先祖の劉邦を”演出”していた劉備

 まず、劉備玄徳という人物について皆さんは三国志の漫画や演義といったフィクションが加わった要素の方から

人格者

といったイメージが強いのでは?と思います。しかし!ケチをつけるつもりはありませんが、記録上の劉備ってそんな感じではないんですよね。というよりも、意図的に先祖の劉邦の行動をトレースすることで天下取り狙っていたのでは?というくらい、似てることしてる。

 まず、一番わかりやすいのは

妻子供を見捨てる

所。劉備の人格者、というイメージからすれば妻子をほっぱらかして自分だけ逃げる!というイメージ、湧きづらいでしょうけど。

 実際、先祖の劉邦は逃亡の際に同乗していた子供二人を馬車から放り出してます。単にこれだけを見ると自分さえよければいいのか!とツッコミされそうですが、2000年以上前の話なので、当時と今では常識感覚が違います。当時だと、

家の主が不慮の死を遂げる

ことはかなりリスキーなことだったんですね。家の主という認証を経ない形で自分が死んでしまうと、あとは他人の思惑にさらされる。こういうことがあるので、当主を生かそうという発想は今よりは非難されることはない。

 だから劉邦からすれば、自分が当主だからまだ家の子に過ぎない子供たちより自分が優先。餅ロン、二人に対して愛情が深ければもうちょっと違ったかもしれませんが。もともとこの辺りは劉邦、すごく淡白ですし。

 で、劉備に話を戻すと…劉備もやらかしてます。三国志ファンなら、ご存じ長坂の戦い。この時演義の方だと、どうしようもないことでした!って感じにまとめてますが、これ以前にも”前歴”がある。よって、劉備もこの考え方であったであろうというのは容易に想像がつきます。

 こういうところも詳細にマネしようと思っていたかどうかはわかりませんが、なぞろうとしていたのは間違いない。漢中王になったのだって、劉邦がそうだったから。信賞必罰の曹操とは違い、選んで任せる、というスタイルも劉邦を意識したものでしょう。

 当時の知識人や武将といった人たちは、大抵歴史を知っているので、劉邦がどんな人だったかもある程度わかる。劉備は劉邦っぽさを演出することで

劉邦の再来

と思わせようとしていたのかも。

 ただし、最後の最後で劉備は劉邦と違うことをして台無しにしてます。これまたファンならご存知の

夷陵の戦い

ですね。これ、劉邦だったらこんなこと絶対してません。

 というのも、関羽との絆が劉備にとって強すぎたから。劉邦も同郷の仲間がいましたが、自分の事業に影響が出る程個人感情な判断は絶対にしない人でした。

 この時の劉備の行動は”劉邦の再来”を演出してきた筋書きには全くないもので、劉備の演出に気づいていた人たちは全員反対しています。劉備の心情には理解できても、演出という筋書きからは外れている。特に諸葛亮や趙雲は、それが分かっていたんでしょうね。

 だからこそ、敗戦後に劉備は彼らに”演じきれなかったこと”を詫びた。最後の最後で地が出てしまった。ある意味、筋書きと全く違う事をしたから

主演=主君であることを外されても文句はない

という意図で、諸葛亮に君が代わってもいい、といったのかも?

 これによって、劉邦の再来という演出による

劉備劇場

は終焉を迎え、諸葛亮による北伐が間もなく開始。集客できるだけの演出力を持った人物がいなくなったため、不本意ながら自ら主演をしなければならなくなった諸葛亮。そんな感じで見ると、歴史はまた違った形で味わい深いですね。

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元図書館ギョーカイの人。元職として図書館関連、歴史や経営・組織論、興味の沸いた分野中心に書いてゆきます。現在離職して通教で大学生やってますが、お仕事も募集中です。
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