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わたしのひろしま

 広島に生まれ育ったので、8月6日は特別な日だった。登校日のその日はテレビのある視聴覚室に集まって、記念式典を見ながら8時15分になったら黙祷をした。そして「安らかにお眠りください。過ちはくりかえしません」と誓う。そして核兵器の恐ろしさや、平和の大切さを学んだ。子どもの頃は、これが全世界共通の行事だと思っていた。
 
 ところが関西にきて、それが全世界どころか日本共通のことでもないことを知った。8月6日は登校日ではないし、みんなで黙祷もしない。学校の入学式には国旗が掲げられ「君が代」を歌う。違和感はあったが、そういうことなのか、とも思った。世界にいろんな思想や価値観があることは、子どもの時からうすうすわかっていた。なぜならおじいちゃんと学校とでは、戦争や平和に対する考え方がちがっていたからだ。学校もおじいちゃんも大好きなのでわたしは悲しかった。だからどちらの意見も聞いて、いろんなことを知って、お互いの立場を想像して、自分で決めようと思った。そして、自分にできることを探すのだ。

 写真家の石内都氏の作品のなかに「ひろしま」というシリーズがある。被爆した人たちがそのとき着ていた服を撮影したものだ。見るには覚悟が必要だった。仕事で服の繕いやリメイクをするようになってから、服にはひとの記憶が残ることを知ったからだ。
 しかし、撮影された衣服を見て感じたことは、「おそろしさ」よりも「美しさ」だった。花柄のブラウスやワンピース、赤いボタンをあしらわれたかわいい子供服。すべて手作りか、お仕立てのもの、手で繕われたものだということがわかる。
 戦時中であってもお洒落をしようとする気持ち、服を大切に繕うひとたちのささやかな暮らしが、手に取るようにそこにあった。愛おしかった。だからこそ余計にこわくなった。そこにあったのは、何十万人という被害者の数ではなく、わたしと同じように服を着て、お洒落をしていた、ひとりひとりのからだの記憶だったからだ。

 平和の実現には、思想や政治、宗教、教育、さまざまな問題が横たわっている。でもそんなときこそ「そこには服を着て、ふつうに生活をしている人たちがいる」という気持ちに立ち戻りたいと思う。数字でも、戦況でもないのだ。

 今年も平和記念式典を見ながら、8時15分に黙祷した。「あやまちはくりかえしません」と誓う。

 わたしにできることは服を繕うこと。そしてそれを伝えること。





ドレスの仕立て屋タケチヒロミです。 日本各地の布をめぐる「いとへんの旅」を、大学院の研究としてすることになりました! 研究にはお金がかかります💦いただいたサポートはありがたく、研究の旅の費用に使わせていただきます!