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警察署へ。イタリアの滞在許可証「Permesso di Soggiorno」の申請について(5)

Buongiorno!
こんにちは、タケディーナです。

過去には、イタリアの滞在許可証「Permesso di Soggiorno」の申請について(1〜4)をお届けしてきましたが、今回は(5)です。

裁判所から、勝訴の連絡がきた後のお話です。
よろしければ、お付き合いいただけますと幸いです。

今回は最終戦の警察署!

***

警察署へ、1

これまでの詳細は前回をご参照ですが
12月中旬に、裁判所から勝訴の連絡がきました。

あとは、警察からのアポイントの連絡を待つ。

けれど、年明けても連絡が来ない。
待てど暮らせど。

これは忘れられてるのでは・・・?
あり得る話である。

夫は、一応、1ヶ月待とうか。
とのことだったので、1月中旬まで待ちました。

しかし、やはり連絡が来ないので弁護士さんにその旨伝えました。
弁護士さんから警察に連絡を入れてくれるとのこと。

その1週間後、1月下旬に警察から連絡がきました。

「あなたのアポイントは、3日後の9:00です。」と。

いきなり、3日後!!
ありがたいけど、急!!!
しかも金曜に連絡が来て、土日挟んでの月曜の朝です。

そこから、バタバタとクエストゥーラ用の資料の準備をしました。
何か書類に不備があるとつき返される恐れがあるので、用心が必要です。
(もっと事前に用意しておけばよかった。けど、仕方がない。)

夫が、WEBでCarta di soggiorno に申請な追加書類を調べ用意しました。
ここは夫頼み。

弁護士さんから、
念の為、裁判所からもらった裁判所命令の書いてある資料を持っていってください、と言われました。
のちに、このアドバイスに助けられることになるのです。

当日、持っていった書類
・Passaporto (パスポート)
・Ricevuta delle poste(ペルメッソを申請した半券)
・Foto tessere (証明写真) 4枚
・Permesso di soggiorno per stranieri  (Mod. 210という番号の書類に記入して持っていく。)
・Marca da bollo €16.00(念の為2枚)
・Certificato di Matrimonio (結婚証明書)
・Comunicazione di ospitalità (居住許可証)
・Certificazione di Stato di famiglia(夫のものに私の出生地を記入)
・Buste paga(夫の給与明細書。合わせて残高証明も持参しました)
・Tribunale ordinario di Milano (裁判の資料)

そのほか、
・Dichiarazione sostitutiva di certificazione (当日、所内で書くらしい資料)


事前に写真を新しく撮りにに行ったのですが、なぜか頭のてっぺんが切れてしまう。
夫は一発OK。
私は、写真機にも拒否されるのか・・・?

何回も取り直して、一番頭が切れていないものを用意したのですが
写真機と格闘したため、汗ばみ&しかめ顔で、汗で髪の毛が顔に張り付いている写真が出来上がりました。
私的には不服だったのですが、疲れたし、既に2枚もとっていたので、もうこれで良しとすることにしました。

いざとなったら、所内で撮る。

そんなこんなで資料を揃えて、月曜日を迎えました。


警察署へ、2

前夜は、なんだかよく寝れなかた私たちですが
朝8:30頃に警察署(クエストゥーラ)に到着しました。

9時からのアポイントでしたが、既にクエストゥーラへの行列がズラリ。

門番の男性が立って、入る人数を管理してました。
門番の人にアポが取れないかと、ゴネテいる人もいました(絶対にこういう人はいる)。

私たちも負けじと前へ行き、名前を伝え、夫も入れるか聞きました。
ペラペラな紙の番号を渡されました。
中で待つのは当本人のみ。
夫は外で待ち、私の順番が来たら、中に入ってよし、と言われました。
とりあえず、手続きの時は夫も中に入れるということで、ほっ。

