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ひと・ストーリー

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ご自身が語る自らのストーリー、他者が語る著名人のストーリーなど、グッとくるストーリーを集めたもの
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記事一覧

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腹を切って死のうとした話(後編)

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腹を切って死のうとした話(前編)

寝たきりの親友と話していた「自信」に対する考察

生前、よく自宅からリモートで働いていた番田雄太と「一緒に働くってどういう事?」「所属してるって何?」「自分を好きになれって言われても・・・」というような話を、それはもう頻繁にしていた。   いかに人は絶望状態から希望を得て、自分を信じる状態へ至るのか。私と番田の経験に則り、5段階仮説としてまとめてみる事にした。 番田はよく「孤独」を私に訴えた。 番田雄太とは、2013年12月から2017年9年に彼が亡くなるまで、ほぼ毎日共に活動した、私の1歳年下の親友、相棒だ。 私は20

“マイノリティの代弁者”カマラ・ハリスはいかにして副大統領候補となったか(篠田真貴子)

「篠田真貴子が選ぶすごい洋書!」第15回 "The Truths We Hold: An American Journey" by Kamala Harris  Penguin Books 2019年1月出版 カマラ・ハリスさんの回顧録 “The Truths We Hold”を読みました。 ハリスさんは2016年にアメリカの上院議員になり、昨年は民主党内の大統領候補選びにも名乗りをあげていたので、アメリカのニュースで時々見かけていました。かっこいい人が出てきたなあ

ボーナストラックってどんな場所?プロデューサーの2人に聞きました。

2020年の春、下北沢から代田にかけて新しいエリア「ボーナストラック」が誕生する。このエリアの立ち上げ〜運営に携わる2人のプロデューサーに、立ち上げの経緯、下北沢や代田というまちとの関わり、ボーナストラックという場所に込める思いなどを聞いた。 ※この記事は、2019年6月に取材・公開されたものです。 ―早速ですが、今回なぜ内沼さんと小野さんが下北沢・代田のまちづくりに携わる事になったのでしょうか。そもそも最初からお二人で、という話だったのでしょうか? 小野裕之(以下 小野

この割れ切った世界の片隅で

コロナウイルスが社会に与えた最も大きな影響は、見えづらかった社会の分断を可視化したことではないでしょうか。 ステイホームできない、明日を生きるのすら精一杯な人。パソコンを持っておらず、家では完全に社会から隔離されてしまう人。勉強ができるような家庭環境でない人。外で遊ぶ自分を自慢げにSNSに載せる人。「クラスターフェス」と称し、コロナに積極的にかかろうとする人。感染者を引っ越しにまで追い込む地方の村社会。 普段暮らしているとそのような人と出会わない、という人が殆どでしょう。

小学1年生ぶりに、父の前で真っ裸になった話

「お父さん、ヌードを撮ってくれませんか。」 もうすぐ30歳になる私が、父に送ったLINE。 「何言ってんだお前、女友達に撮ってもらいなさい!」 そう来るかなと思ったけど、返事はすぐに届いた。 「了解!前日、下着の跡形つかないように!」 正直、「父親」や「夫」としてはあまり自慢できないけれど、「人」としてはすごく面白い。そんな父の前で、小学1年生ぶりに真っ裸になり、ヌードを撮ってもらったという話です。父が最近あんまり元気ないので、この機会に、父との物語を綴ろうと思

青い想いを忘れない。意志が繋いだグッドパッチ上場ストーリー

2020年6月30日 株式会社グッドパッチは東証マザーズに上場いたしました。 証券コードは7351。"波来い!"で覚えてください。 多くの皆様の支えのお陰でここまで来ることができました。後ほどまた感謝の言葉を述べますが、応援してくださった皆様、本当に有難うございます。 2011年9月にGoodpatchを立ち上げた時には全く想像もしていなかった未来を僕は過ごしています。 これまで上場に関してはあまり表立って話をしてこなかったので、上場までのストーリーを少しお話したいと

武田恵史 プロフィール

記事をプロフィールに登録できるnoteの機能を使って、自己紹介します (初回公開後もちょくちょく編集します) 2020年の元旦にこのnoteを書いています 明けましておめでとうございます、2020年代の始まりですね 私は今年、数え年で考えると本厄を抜けた後厄の一年となり、40代を本格的に走り抜けていくステージに差し掛かります 変化スピードが上がり、激変していく世界の中で、自分も変わっていかねばならぬ、という焦りもあり、本格的にインターネット上でも実名で発信していこうと考え

私がCIOになることを決めた日

私は日本にCIOを職業として確立したい、という思いで日々活動を行っています。今日は、私がCIOを自分の天職だと確信した瞬間についてお伝えします。 2007年のある日、私はIBMの米国本社を訪れていました。その日の目的はIBMのCIOに会って、CIOとは何か、CIOはどのような仕事をこなす職業なのか、教えを乞うためです。その当時、私はパナソニックの米国子会社のCIOの立場でしたが、それはなりたくてなったわけでも私に才能があったからでもなく、サラリーマンとして海外赴任してたまた

頼りの娘から「死んでもいいよ」と言われた日

岸田ひろ実と申します。 車いすに乗って暮らしています。 もしかしたら「あ、かわいそうだな」「大変そうだな」「何かしてあげないといけないかな」と、そんなふうに思われた人もいるかもしれません。 11年前まで、私は普通に歩いていました。 歩いていたときの私も、きっとそういうふうに思っていたと思います。 「かわいそうだな」とか、「不幸せそうだな」とか、マイナスのイメージがありました。 でも私は、実は今までの人生の中で一番幸せだと思っています。 歩いていたときより、今のほう

この7年間のこと。伝えられることを、伝えられるうちに。

一度だけ人前で語ったことがありますが、この7年間どうしても文章にはできなかったことがあります。 病のことです。 幸いにも「いまはずいぶん良くなってきている」という前提を先にお伝えしつつ、少し振り返って書いてみようと思いました。 いや、書いてみようとはずっと思ってきました。 だけど、途中で恐くなり、何度も消してきました。 それを、「書き切ろう」と決めました。 わざわざこうして公にする理由はたったひとつです。 「自分が楽になりたいから」です。 いま自分を邪魔しているの