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逃げ恥から派生して少女漫画を分析する

こんばんは。興奮冷めやらぬたけ子です。皆さんは『逃げ恥』見ましたか〜?火曜夜10時からのアレです。世間で今話題のアレです。第6話が11月15日(てか2時間前)に放送されましたが、それはそれは神回でございました。はい。とてもおいしゅう頂くことができました。お腹いっぱいです。そしてもっとください。

と、とにかくこんなテンションになるくらいのキュン死に満載の回となっていたわけなんですが、私は思ったのです。『逃げ恥』は完全に視聴者(読者)を夢中にさせる、あるいは驚嘆させる、あるいはただただ「アーーーーーーーーっ!?」と叫ばせるだけのきちんとしたトリックがあると。その構造があるからこそ人々は話に惹きこまれ、思い通りに展開に裏切られ、叫ばされているのであります。少女漫画の原作者を目指している私としてもココはまとめておくべきところかと。

『逃げ恥』はドラマとして大成功を収めているわけなんですが、その作り方はとても秀逸です。脚本家の方は本当に上手い。完全に視聴者を手玉にとっている。コレ本人も考えるの楽しかっただろうなアアア。…ドラマと漫画の構造って違うところもありますが、ドラマの上手い所も含めて少女漫画に応用できることもあるので、そこも一緒にまとめてみましょう。


思ったことを言わない

たくさんの少女漫画はこの手法を使っています。主人公の男と女がお互いのことを好きだとわかっているのは、そう。いつでも読者だけなのです。読者は主人公たちが両思いだと分かっているのに、主人公の二人は分かってません。思ったことを素直に相手に伝えません。むしろ、お互いに「相手は自分のこと好きじゃない」と勘違いしています

例えば幼馴染からの恋への発展系の話は完全にこのパターンになります。小さい頃から仲良くしていた男女で、相手が自分に好意を持っているなんてことはあり得ないというレッテルを自分たちで張ってしまっています。そして相手に気持ちを言わないまま、相手が自分を急に恋愛感情で見るわけなんてない…と勘違いし、私たち読者の切な心をギウーーーと雑巾のように絞っていくのです。まあ幼馴染系少女漫画の中でもいくつか種類があるんですが、それを話し始めると年をまたいでしまうので、今はしません。

そして、『逃げ恥』もこの構造を使っています。『逃げ恥』の場合は、「好き同士ではないが、お互いの利益のために結婚という形で生活をしよう」という「偽装結婚」のレッテルを最初二人でお互いに張ってしまいました。そして、相手は自分のことを好きなわけではない、と思っているのです。平匡さんなんてまさにこれに当てはまりすぎています。だから、視聴者は知っているのに、二人はすれ違って分かり合えなくて歯がゆいのです。でもこの歯がゆさのせいで私たちは夢中という病気にかかるのです

読者から見たら、どう見ても「好意」があることが分かる

・しかしお互いに思っていることを言わないので、「好意」ではないと勘違いする

・すれ違いが歯がゆい


感情のピークに接触シーンを入れてくる

今回の逃げ恥は、二人での旅行!という完全に何かありそうな期待してしまいそうなどうしてもテンションが上がってしまうような状態にありました。つまり「プラス」の状態に二人は身を置いていたのです。しかし終盤、元彼に会って傷つくことを言われても何も言い返してくれないというドン底。「マイナス」の状態にもっていきました。この「プラス」→「マイナス」で読者たちを「辛い…」「切ない」「がんばれ」という同じ「マイナス」の感情にしておいてからの、待ってました接触シーン。こういうことですよ。

興奮を作り出す時に何が必要か、それは「マイナス」な状態・感情なわけです。「マイナス」から一気に「?!」というハプニングへ転換することで、読者は発狂するのです。声を抑えられなくなるわけです。これが「プラス」からの「プラス」だったら、ここまで中毒性のある作品にはなりえないでしょう。