私が行くのは、移民局。
警察署の奥の方にあります。
ここにくると、自分が外国人だってことを実感する。
いろんな国からいろんな理由でいろんな人が来ている。

受付は英語対応なしのイタリア語のみ。
日本のように親切に対応はしてもらえない。

とりあえず、座って番号を待つことに。
私は17番。
入った時は7番だったのであと10組待つことに。

既に中には20人程の申請者がいました。
以前来た時には部屋に溢れるくらい人がいたので、それを考えるとすごい差です。

ソワソワしながら待つこと1時間弱。
徐々に順番が近づいていることを伝え、そろそろ中に入れるか夫にメッセージしたとことろ、
夫から、「門番の男性が鍵をかけたまま戻ってこなくて中に入れない」との連絡が。
室内を見ると、門番の男性がオフィスの中にいるではありませんか。

しかも、オフィス側だから容易に声かけられない。
どうしたもんか。
いざとなったら門番を窓越しに呼び出すしかないと考えていた。

そんなやりとりの中
クエストゥーラ室内では、警察と申請する人たちとの、戦いの嵐が繰り広げられていました。
どちらにも言い分があるので、どちらも引かない。

窓口で、中国人と見られるカップルがもめていた。
どうやらイタリア語がわからないらしい。
警察官は、中国人カップルの女性に、" あなたは滞在できないのだ " 、と一生懸命伝えているようでした。

警察官はイタリア語が伝わらないので困った様子で、室内を見回し、私を発見したのです。
警察官が部屋の真ん中にいる私に向かって、窓越しに聞いてきた。

警察官「あなたは中国人?中国語話せる?」
私「いいえ、違います。日本人です。中国語話せません。」
警察官「そっか。少しイタリア語、話せる?」
私「ちょっとだけ。でも、中国語は話せないです。」
と押し問答をした結果、警察官「いいから、ちょっと来て。」と、謎に窓口に呼び出される。
説明するも、「それで??何か話せるかな??」という感じで期待される。

期待されても、応えられない。
アジア人がみんな中国語話せるわけではない。
中国語は難しいんだぞ。と私は思っていた。

やっとわかってもらえたが、この一件で、
部屋中の知らぬ人にまで私の出身をお披露目することになった。
我ながら、予想外の展開。

===
イタリアに住むアジア人は中国の方々が圧倒的に多く、日本人はやはり少ないです。
なので、イタリア内でのアジアの人々は、韓国人でも、日本人でも、誰でも最初は中国人と思われることが多いのです。
===

中国人カップルには、何も助けてあげられなくて、申し訳なかった。
英語で聞いてあげたり、何か気の利いたことをしてあげられたらよかったのだが、私も自分のことでかなり精一杯だったのです。
自分の番が迫っていて、人のお世話をする余裕は無かったのです。

そして、そうこうしている間に、私の番に!
夫は寒空の中、まだ締め出されたままです。

その頃、やっと門番の男性が外に向かったのでした。

***

警察署へ、3 

夫はいないけど、呼ばれたので、行くしかない。

とりあえず、窓口に資料提出しに行く。

受付の警察官は青年で、感じの悪い人ではなかった。
言われるがままに、パスポートとペルメッソの資料を出した。
結婚で家族用のものを申請しているんだよね??と聞かれたところで夫が到着。

夫は到着時、既にワナワナしていた。
(寒空の中、1時間待ったあげく、早く開けて欲しいと言っているのに、門番の人がモタモタしていたらしい)

ワナワナしている夫に向かって、受付の青年警察官がこう言いました。
「提出されている結婚証明書が古いから、新しいのが今出来ないのであれば、今回処理は出来ない。今現在も結婚している証明がないから。新しい証明書をとって、またアポイントとってください。」

痛い所を突かれた。
まさに私たちが若干心配していた書類であった。
私は少し頭がフリーズした。
夫は更にワナワナしている。

確かに、正論なのです。
ただ、滞在許可証が欲しいだけで結婚する人もいる。
そう言ったことを避けるためにも、警察は厳しく取り締まっている訳です。
とはいえ、こちらも何ヶ月以内の書類を持参とは言われていない訳です。

