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『琳琅』創刊号より、「かんう」

井塚義明の視点2

 大音量で流行曲のミュージックビデオを映し出すユニカビジョンを見上げながら、深く吸い込んだポールモールの煙を吐き出す。紫煙は風にもまれて跡形もなく空に溶けた。少し前まであそこは空き地で、PePe前の喫煙所はもうちょっと開放感のある場所だったんだけどなぁ、と感傷に浸る。LABIが建って、ここは少し窮屈になった。以前からごちゃごちゃした迷路みたいな街だったけど、景観を切り取るように大型の建物が立つと圧迫感が増して尚更だ。

 吸殻を灰皿に押し付けて回収容器に落とす。次の一本に火をつけたところで、胸ポケットのスマートフォンが振動した。差出人は鴇田、件名は、そろそろ終わります、とある。メールには写真データが添付されており、鴇田と小羽のツーショット写真だった。新宿駅東口のライオン広場で撮影したらしい。背景にスタジオアルタの巨大モニターが映り込んでいる。あともう一本吸ったら合流しよう。スマートフォンをしまい、燻らしていた紫煙を喉の手前まで吸い込んだ。

 鴇田とは、おれがよく遊びに通っている吉祥寺のライヴハウスで知り合った。受付からフロアまでを繋ぐ廊下の途中にあるバーカウンターで、場に不似合いな一眼レフカメラを構えている鴇田に、今日のメインDJだよ、とライヴハウスのオーナーが俺を紹介したのが始まりである。ピニャ・コラーダとブルームーンの注がれたグラスを二つ並べて、それらを少し離れた場所から狙っていた鴇田は、DJだと紹介されたおれを見るや否や、鳩が豆鉄砲でもくらったような顔をした。そのときのあいつの顔ときたら、思い出すだけでも笑えてくる。あいつの思い描いていたDJのイメージは、恐らく、ヘッドフォンを首にかけて、派手な柄のTシャツにシルバーのアクセサリーをジャラジャラ下げているイメージだったのかもしれない。だが、紹介されたDJがどこにでもいる背広姿に見事な二十顎を蓄えて、ダメ押しにノルマ証券とも揶揄される会社の名刺まで渡してきたら、そりゃあ、自分よりも場違いな男の登場にきょとんとするのも当然だっただろう。終始納得がいっていないような顔で、どうも、初めまして、と受け答えをする鴇田から受け取った名刺に記された会社名には、ほんの少しだが見覚えがあった。たしか、リフォームだかリノベーションだかをする不動産系のベンチャー企業だった気がする。

 あの時受け取った名刺が元で、おれは随分とおいしい思いをさせてもらえた。まだまだ名の知られていない会社だが、鴇田を拾ったというあの社長は大物になる匂いを漂わせている。売り切るまでに結構骨を折ったが、アンダーライティングを条件に株式を買い取っておいてよかった。付き合いを維持していれば、もしかすると大口の顧客になるかもしれない。

 煙草の先を灰皿でにじり、吸殻入れに放り込む。喫煙所をあとにするともう随分と薄暗くなっていることに気が付いた。冬至はとうの昔に過ぎ去ったが、未だ温かくなる兆しを見せない。身体全体に搭載した脂肪のお陰で寒さには強いが、首をすぼませて歩く同業者の姿を見ると気持ちの方が寒々としてくる。はやく春が来ないかなぁ、と何の気もなしに周囲を見渡していると、青梅街道を挟んだ対岸の歩道を大ガード下に潜って行く、見知った二つの背中を発見した。相変わらず、片方が片方にべったりとくっついている。仲が良いのは結構だが、イチャイチャする姿を見せられる周りの身にもなりなよ。

 いや、違うか。くっついてないと小羽がダメなのか。

 五年前のことだっただろうか、岡山支店からの出張帰りに立ち寄ったラーメン店で、壁掛けのテレビが、昨日、凄惨な事件が起きました、という報道を伝えていたことを思い出す。殺人を犯した男がパニック状態のまま自宅に逃げ帰り、そこで実の娘にも暴行を加えたという内容の、食事中に見たくない類のニュースだった。原稿を読み上げるキャスターの右上に表示されたテロップには、職場のトラブルが招いた痛ましい事件、と表示されている。二十秒程度の短い速報だった。まったく、酷い親がいたものだな、と呟いてラーメンを啜る。まさか五年が過ぎた今日に当事者と知り合いになっているとは夢にも思わなかった。人との出会いとはわからないものである。

 小羽と知り合ったのは半年前の夏、何の予定があって出向いたのかは忘れたが、なにかのついでに不足していた普段着用のTシャツを買おうと、吉祥寺駅周辺の古着屋を何軒も拾い歩きしていたときのことだった。予想はしていたが、やはり古着屋ではおれのサイズに合うシャツを扱っている店はない。汗だくになりながら駅周辺を彷徨っているとき、たまたま立ち寄ったスポーツ用品店で大きい人用のサイズを案内してくれたのが小羽だったのだ。客のニーズを聞き出すのが非常にうまく、商品の在庫はもちろん他店の品揃えにも詳しくて、なにより明るくはっきりした声で受け答えする態度が気持ち良かった。久々にこんな好感の持てる店員に出会ったな、と感動して帰路についたことを覚えている。

 それから何度か通って十分顔見知りとなった頃、そのスポーツ用品店で鴇田と鉢合わせしたことがあった。ちょっと、彼女を迎えに、と気恥ずかしそうに答えた鴇田を、トッキー、と呼びながら駆け寄ってきた小羽を見たとき、初めて二人が恋仲であることを知り、二人もまた、それぞれがおれと顔見知りだったことを知ったのだ。

 信号の点滅し始めた横断歩道を諦め、次の青信号まで待つ。地下通路を使おうかとも考えたが、膝に無用な負担を掛けると思い直して辞めた。再びユニカビジョンを見上げる。もう一本吸えたな。スマートフォンを引っ張り出して、次の撮影場所はどこか、と鴇田へメールを打つ。今日の飲みも佐久間にするか、鴇田は何度か連れて行っているけど、小羽は初めてだな、あいつの喜ぶ顔が目に浮かぶ。電話帳から「居酒屋  佐久間」の電話番号を探し出して掛ける。呼び出しのコール音を聞きながら、信号が変わるのを待った。


続きはまた、近いうちに。

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