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夢のゆくえ -銀河鉄道の夜- ⑤


 第五章 動物たちの楽園

 つぎの停車場に着くまでのあいだ、かなりの自由時間があったため、三人は窓の外の風景をながめながらたのしくおしゃべりをしたり、少し居眠りをしたりして時間を過ごしました。
 そうこうしているあいだにも、車窓からみえる風景はさまざまに変化してゆきます。ついさきほどまできらきらとかがやく靄のなかを走っていたとおもったら、もうつぎの瞬間には無数の光のつぶがまたたく暗黒空間へと飛び出し、やがて、どこかで見覚えのある大きな惑星が目の前に出現したりしました。そして、そのはるか向こう側に見える空間には、雲のように淡くのびる白銀の帯が横断しており、あれが本や学校の授業などで学習した天の川なのだとわかりました。
「すごく大きなお星さまだねえ。それに見て、ヘンな輪っかがついてる。わたし知ってる、あれは土星っていうんでしょ?」
 目の前に現れた大きな惑星をゆびさしながら、エマはそう言いました。
 タルカも、たしかにあれは土星だなとおもいましたが、よくよくみていると、やっぱり少しちがうような気もします。むかし本や図鑑で目にした土星は、いま目の前に見える星のように緑と紫が入り混じったような色合いではなかったようにおもいます。外周をぐるりと囲む大きな輪も、なんだかじぶんが見知っている輪にしてはいくぶんか細く、いまにも浮遊してどこかへ飛んでいってしまいそうなほど頼りなげなものに感じました。
「あの輪っかで、輪投げとかできたらおもしろいのにね」どうやらエマもおなじような印象を受けたようです。
「そうだね、もしかしたら、ほんとうにできるのかもしれないよ」と、タルカはわらいながら言いました。
 しばらくするとその惑星もうしろに遠ざかり、光の当たらない暗がりにかくれて見えなくなりました。そして気がつけば、汽車はまたもや光る靄のなかを走っていました。


 つぎにみえてきたのは豊かな自然がひろがる牧草地です。天上からはまばゆいばかりの光が燦々さんさんとふりそそぎ、大地に繁茂はんもする緑は燃え立つようにかがやいています。車窓から流れる景色をながめているだけでも、小鳥のさえずりが聞こえてきそうなほどでした。
 汽車は速度をゆるめ、やがて停車場に到着しました。
 三人は降車して新鮮な空気をおもいっきり吸い込みました。気候はぽかぽかと暖かく、春の陽気をおもわせます。また、どこからともなく、ドンチャラドンチャラとたのしげな音楽が聞こえてきました。
 その音楽にみちびかれるまま、三人は停車場を出てまがりくねった小道をたどって行きますと、草原のまっただなかに大きな集落がみえてきました。愉快な音楽はそこからきこえてくるようです。集落の入り口には横断幕が張られており、大きな文字でなにか書かれてありましたが、それはやはり見たこともない文字で、読み取ることができませんでした。また、建物の軒先には色とりどりな三角旗や、ユニークな意匠の織物が飾られています。どうやらこの集落では、なにかしらのお祭りが催されているようです。
 タルカたちは集落に入り、しばらく進んで行くと、おもっていたとおり、中央にある広場では盛大なお祭りが今やたけなわといった騒ぎで開催されていました。広場をぐるりと囲むようにお店がならび、お客さんをよぶ盛んな声と、楽団が奏でるにぎやかな音楽があたりを満たしています。しかし、三人がなによりおどろいたのは、そのお祭りに参加している群衆の姿でした。
 広場をうめつくさんばかりに集まっているのはなんと人間ではなく、イヌやネコ、ネズミやニワトリ、キツネやタヌキといった、ありとあらゆる動物たちだったのです。また、動物たちは人間とおなじように二本足で立ち、洋服や帽子などをめかしこんで悠々と歩いています。動物たちは三人のほうをちらっと見ると、くすくすとわらいながら通り過ぎて行きました。
