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Books, Life, Diversity #29

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『植物園の世紀―イギリス帝国の植物政策』川島昭夫、共和国、2020年

もう四半世紀も昔になりますが、まだ私が若かったころ、デートに行くといえば植物園でした。動物園や水族館も好きは好きですが、やっぱりどこか物悲しい(いまではずいぶん変わったのかもしれませんが)。その点植物園は、緑の中を静かに歩き回り、気になる植物があればお互いの裾をひっぱりあって、ほら見てごらんと小声で言い交わしたり。若かったなあ……。都内の植物園はほぼすべて行ったと思います。それほどのんびりした時間を過ごせたのも遠い昔、いまは日銭を稼ぐだけで精いっぱいで、なかなか植物園に行くこともできません。そんな懐かしい思いのある植物園ですが、けれども改めてその誕生史を考えてみれば、そこには権力や経済と結びついた生々しい構造があったはずです。

本書はまさにその植物園の誕生史を、イギリス帝国主義の進展と一体のものとして分析したものです。西洋史を専門としていた(といってもその知識と研究の範囲は極めて多岐にわたっていたようですが)川島昭夫氏による遺稿とのこと。しかし各章は一貫したテーマによって深く結びついており、著者がゲラのチェックの途中で亡くなられたことをまったく感じさせないほど完成しています。著者の研究の質の高さを、そして原稿をまとめる作業を引き継いだ方がたの想いの深さが感じ取れます。また、著者の文体は、しばしば研究者に見られる冷え冷えとしたようなものではなく、かつて現実に生きていた人びとの生き様に対する温かみを感じさせます。言うまでもありませんが、歴史的事実に対する著者の知識量、研究の深さと熱意は大変なものであり、研究書としても素晴らしい内容です。

本書は上記の通り、植物園というものがいかに帝国主義と結びついていたか、いえ、それどころかいかに帝国主義の根幹に位置するものであったのかを丹念に描いています。何故結びついているのかと言えば、それは経済的価値があるからであったり、様ざまな現実的な理由があり、そこも丁寧に分析されています。けれどもそれだけではなく、本書の根底には、植物という存在それ自体に対する著者の……何というのかな、深く本質を見通した思想があるように、私は読んでいて感じるのです。例えば第一章の冒頭において著者は次のように書いています。

植物のみが、生体のなかで無機物から炭水化物を合成し、独立栄養を営むことが可能だからだ。それを動物が摂取する。食物の連鎖はいずれの場合も植物のこの生命現象に出発するのである。(p.13-14)
植物が移動しないとするのは、じつは誤りである。むしろ植物の生態は、移動することを目的としているとさえ言いうる。植物の個体は大地に束縛されているが、個体間の世代の交代を利用して植物は移動するのである。[…]このカプセルとしての種子は、人が植物をもち運び、移動させるさいにも便利であった。(p.15)

一読すると、あたりまえのことのように思えるかもしれません。けれどもそうではないのです。この植物の特性が人間の欲望(観賞したい、権力をはりあいたい、他国を支配したい、版図を拡げたい、経済を拡大したい、etc...)と結びつくことによって帝国主義が可能になり生みだされたのであり、それは必然や偶然といった言葉を超えて、人間の歴史、あるいは地球史のダイナミックな運動として著者には視えていたのではないかと感じさせるのです。そういったビジョンが最初に提示されることも、本書を類のない魅力的な研究書にしているのではないでしょうか。

植物が、植物であるためにもつ条件、大地から離れることができず生育する場所を選ぶこと、同時に同種の環境であれば地球上の遠く離れた地域にも移動しうること、この二つの条件が本章でいう植物帝国主義というものを規定している。(p.17)

こういった壮大な枠組みのなかで、初期の植物園創出に関わった幾人もの人びとが生き生きと描かれていきます。しかしそれはロマンティックに云々、ということではありません。本書において幾度も言及されるパンノキなどはそもそもが奴隷への食糧供給の手段として移植が試みられたわけですし、著者はそういった点も精緻に分析しています。

という訳で、植物園は無論、帝国主義に関心がある方には必読の書です。そしてそれだけではなく、初めに書いたように本書は著者独自の世界観、歴史観、生命観が根底にあり、そういった意味で、本書は、まさにどこにでも持ち運べ、どの分野でも生きてくる思想のでもあると思います。

それにしても、この時代に東西間で運ばれ移植された植物の多さには驚きますし、現在の私たちの生活に、いかにそれらの植物が根づいているのかを考えると、人間の営みというものが持つインパクト、そこからの逃れ難さには慄かずにはいられません。最近人新世について幾つかの論文を読んだので、そういった点からも本書は興味深い観点を提供してくれます。

私自身は、修士時代に環境経済学を学び、生物多様性や森林資源の「価値」、ゲーム論的な交渉解、伝統的知識やバイオパイラシーといった様ざまな考え方に対して、いまひとつもどかしさを感じていました(それもあって、博士課程ではまったく違うジャンルに進むことになりました)。だから、もし当時このような本を読んでいたら、またずいぶんいろいろ違った観点から問題を理解できたかもしれません。

そんなこんなで、お勧めの一冊です。

装丁は今回も宗利淳一氏によるもの。

透明な緑の薄紙に覆われた非常に美しいデザインですし、その向こうに透けて見えるのがバウンティ号反乱の図というのも象徴的です。また、共和国の書籍でいつも使われているフォント(フォントの名称は分からないのですが)は非常に特徴的で美しいのですが、今回の装丁は、そのフォントとこれまででいちばん合っているように感じました。

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