「プラス」の状態から「マイナス」の状態にもっていくことで読者の感情を不安定にさせる

・「マイナス」の状態・感情からの一気に接触シーンにもちこむ

・死ぬ


話の流れに直接は関係がない「小さな笑い」を提供する

これは物語、とくに漫画には欠かせないものとなっています。もとをたどれば手塚治虫からこの手法は用いられています。(ヒョウタンツギの役割ですね。)漫画はぷっと笑えるところがないといけないという考えを持っている作家さんはたくさんいらっしゃると思います。(おどけたシーンがないものもありますが)実際、少女漫画の中でも、大ヒットしている漫画はこの「小さな笑い」を入れているものばかりです。

今回の『逃げ恥』で言うと、滋養強壮剤のくだりはまさにそうだし、『逃げ恥』全体で見ると、情熱大陸などの様々なパロディが入れているのも全部「小さな笑い」を作り出す役目をしています。一つの物語を続けていく時には、どうしても入れなければいけないシーンがあって、それらを全て面白くできるわけではなく、地味なシーンだけど入れておいたら後の展開がもっと深くなるというものも多いわけです。でも漫画は、読者を飽きさせてはいけない。だからこういう時に合間に「小さな笑い」を提供する意味があるですね。

飽きさせないという目的の他に、この「小さな笑い」の部分は、実はキャラをより濃いものにしてくれる効果もあります。登場人物のキャラクターは無意識のうちに理解している私たちですが、その多くの部分はこの「小さな笑い」から輪郭を得ていることが多いです。『逃げ恥』を思い浮かべても、物語展開の中心からではなく、平匡さんが滋養強壮剤をどうにかして隠そうとしている場面や、みくりが鏡に悲しい川柳を書いていた場面から、人物のキャラクター像を掴んでいっているわけです。「小さな笑い」は、ストーリー展開とは大きく関係はないんだけど、物語に没入していくためのキャラ理解に非常に役立っているんですね。

・「小さな笑い」を度々入れることによって飽きさせない

・キャラを深く濃くしていくのに「小さな笑い」はとても役に立つ


引きの強さは大切だ!

今回の『逃げ恥』の終わり方は、まじでちょっとダメでしたね。つまり最高でしたね。あんなに「ちょっっっっっっと?!」って思ったエンディングの入り方って今までに経験があるだろうか。いや、ない。

とにかく言いたいのは、ドラマでもそうだけど、漫画にも「引き」がとても重要だということ。引きがあるからこそ、次の回を見たくなる。引きがあるからこそ、次の話が見たくなる。これは当たり前のことですね。しかし、近頃の漫画は「引き」がとても少なくなったと言われています。とくに少女漫画は引きがないものも非常に多くなっているのではないでしょうか。

引きは「次どうなるの?」という驚きの感情をわざと作り出す方法です。ちょうど大きい状況転換の前で1回分が終わるように設定するというように、引き中心に1回分を考えてもいいくらいです。実際、物語全体として面白くなるために引きが絶対に必要かといったら、そうではないかもしれません。が、しかし、物語を面白いと思わせ続けるには必要だと思います。

一つのまとまりの中に必ず1つ引きを作るということは、ある一定の間隔で「驚き」の感情を引き出すということ。それがあるのと、ないのとでは物語によって生み出される満足度が違います。人間、ある程度の頻度で感情が大きく動かないと、どうしても気持ちがそれてしまいます。そして、「面白い」と感じづらくなってしまうのです。物語として引きが必要というよりは、読者を引きとどめ続けるために引きが必要というところでしょう。

・引きは読者を繋ぎとめておくテクニックだ

・「え?!」という驚きを作り出せるところで終わって次に繋げる



以上、『逃げ恥』第6話を見て荒ぶった人間が、この抑えきれない感情を分析してみようとして奮闘した結果でありました。これからも荒ぶりましょう。それではまた来週〜。

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