夫は小声で
「もう、今日手続き終わらなかったら、日本に行こう・・・」
と本気な様子で言い始めました。

夫は、ワナワナしながらも、ここで諦めなかった。
一度深呼吸をして、戦闘モードで反撃。

「言っていることは分かるけど、ここに来るまで1年以上も待っているんだ。こっちも、トライしたけど、この状況で市役所から新しい結婚証明書を貰うアポイントが取れなかった(事実)。
それに、自分たちは裁判して、警察は滞在許可証を出すように裁判所から指示が出ている(裁判所からの書類を提出)。
裁判の結果が出たのは12月で、裁判の際には、結婚証明書が古いという指摘はなかったし、裁判に提出した書類はあなたたちが持っている書類と同じである。
ということは、今の結婚証明書でも、この裁判所命令は有効なはずである。」

ということを怒涛のように説明した夫。
私は、よく言った!と思った。

それを聞いた青年警察官は、裁判所からの書類を持って、ボスに確認したりでオフィス内をぐるぐると駆け回りました。

約5分後、彼が帰ってきた。

「じゃ、手続きするね。」

と、何事も無かったように、サラっと手続き開始。

そうなの??
と、ちょっと思ったが、手続きしてもらえるなら何でもよかった。

しかも、用意して行った大量の書類、ほとんど見せなかった。
警察署内で書くと言われた書類も書かなかった。

こういう、イタリアの融通の幅(寛大さ?)に助けられることもある。
日本だったら、何を言われても、ダメだとつき返されそうなところです。(今日こいつらを返したところで、出すことに変わりはないので、今日手続きしちゃおう。と判断したのではという考察。)

書類確認の後は、別部屋にて指紋採取です。

手が冷たくカサカサで、指紋が取れなかった私。
ハンドクリームを付けられ、手を何度も温める始末。
指だけでなく、手のひらもスキャンされました。
指紋は、指を倒しながらサイドも取りました。
しっかり取られたなって感じです・・・。

指紋採取まで終わって、滞在許可証の手続きは終了!
やっと終わった〜〜!!!!


1ヶ月後くらいに原本が仕上がると言われました。
連絡が来たら、あとは取りに行くだけ。

でも、手元に来るまでは、まだ安心はできない。
届いたら、またnoteで報告したいと思います。

***

こちらも色々文句は言ったけど、青年警察官も彼の仕事をしたまで。
なんだか、このカオスなクエストゥーラ室内を見て "お疲れ様" と思った私は、一応別れの挨拶をしました。
彼も言い返してくれました。
当たりの悪い人でなくてよかった。

怒鳴っている警官もいたので、そういう人に当たらなくてよかった。
手続きに来ている人に怒鳴っている警官に対して、夫はプリプリ怒ってました。
「移民であろうと、どんな人であろうと、1人の人として接しなければならない。ちゃんと人の権利があるんだ。あんなの失礼だ。」と。
イタリア人として恥ずかしい、みたいな感じでした。

ここ(クエストゥーラ)に来る人は、ちゃんと正当に来ている人もいるだろうけど、訳の分からないことをいう申請者や、詐欺まがいのことをしようとする人だっているかもしれない。
警察だって厳しくせざるをえない現状もあるはず。
私のように、語学だって満足にできない人も多い。
悪循環なのかもしれない。
理不尽なこともあるけど、ここはイタリアで、その国のルールに従う必要があるわけで、その辺りは、考え始めると難しい。

日本の外に住んで、色々思うこともあるし、考え始めると止まらない。

でも、やっぱり
クエストゥーラに行って、色々感じることがあったな。

***

少し長くなりました。
最後まで読んでいただいた方は、ありがとうございました。

とりあえず、滞在許可証シリーズはここでひと段落です。

タケディーナ拝



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