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俺訳:般若心経

 「般若心経を暗唱できたら、ちょっとした隠し芸になるかもな」という中二病的な軽はずみで暗記をしたのが2年くらい前のこと。
 知らない国の歌のように、特に意味を考えずただただ暗記したので、ちょっと大変だった。一ヶ月以上かかったと思う。おかげで今は、つまらない会議をやり過ごす時などに重宝してます。

 しかし、意味を知らない歌をボンヤリと2年も歌い続けていると、「ところでこれ、なんなん?」と思うようになった。毎日の食事に「美味しいタレ」をかけて食べ続けていると「これ何が入ってるんだろ」と、ついラベルの成分表を見てしまう気持ちに似ている。

 でもまあ、俺もいい年こいた大人だし、お経とかっていうのは普遍的な真理というか、当たり前の大切なことの説教なんだろっつーことは見当がつくので、まじまじとは見なかった。けど美味しいタレの原材料に突然「タマリンド」などと未知の成分が書かれてて何これ、と好奇心が湧くように、また「ぎゃーテーぎゃーテーハーラーぎゃーテー」とかサビのフレーズが印象的だったというのもあって、洋楽の日本語訳歌詞カードをめくるノリで調べてみました。
 ちなみに、ネットでは一切検索しなかった。有象無象が垂れ流し放題の感想が混ざると純度が下がると思ったので。「出版」というフィルターを通した本を図書館で数冊借りて、比較しつつ自分なりに解釈してみた。そんな物をネットに上げるんだからこれもまた有象無象のひとつですんで。

訳:
◆偉大なる「智慧の成就」に向かって歩むための心構え

【イントロ】
観音様が、深遠なる智慧の成就を目指すための、終わりの無い道を歩んだとき、
この世のあらゆる物事は全て「空(定まった実体など無い)」なのだと見抜いて、
全ての苦しみから解放されたとさ。

【観音様が弟子(舎利子)に向けた言葉】
『舎利子よ。
この世のあらゆる物事(色:しき)は常に変化し続けて定まらず、
また、変化し続ける物事によって流動的に構成されているのです。

五蘊の残り4つ(感じる事、思う事、行動する事、言葉で意味づける事)もまた同じ、定まった実体というものは無いものとしなさい。

舎利子よ。
凝り固まった観念を捨てて「この世の全ては流動的で、完全に定まった実体など無い」と見做すのです。

実体が無いのなら、生じることも無く、生じないものは消えることも無い。
美しいことも汚いことも、増えることも減ることも無い。
全て、あなたがそう思いこんでいる心の働きなのです。

元々実体が無いのであれば、実体を前提とする「五蘊」という概念も無いのです。

十八界(六根・六境・六識)などに煩わされてはいけません。
(見たり聞いたり匂いを感じたり、味や手触りといった「知覚」も、
その対象となる「実体」も、知覚から得る「認識」にも拘ってはいけない)

十二縁起の教えにも囚われてはいけません。
(無知という事も無ければ、無知を無くすこともできない。
老いたり死ぬ事も無ければ、不老不死にもなれない。)

四諦や八正道の教理に拘ってはいけません。
(生老病死の苦しみも、その原因となる欲望も、それを克服する「正しい方法」にすら、決まりきったものは無い)

智慧や悟りを得るための決まった方法も無いんです。
たとえ得られたとしても執着してはだめですよ。

智慧の成就に向かって歩む人には、心に疑念や迷いが無い。
恐怖に怯える事も無い。偏った見方をすることも、妄想に悩まされることもない。
悟りの境地に達するのです。

そうして、過去・現在・未来全てに普遍的な真理に目覚めた者は、
智慧の成就によって、この上ない、真実の完全なる悟りを開かれたのです。

【まとめ:般若心経はすごいんだぞ】
だから知りなさい。
智慧の成就というのは、
この偉大なる霊力を持つ言葉で、
智慧の言葉で、
最高で比類なき真の言葉なんですよ。

その真の言葉は全ての苦悩を取り除き、
マジで真実なのです。

それでは、その「智慧の成就に向かうための真の言葉」を
あなたに教えましょう。

【クライマックス:ここは最重要なのでサンスクリット語の音写】
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
(往け。往け。往き往きてあなたが辿り着いたところ、そこが彼岸なのだ。頑張りや。)

これが般若心経です。』

参考文献:
新訳般若心経,ひろさちや,PHP出版,2014
えてこでもかける 笑い飯哲夫訳 般若心経,ワニブックス,2017

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