「すごいねえ、ここ、いろんな動物さんたちがいっぱいいる」
「ぼくたちみたいな人間は、ほかにだれもいないのかな?」
「はぐれたら迷子になりそうだから、なるべく離れないように行きましょう」
 三人はめいめい声をかけあいながら、エマを中心に手をつないで雑踏にまぎれこみ、広場のなかを散策しました。
 お店の陳列台には、めずらしい工芸品やおもちゃがところせましとならべられています。商品にはそれぞれ値札がついていましたが、数字と通貨の単位はなにやらぐにゃぐにゃと書かれてあるだけで、およそ見当がつきかねました。――と、そのとき、ふとエマが一軒のお店の前でたちどまり、ひとつの商品をゆびさしながら言いました。
「お兄ちゃん、あれ」
 そこには赤いリボンをつけた、クマだかタヌキだかよくわからないふしぎな動物を模したぬいぐるみが置かれてあります。
「あれがほしいの?」
 タルカがそうたずねると、エマはちょっと遠慮がちに小さくうなずきました。
「すいません、このぬいぐるみ、おいくらですか?」
 タルカは店番をしているハリネズミのおばあさんに商品の値段をたずねてみましたが、ハリネズミのおばあさんは面倒くさそうに値札をゆびさしただけです。その値札を見てもなにが書かれてあるのかさっぱりわからなかったため、タルカは財布から何枚かの紙幣を取り出し、それをおばあさんに差し出しながら、「これではだめでしょうか?」ときいてみました。
 ハリネズミのおばあさんは差し出された紙幣をじっくりながめながら目をぎょろぎょろさせていましたが、やがてちいさくうなずきながら「いいよ」と答えると、紙幣をひったくるように受け取ってぬいぐるみをエマにわたしました。エマはうれしそうにぬいぐるみをだきしめながら兄にお礼を言いました。タルカも満足そうにうなずくと、三人はお祭りの見物をつづけました。
 さて、広場を一周ぐるりと見てまわったところで、近くを歩いていたレトリーバー犬の紳士がふいに立ち止まってタルカたちに声をかけてきました。
「おや、人間のお客さんとは、これまたずいぶんとめずらしい」
 犬の紳士は頭にかぶっていた帽子を手に取ると、礼儀正しく頭をさげました。
「わたくしはこの集落の長であり、また、お祭りの主催者でもあります、グレゴリオともうします。お見知りおきを」
 三人もそれぞれ自己紹介をして、グレゴリオと名乗った犬の紳士と握手をかわしました。
「どうです、ここのお祭りは気に入っていただけましたかな?」
「はい、とても」と、タルカが代表して答えました。「でも、ここにはいろんな動物たちがいますが、ぼくたちみたいな人間はほかにいないのですか?」
 グレゴリオさんが答えます。
「ここにはいろんな生き物たちが集まってきます。虫やけもの、魚や化生けしょうのもの、人間もまた例外ではありませんが、ちかごろはほとんどお見かけすることはありませんね。ただ、ときたまあなたたちのような幼い子どもが、迷子になって泣きながらここを訪れることがありますので、今回もそうではないかとおもって声をかけさせていただいたのです」
 タルカは、銀河鉄道の汽車に乗ってここまで来たのだと説明しました。
「ほう、銀河鉄道で遠路はるばるここまで。そういうことでしたら、わたくしがこの集落やお祭りの案内をいたしましょう。さあさあ、どうぞ遠慮なさらずに」
 なんだか強引なひとだなあ、とタルカはおもいましたが、せっかくの申し出をことわるのも気が引けたので、ひとまず案内してもらうことにしました。
 タルカたちはふたたび広場のなかをめぐり歩き、グレゴリオさんに商品や特産品の説明をしてもらったり、おいしい食べ物やお菓子をごちそうになったりしました。それから今度は集落の案内に移り、さまざまな場所にある建物や石碑せきひの前で、地名の由来や歴史など、こまごまとした来歴を嬉々ききとして語ってくれました。ただ、その話の長いこと長いこと。タルカとジョバンナはがまんして話に耳を傾けていましたが、まだ幼いエマはすっかりあきてしまい、抱いているぬいぐるみをいじったり、足もとに落ちていた石ころを蹴飛けとばしたりして退屈をしのいでいました。
