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努力は自分にしか見えない

4月から6キロも痩せた。


けれども、誰からも気づかれない。
毎日会っている家族からはもちろん、週に数回あう程度の人にも気づかれない。

たまに会う友人にすら気づかれないので、最近は自分から言っている。もちろんその反応は「あんまりわかんない」だ。

6キロ痩せても顔は丸いままだし、普段からゆるっとした同じ服を着ているので気づかれないのだろう。(ちなみに自分の着る服に時間をかけたくないので、服は色違いを揃え、ワンシーズンに3パターンくらいの服で回す制服方式を採用)

でも、もちろん自分ではわかっていて、からだは動かしやすいし、疲れにくくなったし、履いてるボトムがゆるゆるになっているのはうれしい。ここ数年はお酒も飲まないし(お酒好きだけどあえて飲まない人たちをソバーキュリアスっていうらしい)、基本お腹いっぱい食べないので集中力が高まる。その結果、勉強も創作もはかどる。それに痩せているときはなんとなく運がいいような気がする。(これは中高生時代からの友人の名言)

家族の夕食はつくるけど自分は食べないという、それなりに努力を要することを日々しているわけだけど、その努力の結果は自分にしかわからないのだ。

けっきょく努力は自分にしか見えない。そんなものだと思う。自分では努力とも思っていないことも含めて。


そこでやり直せるかどうか

たとえばドレスをつくっているときでも、ここはいちからやり直さなくても他人からはぜったいにわからないし、見た目にも着用にもまったく問題はない、けれども自分では仕上がりに納得がいっていない。みたいな葛藤がうまれる時がある。「そこでいちからほどいてやり直せるか」っていうことはじつはすごく大事だと思っていて、だいたい戻ってるんだけど、そのときに思うのは、「でも自分は知っちゃってるからな〜」っていうことだ。

ひとからは見えなくても、自分は見ている。見てしまったのに、見なかったことにはできない。おてんとさまも神様も自分も見ている。

努力もおなじ。けっきょく自分にしか見えないけど、サボった自分のことは自分がいちばんよく知っている。

わたしの部屋に貼っている名言。

自分の可能性をひたすら信じ、実現することのみを強く思いながら努力を続ければ、いかなる困難があっても、思いは必ず実現します。 稲盛和夫

稲盛和夫氏の本(タイトル忘れました)

昭和の受験生か。

でも、はたからは全然そんな風に見えないらしい。ふんわりゆったりしてみえるらしい。まさかこんなにもギラギラと情熱と野望を燃やしながら、叶うかどうかもわからない壮大なる目標に向かって、額に汗して必死に努力しているようには見えないらしい。

なんなら「なに、あの人。必死になっちゃっててなんかかっこ悪いクスクス」と思われてもわたしメンタル強いからぜんぜん平気なんだけどな、って思っているのにあまりそうは思われない。


なぜならわたしは丸顔だから。たとえ6キロ痩せても。



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ドレスの仕立て屋タケチヒロミです。 日本各地の布をめぐる「いとへんの旅」を、大学院の研究としてすることになりました! 研究にはお金がかかります💦いただいたサポートはありがたく、研究の旅の費用に使わせていただきます!