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存命当時と評価の違う人物、その大きな落差とは?①

 私の場合、歴史的人物という履歴を見る際、

その人となり

も含めてみています。スナワチ、当人の人間性や価値観も含めて。よって、その人が自分個人の人生においてどこに力点を置いているか。それも歴史を通して見える訳です。

 今回はそのことが良くわかる人物を挙げてみたいと思います。例によって人物名は書きませんが、ハッシュタグで分かるようにしてあります。興味があったら、そこから調べてみてくださいね。

 まず、中国の歴史上動乱の時代においては今の日本でも残っている

一つの組織に殉じる

という価値観を維持することが難しい訳です。五代十国と呼ばれる時代、10年かそれ以下という王朝の寿命を考えたら、命がいくつあっても足りないし、人材が枯渇してしまうでしょう。そのことを考えて、人生を全うした人物もいます。逆もしかりですが。

 まず、私自身も高く評価している人物。この人は安定した世の中に生きる学者からは散々な評価になっています。なぜなら、

五つもの王朝に行政責任者として全うした

人物だから。フツーなら、うまく立ち回ったんだろ!と非難されるところでしょうね。

 しかし、上で書いた通り10年にも満たない期間で動乱と王朝の滅亡を繰り返す中で、一番の被害者は

弱者である民衆

な訳です。それは今も変わりませんよね。で、その人物は

被害を最小限に抑え、政治として機能させる道

に誘導しようとした。その際、侵略してきた王に対して

仏でも救えません、あなただからこそ救えます

とおだてて略奪などをやめさせた。そして、税収など高度な政治によった方がむしろ被害もなく得られるものが多い、と言った形で説得。各地の略奪行為を食いとどめた。

 この点、皆さんはどう思うでしょう。おべんちゃらでごまかしただけ、自己保身だろ、といいたくなるでしょうか。実際、そういう批判や非難を向けた人もいました。…後世にね。

 でも、私は違いますね。彼の意図はおいとくとして、

民衆の現実の被害を止めたなら、なんだっていいじゃないか

と思う。その状況で、一番必要なことは何なのか。それは明らかに被害を出さないことであり、民衆の生活を守ること。理不尽といえる武力による略奪は再生産性がない。そのロジックを知らないから、略奪をしている。

 であるならば、その理屈を説いて聞かせ、理解してもらい、利害なのだからより大きな利益がこちらにある、と誘導するしかない。それを彼は、なしとげた。

 この要因は、すでに彼自身が責任者としての実績があったからにほかなりません。行政のエキスパートとして、解釈はどうであれ

その道のプロ

であると相手に認めてもらうことができたから。これが、説得力を生んでいる訳です。

 そのため、彼は人生を全うできた。非業の死を遂げなかったことで、後世の学者先生たちは

節操のない人物

とこき下ろしました。だが、その一方でかの国にはこういう価値観があったはずなのです。それが、

民を貴しと為し、社稷(組織)は之に次ぎ、君を軽しと為す

という孟子の教え。彼はこれを全うしたのでしょう。

 一方、くしくもほぼ同じ時代に真逆の人物がいます。その人物は縁故などによって重要な地位にいました。しかし、能力がなかったのでしょう。それだけではなく、国家存亡の危機に際しても、自己保身に走ってしまった。

 その結果、敵の侵略から部下たちでさえ抵抗する意欲に満ちていたのに、さっさと降伏文書に署名。自分の身分保障に走った。その結果、上で言った様なひどい略奪などが起きた。

 彼の場合、その保障によって周囲は手出しが不可能。が、この話にはオチがつく。スナワチ身分によって守られてきたものの、その母体であった王朝が滅んでしまう。この時期、上記で書いたようにごく短期間に王朝が入れ替わっていたが故の変化ですね。

 この点はある意味、その数年の命は保証されていたとは言えるでしょう。だが彼は、こういうもう少し先の状況を見る目がなかった。そのため、次の王朝では民衆の不満をそらすため

ワザと謀反を起こさせて罪人として処断

にもっていく。無能と分かっているから、全部筒抜けだったんでしょう。

 こうして、彼は無残な最期を遂げました。内容は伏せますが、当時の民衆の怒りと憎悪が分かるような最後でしたね…。

 こういうところから見ても、当人の生きている時の評価とその後の評価が逆転することがままある。反対もしかり。次回には当時の評価がさほどでもなかったのに、後世において高く評価された人物のお話をしたいと思います。

いぢょー。

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