天狗
「ホッホウ、これこれ、そこの小僧。そうお前だ。そこのあどけない顔をした小僧。ちょっと止まりなさい」
その声のするほうを見てみると、緑生い茂る林のなかの一本の樹の上に、ひとりのおおきな男がこちらを見下ろしていたのです。
「小僧、名をなんという?」
少年は、おどろきすくみあがって、声を出そうにも、のどの奥に何かがつっかえたような気がして、うまくしゃべることができませんでした。ですがすこし間を置くと、わずかばかりですが気も落ち着いてきましたので、少年は蚊のなくようなかぼそい声をしぼり出して、こう言ったのでした。
「……マモル」
「なに? よく聞こえん」
「マモル」
「そうか、マモルよ。お前はここで何をしている」
「……」
「ふむ、ふむ、当ててやろうか。お前はキノコ狩りか、タケノコ狩りにでもきたのだろう」
じつのところ、マモル少年は母さまに言いつけられて、キノコや山菜を採りに山のなかへ入ってきたのでした。
「どうだ、小僧。おれについてくれば、キノコもタケノコもどっさり採れる場所へ案内してやるぞ。どうだ、どうだ」
マモル少年は気が弱く、臆病者でしたが、正直で善良な少年でしたから、男の言うことをそのまま信じてしまいそうでした。ですがマモル少年はその男の顔をあらためて見て、思わずギョッとしてしまいました。その男の顔は、どうも普通の人間のものとは違うようでした。なにより特徴的なのは、その長くのびた立派な鼻です。そしてサルを思わせるような赤ら顔。
マモル少年は一刻もはやく叫びだしてそこから逃げ出したい衝動にかられましたが、恐怖のあまり杭を打たれたかのように、その場から動くことができませんでした。
「どうした、どうした。急にだまりこんじまって。うまいキノコはほしくないか? 温かいタケノコ汁はとてもおいしいぞ。ん? ん?」
大男の顔はにこやかに笑っているようでしたが、マモル少年の目には、その顔がどうにも醜悪にゆがんでいるようにしか見えません。マモル少年は泣きそうになるのをなんとかこらえ、ようやく勇気をふりしぼってこう言いました。
「ぼく……、もう帰らなくっちゃ」
「帰るだって? まだこんなにお日さまも高くのぼっているというのに、家に帰るってのかい? そりゃおかしな話だ。さあ、ついておいで。たくさんキノコやタケノコを採って帰って、おっかさんをよろこばしてやろうじゃないか。ん? ん?」
マモル少年はなんとか理由をみつけてその場から去ろうとしましたが、不幸にもそんなときにかぎって、なんにもよい考えがおもいうかばないものです。そこで苦しまぎれに、
「おっかさんに、知らない人についていっちゃいけないって言われたんだ」
と言いました。
「なんだい、わしの言うことが信じられないってのかい。わしがうそをついてるってのかい? ん? ん?」
「おっかさんが、よくうそをつく人は、鼻が長くなるって言ってたやい」
「なんだ、この鼻が気に入らないのかい? この鼻はね、悪い人間どもにむりやり引っ張られてこうなったんだ。べつにうそをついたからこうなったわけじゃないんだよ。そうか、そんなにこの鼻が気に入らないってんなら、今すぐこの鼻をちょん切ってもいい。さあ、ついてくるんだ。ん? ん?」
いままでなんとかあふれる涙と感情をおさえてきたマモル少年でしたが、とうとうこらえきれず泣き出してしまいました。すると、鼻の長い大男も、とまどったように顔をしかめました。
「なにも泣くことはないだろう。鼻かい? この鼻がこわいのかい? よし、ならこんな鼻はいますぐへし折ってみせよう。な? な? だから泣きやんで、わしのそばにくるんだ」
ところが、マモル少年はますます火がついたように泣き出してしまいました。とうとう大男もがまんしきれなくなったと見えて、もともと赤い顔をさらに赤くさせて、鬼のような形相になりさけびました。
「このクソガキ! した手に出ればつけあがりおって。いますぐその皮ひんむいて食ってやろうか!」
その瞬間、マモル少年ははじけるようにその場から逃げ出しました。途中で何度もころび、あちこち傷だらけになりましたが、そんなことおかまいなしで人里に向かって走り続けたのです……
それから、なんとか無事に家まで帰り着くことができたマモル少年でしたが、からだ中傷だらけでべそをかきながら帰ってきた息子の姿を見て、母さまと父さまはたいそうびっくりして、いったいどうしたんだ、とたずねました。
山の中で起きたことを一部始終はなしますと、父さまは言いました。
「そりゃおめえ、天狗さまにちげぇねえ。小さい子をだまくらかして、つれさっちまう、そりゃあ恐ろしい妖怪だべ。天狗さま怒らして無事帰ってこれたとは、おめえ幸運だったなぁ」
(おわり)