 やがて夕闇がせまってきて、あたりはすっかり薄暗くなってきました。グレゴリオさんは上着のポケットに手を入れて懐中時計を取り出すと、時間を確認してあわてたように言いました。
「おや、いけない、もうこんな時間だ。これから中央広場でメインイベントがはじまります。すばらしい催しものなので、ぜひあなたたちにもみていただきたいのです。ささ、いきましょう、いきましょう」
 グレゴリオさんにみちびかれるまま広場にもどってみると、そこにはかつてないほどの人だかりができていました。
 それもそのはず、いましも広場の中央に設置された舞台では、絢爛けんらんな衣装を身にまとったトラやライオン、サルやワシといった動物たちが、見事な曲芸を披露ひろうしていたのです。
 俊敏しゅんびんなサルは空中ブランコで五回転くらいしながら宙を舞っていますし、トラとライオンは燃えさかる炎の輪をあざやかな跳躍でいくつもいくつもくぐってゆきます。演技が成功するたび、会場では万雷ばんらいの拍手が起こりました。タルカたちも、はじめて見るすばらしい曲芸に興奮して拍手を送りました。
 イベントは大盛況のまま終わりをむかえ、最後には何発もの花火が夜空にうちあげられました。
 歓喜と興奮につつまれながらお祭りは幕を閉じました。参加していたお客さんたちはぞくぞくと広場から立ち去っていきます。タルカたちもその場を離れようとしたそのとき、ジョバンナがふと気がついて言いました。
「あら、妹さん、どこにいったのかしら?」
 そう言われてみればたしかに、さきほどまで近くにいたはずのエマの姿がどこにも見当たりませんでした。
「またひとりでふらふらどこかへ行っちゃったんだ。まったく、ちょっと目をはなすと、すぐこれだもんな」
 こんなことには慣れっこになっているタルカはあきれたように言いましたが、ジョバンナは心配そうな面持ちです。
「とにかく、そんなに遠くへは行ってないでしょうから、すぐにさがしましょう」
 タルカとジョバンナは手分けしてエマをさがしました。途中からグレゴリオさんも合流していっしょにさがしてくれましたが、どこにもエマの姿は見当たりません。ここまでみつからないのはさすがにおかしいと三人がおもいはじめていたとき、グレゴリオさんが浮かぬ顔をしながら言いました。
「……ひょっとしたら、人さらいに連れ去られてしまったのかもしれません」
「人さらいですって?」
 まさかのことにおどろいたタルカは、おもわずそう言ってグレゴリオさんのほうを見ました。
「はい、いつもこの時期になると、素行そこうの悪い連中が小さな子どもをねらって連れ去ってゆくという事件があとを絶ちません。われわれも祭りの期間にはじゅうぶん目を光らせて付近を警備しているのですが、最近はやつらの手口も巧妙になってきて、どうにも手がつけられないといった次第でして……」
「さらわれた子どもは、どこに連れていかれるんですか?」とジョバンナがたずねます。
「さあ、そこまでは……しかし、ここを離れてべつの場所に行くためには、銀河鉄道の汽車に乗らなければならなりませんので、停車場の近くをさがせばあるいは……」
「いますぐ汽車にもどろう」
 タルカは逸る気持ちをおさえきれず、あわてて駆けだそうとしましたが、グレゴリオさんはそれを押しとどめて話をつづけました。
「まあ待ってください。現在この集落にはたくさんのお客さんがいたるところから来訪しています。そのため、停車している銀河鉄道の汽車も一両だけではありません。停車場もこの集落付近に複数存在します。それらをひとつひとつさがしていてはらちがあきません。ここは手分けして、まずはこの周辺で、ちいさな女の子を連れたあやしげなものを見なかったかたずねてみましょう」
