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第5回 亀鷹人生~大学2年生~フィリピン渡航から団体設立まで

みなさん、どうもかめたかです。
そしておはようございます、亀鷹です。

今日は何か知らんけどぼっけぇ早く起きたけぇこの時間に。笑

さて今回大学卒業まで書く予定が…
あまりにも内容が濃いけぇフィリピン渡航から
帰国、学生団体設立までを書く!

伝えたいこと!

だけじゃったら、こっからドン!


2011年9月1日~14日までの15日間、フィリピンのマニラ、マンダルヨン市のスラム街で学童保育をしているNGOへ単身でインターンシップとして行ってきた。英語もろくに覚えてねぇし、初めての海外じゃし、周りからすげぇ心配されたけど、でも自分の目で見て地を踏んでみにゃあ分らんこともあると思う。とそんな感じで人生初の渡航。

まず機内でトラブル発生。入国する前に書くよう分らん紙を渡されたんじゃけど、英語が読めんけぇ全く理解できずにずっと雲を眺めとった。笑
そしたら、隣の人が日本語で「エイゴ、ワカリマスカ?」って聞いてきて、「ん?分らん」って答えたら日本におったフィリピン人らしく、細かく翻訳してくれた。

「日本の人は優しい、安全、って言われとるけど、日本だけじゃのうて世界にもそりゃ優しい人はおるよな。」

って純粋に思った瞬間じゃった。ほいでなんなく入国したけど、まず何をどうすりゃあえんかも分らんかったけぇ、地図開いて近くの警察っぽい人に「ここに行きてぇけん教えてくれ」って日本語で言うてみた。笑

そしたら、普通に指で教えてくれて「あっちだよ」みたいなことを言うとった(と思って)Thank you!って言うて離れようとしたら左肩掴まれて、「Money」って言われた。正味最初は「何こいつ言うとんじゃろ?」って思うたけど、日本の常識とは違うのをそこで初めて実感したわ。

とりあえず腕振り払って「邪魔じゃ」って言うてそのまま指を指す方に歩いとったら大きい模造紙みてぇなやつに「Kame!」みてぇな感じで書いてあるのが見えて、とりあえず迎えの子どもたちと合流することができた。

そっからスラム街までバスと徒歩で移動、なんか下は水で濡れとるし周りの人間はジロジロ見てくるしなんじゃここはって思いながらお世話になるマスターって言われとる人に会う。

実はここに来とる日本人は、皆自分で日程組んで来るって感じじゃったけん、日程が被る人とは会って話すことができた。
到着早々マスターが「おまえら何しに来たんな」って言うてきて、横におる人らが「NPOの設立を目指しています。」「将来は国際協力をライフワークにしたいです」みてぇなこと言い始めて、わいの順番になった時に…

「子どもと遊びに来ました。」

としか言えずに終わった。そしたらマスターが2階に上がって降りて来て、わい以外の人に金を渡していったけぇ、「あーわい何も考えてねかったなー」と思ようたら、わい以外の人に「帰ってええよ」って言うた。それからマスターが横にあった木で作られた本棚?みてぇなのを殴って壊して、

「スラムの人は見せ物じゃねぇ!」

って言うた。
「皆人を家に呼ぶ時に綺麗に掃除して呼ぶ。汚いところを見せたくない。そういう心があるけど、スラムの人は別で考えて元々汚い場所、汚くても現地の人は気にしていない。って勝手に決めつけとる(様にみられる。)」

ぶっちゃけ最初は何が起こったんか分らんかったけど、整理していく内に

同じ人間なのに、どうして生まれた場所が違うだけで…

ってわいの最初の原点である思いを思い出した。

とまぁ、こっから怒涛の14日間が始まる。

2日目、とりあえず起きて何か鼻水溜まっとるな思うて鼻かんだら真緑のやつが出て来て、一人で笑った。
ほいで、主な活動が
①ファーストエイド
②フィーディング
じゃったけん、近くのゴミ山に行って怪我した人がおらんかとかを回りょうて、ふと前見た時に言葉が出てこん様になった。。。

目の前がバラック、その先に高層ビル。格差そのものが目の前に出てきた感じじゃった。わいがこれから対峙していく課題って、こんなにでけぇんかーって。まぁそこまで考えてもしょうがねぇんじゃけど、ただとりあえず絶句した。

その後にマザーテレサ館って言われとる施設に行って、しょうがいを持つ子どもたちのところに行って少し話したりしょうたんじゃけど、背骨がねじ曲がった子どもがおって、わいはずっとその子の手に指持たせとった。帰る時間になって立ち上がろうかと思うたら、微力ながらわいの指を握ってきた。あくまでわいの解釈にはなるけど、

