、この汽車、だれも乗ってないよ」
 エマが不服そうに言い返します。
「それでも、勝手に乗っちゃだめなんだ。ほら、はやく降りないと……」
 タルカはエマの手を引きながら汽車を降りようとして、とびらに手をかけました。ところが、とびらはかぎでもかかっているのか、開けようとしてもびくともしません。
 そのときです。前方でけたたましい汽笛の音が鳴り響きました。乗降場はふたたび白い蒸気につつまれ、汽車はゴトンと重量のある振動と音を伝えながらゆっくり動き出したかとおもうと、そのまま出発してしまったのです。




(つづく)