 二人もグレゴリオさんの提案に賛成しました。
 タルカはもっとも動物たちが集まっている大通りでひとりひとりたずねてまわりましたが、なかなかこれといった有力な手がかりをつかむことはできませんでした。あきらめて場所を変えようとしたそのとき、ようやくそれらしい少女をみかけたというアナグマの親子に出会うことができました。
「ええ、たしかに見ましたよ。見ましたとも。だって、このあたりであんな小さな人間の子どもをみかけることなんて、めったにありませんもの。……ええと、そう、たしかその子は、二匹の大きなネズミといっしょに、北のほうに歩いていったようにみえましたけどね……」
 タルカは急いでほかの二人と合流して、ついさきほどつかんだ情報の内容を話しました。
「ここから北のほうといえば、おそらく銀河鉄道八番線がある停車場です。さあ、行きましょう」
 タルカとジョバンナはグレゴリオさんに案内されて北の停車場にむかいました。ところが、いざ停車場に到着しても、そこにはもうすでに汽車の姿は見当たりませんでした。ちかくにいた駅員にたずねてみると、つい数分前に汽車は出発したとのこと。では、汽車がつぎに向かう場所はどこなのかとたずねると、駅員は路線図とおぼしい紙を一枚手渡してくれましたが、あいかわらず複雑な図形と意味不明な文字でなにが書かれてあるのかさっぱりわからず、タルカは途方に暮れるしかありませんでした。
「追いかけたらまだ間に合うかもしれない。わたしたちが乗ってきた汽車にもどりましょう」
 気落ちしたタルカをはげますように、ジョバンナが声をかけました。
「銀河鉄道の汽車が最終的にたどり着く場所は一箇所しかないときいております」と、グレゴリオさんも後押しするように言います。「ただし、そこより先に行ったものたちはもう二度とこちらにもどってくることはないそうです。ですから、その前に妹さんをみつけることができれば、まだ望みはあるかもしれません」
 はたして、そううまくいくだろうか、とタルカはなかなか前向きになれませんでしたが、今となってはもうほかに講じる手立てもなく、ここはわずかな望みをかけて、その助言にしたがうしか方法はないとおもいました。
「こんなことになってしまい、まったく、どうお詫びもうしたらよいのかわかりません……」
 グレゴリオさんがもうしわけなさそうに頭をさげながら言いました。
「気にしないでください。ぼくたちも、すっかり油断していたのがよくなかったんです。いろいろとお世話になりました。さようなら」
「さようなら、子どもたち。あなたたちの行く末が幸いであることを、そして、妹さんが無事に見つかることを祈っています」
「さようなら、グレゴリオさん」
 タルカとジョバンナはグレゴリオさんと握手をかわして別れました。
 そして、自分たちが乗ってきた汽車が停まっている停車場までもどってきた二人は、いそいで車掌さんをさがしだすと、お祭りで起きた出来事を説明しました。車掌さんはじっとだまったまま話に耳をかたむけていましたが、すぐさま状況を理解したらしく、やがて業務的な口調でこう告げました。
「当汽車は予定していた経路を変更して、サウザンクロスへと向かいます。まもなく出発いたしますので、遅れずご乗車願います」
 二人は感謝の言葉をのべ、すぐさま汽車に乗り込みました。しばらくすると出発を告げる汽笛の音があたり一面に鳴りひびき、汽車は白い蒸気を吹き出しながらゆるゆると動き出すと、停車場を離れて行きました。
 走り出した汽車は牧草地を過ぎてふたたびきらめく靄のなかを通り抜け、ふたたび水しぶきを散らしたようなこまかい光の粒がひしめきあう暗黒空間へと飛び出しました。そして、はるか遠く天の川のなかに見ゆる、南十字星とよばれる星座をめざして、汽車は長い長い旅路を進んでゆきます。




(つづく)