「一人にせんでほしい、その場におってほしい」

って言うてきたんかなって思うた。
今現地に来とるわけで、考えることは帰国してもできるけぇ、今現地におるんなら現地でしかできんことをしようと決意した。因みにこれがマザーテレサ館。

ファーストエイドはこんな感じ。

それからは毎日子どもと遊んだり応急処置とかしょうたんじゃけど、わいができることっていったら少林寺拳法を通して礼儀とか教えることかなって思うて、順番とか靴を揃えるとかを「高い高い」しながら教えていった。あ、もちろん少林寺拳法の基本の突きや蹴りに関しては伝えたで。笑

因みに空手もしてきた!笑

ほいで帰国3日前の夜、歯磨きに行こうと思うてマスターの家出て50mくらい先のところに歩いて行こうとしょうたら、前に2人のフィリピン人がおって「中国人か?」って言われたけぇ「日本人じゃ」って言うたら「フィリピンは親日だぜ!」的な感じで近づいてきた。(この時は少し会話できるレベルまで英語力が…笑)

それからよ、会話しとった時に何か後ろに気配感じるなー思うて振り向いたら6人くれぇが半円になって、そっからわいを囲んできて前の2人も近づいてきて「金出せ」って言われてな。「いやわい歯ブラシしか持ってねぇよ?」って言うたら「日本人は必ず金持っとる」って言うてきて、その後タガログ語で話し始めて何言うとんか分らんのんじゃけど、とりあえずこの円が段々と小さくなってきとるなー思うて。

マスターから2日前くれぇに「日本人は金持っとると思われとるけぇ、気をつけろよ」って言われた矢先じゃったけぇ、めんどくせーな思いながらも相手が8人くれぇならどうにか対処できるかなーと。
でも一人が割れたガラス瓶持っとったけん、そいつ一旦潰してから後は撒くか。と思うたけど、その場合マスターにも迷惑かけることになるって思うたけん、隙見て家の方に手を伸ばしたら「そこのやつか?」って言われたけぇ、「こっから出てきたんじゃけぇそりゃそうじゃろ」って返したら、「そこのマスターには世話になっとるけぇ、今日のところは勘弁しちゃるわ」ってどっかに行った。

…20歳で殺されるかもって初めて思うたなーって。笑

あとはまぁ…色んなもん食ったり、笑ったりしたかな、残りの3日間。

あ、バロットってやつも食ったわ。笑

それから、帰る前にプレゼントをもらったんじゃけど…

…返せるもんがねかったけぇ、…パンツをあげたら

被ったけん、ちょっと使い方間違っとるで?って思いながら笑った。笑

ほいでいよいよ帰国。何故かわいは道着で帰るって話になって、マーケットで道着を買って、来て、帰国することに。笑

皆元気にしとるかな、とりあえず人生でかなり濃い時間、今後の人生、身の振り方を考えるきっかけになった。

やっぱ、自分で見て聞いて感じてみにゃあ、説得力はねぇなて思うし、本読んだだけじゃぁ誰かのレンズ越しでしかねぇけん、行って良かったって思うた。

ここで、一つわいの中で明らかに大切なこととして変わったのが

言葉の意味、責任、覚悟。

これだけは、常に意識して何事もすべきじゃと、決意した。


さて、次回は帰国後、東日本大震災の復興やら何やらでボランティアブームの中に帰って感じたこと、ボランティアを就職に有利になるために斡旋する人と対峙した時、学生団体設立、国際会議への参加、中国地方事務局長…などなど、まだ大学生活終わらんのんで、楽しみにしといてくだせぇ!

いつも読んでくれてさんきゅ、もし興味関心あれば読んでくれい!

伝えたいこと


元々勉強できたわけじゃねぇし、大したこともしてねかったわいが今、
●キャリアコンサルタント
●NPO法人Accept International  西日本統括
●地域おこし協力隊 真備
●株式会社Bounce back 代表取締役
になったのは、才能でも何でもねぇ、
ただ自分が信じた道を堂々と周りに言うて何を言われようが前に進んでいっただけってのを知って欲しい。

そしてこの記事が、
少しでも多くの人が自分のしたいことや、
夢を見つけるきっかけになったらと思う。

じゃあ、一旦今回はそんな感じで!

12月13日…になるんじゃけど、プライベートのことも書くけぇ、二つ書くことになるかな?と思うんでよろしく!

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