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6月の音楽、読んだ本など。 ー 坂本龍一、Awich、西村佳哲さんをつうじて聞く田瀬理央さんの話など


これから今月のまとめを書いておこうと思う。

アイキャッチはだいすきなお店のトマトパスタ。ほんとに、トマトと、ソースとオリーブオイルしかつかわれていない。


またnoteが更新できなくなっている後ろめたさがあり、まずは、好きなことについて書いてみようと思ってPCに向かっています。好きなことが重なると、親近感がわく。だれかと新しく出会えたらいいなという期待と、すでに知り合っているだれかと出会えなおせたらいいなあという期待があります。


よく聞いた音楽


坂本龍一『playing the piano usa 2010 / korea 2011 - ustream viewers selection』

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アジカンのgotchがChillプレイリストを公開しており、そのなかで特に良かった曲が『thousand knives』というナンバー。めちゃくちゃ良い。収録アルバムを聴き込む。


2010年の北米ツアー、2011年の韓国・ソウルでのライヴを収録したアルバムということ。個人的に #1『undercooled』から #2『thousand knives』の流れがサイコーだ。静かなピアノにのせて、韓国人ラッパー・MC Sniperの太いリリックが心地いい。そこからの叩き込まれるような『thousand knives』
めちゃくちゃ良いです。



Awich『孔雀』

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2020年1月リリース。個人的にジャパニーズフィメールラッパーのトップオブトップ。彼女の凄みはこの映像で確認してほしい。


夏になるとHIPHOPが特に聞きたくなるようで、いまさらながらAwichの新譜を。

オススメは #1『Love Me Up (Prod. Chaki Zulu)』 #5『Open It Up (Prod. Baauer)』#7『Bloodshot ft. JP THE WAVY (Prod. JIGG)』

Awichの凄みはどう表現すればいいんだろう。HIPHOPのシーンには詳しくないのでわからないが、いままでこんなフィーメールラッパーが日本にいたことはあるんだろうか。トラックセンスも、フロウも最高水準。そして生まれ持った存在感。まさにクイーン。かっこいいです。


読んだ本


『ひとの居場所をつくる ランドスケープ・デザイナー 田瀬理夫さんの話をつうじて』西村佳哲 著

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5月10日初版。めちゃくちゃ時間をかけて読んだ。岩手県遠野で、馬と人間が共生する空間「クイーンズメドゥ・カントリーハウス」をつくるランドスケープデザイナー・田瀬理央さんの話を辿る。

必要なものを自分でつくるより、探して買うことのほうを習慣化しやすい世の中だと思う。でもそれは、間違いのない買い物を望んでものごとを遅延化させやすいし、クレームに象徴される責任転嫁的な態度も招きやすい。ほかでもない自分の人生についてそんなふうでは、話にならないと思うし、そんな人間の多い社会にはあまり期待出来る気もしない。美味しい店をたくさん知っている人より、美味しいご飯をつくる人のほうがかっこいいだろう。どこへ移ろうが、いまいる場所で生きてゆこうが、そんなことはもちろん本人次第。きわめて個別性の高い話で、少なくとも第三者に煽られてするようなことじゃない。
そのときに必要なものを自分で、あるいは自分たちでつくる姿勢の有無は、健やかな互いへの期待の足がかりになると思う。
とはいえ、このあとの日本で生きてゆく人々に、自分たちの空間を一からつくり直してゆく経済的な体力は前の時代のようにはなく、既にある環境にかかわってゆく力が課題になると思う。部屋や建物のリノベーションにとどまらず、屋外や地域につながってゆく広がりの中に、自分たちの居場所を再構築してゆくことになるんじゃないか。
田瀬さんたちの実践は、その手元を照らす灯りの一つになるのではないかな、と思いながらこの本を書き進めてきた。
   P.243 ー ないものはつくる より


「そのとき必要なものを自分で、あるいは自分たちでつくる姿勢は、健やかな互いへの期待の足がかりになると思う」

田瀬さんたちの、遠野での、あるいは福岡アクロスでの挑戦は、彼個別のテーマ ーランドスケープ、という文脈で語られるものではあるけれど、この本で西村さんが照らしたとおり「わたしたちはどのようにわたしたちの公共を取り戻し、生きていけるだろう?」という強烈なヒントになる。

ただ、そのハードルはとても高い。「必要な土地利用をするために、共同体は農業生産法人として運営することにした」話や、「人だけではそれぞれのライフステージの事情で活動が停滞することにもつながりかねない。なので、人の思惑や事情とは無関係に生きている生き物がいて個人の事情に拘泥せずに済むリズムや軸として馬とともにこの場所を営んでいる」という話。
ー P.34 クイーンズメドゥ・カントリーハウスを歩く より

そして田瀬さんがその先に見据えるのは「取り戻したいのは緑そのものではなくて、それを通じて共有される空間の豊かさや意識、パブリック・マインド(P.146 公共空間のあり方)」や
「これから地上については、所有を超えて使ってゆくやり方をつくり出してゆくことになると思う。いまは建物を建てるための土地は買わないと自由に出来ないけれど、ただ使いたいまわりの土地については借りればいい。土地所有をめぐる話もそうだし、空き家の問題にしても。この状況を見直してゆくプロジェクトは、超法規的な枠組み(P.63 所有を超えて使う)」といった
「わたしたちが暮らす、未来の話」だ。

この本に書かれているのは紛れもない「本気」です。なにかを望むというのは、こういう態度なのだと厳しく、身をもって教えてくれた。みんなで共有した本だなあと思います。

あといくつか、印象に残った言葉を。

自然と土地と、公共的な精神や慣習が合わさって出来ている、日常性と社会性と地域性が、景色にしっかり表現されている、こういうものにかかわって仕事をしたいし、こういう景色をつくってゆきたいなと思う。じゃあなにを仕掛ければそうなってゆくのかということを、常に考えているわけなんです。その地域に住んでいる人たちが、本当に夢中になってやっていることが表に出てくるというか。それが結果としてまちにもなれば、景色にもなる。そういうのがいいんじゃないかと思うんですよ。本物をやるというのはそういうことでしょう。
田舎や地方の景色が汚くなっているのは、農業や林業がちゃんと生業になっていないからだと思う。〜時間を投入していないし、大量に薬を散布して、買ってきた機械で仕事を済ませていて。息を呑むような田んぼや山里の景観は、国内でも本当に限られているじゃない。だからお米は出来ているけど、環境は劣化している。パッと見た感じの景色は変わらなくても、カエルも鳴かない。
農業や林業を生業にしない限り田園ルネッサンスはあり得ないんじゃないかな。田園や里山の復活は、やっぱり夢中で農業をやらないと無理なんじゃないかと思います。
  P.73 ー 農業が景観をつくる
結局のところどれも実現しなかったプロジェクトは、どれもこれも既成の枠組みのなかでクライアント側の事情によっての事情によって頓挫してゆく。「なら、自分たちがクライアントになろうか」と。同じエネルギーを注ぐなら、自分たち自身が事業主体になってしまうほうが、投入したエネルギー分のことをちゃんと出来るんじゃないかと。
そんなことで「遠野でやろう」という方向に流れが向かい、まずは小さな小屋(いまの本館)を建てて⋯⋯ということになっていったわけです。
  P.78 ー 自分たちがクライアントになろう
そういう時代になってきている気がする。いろいろな仕事が、少しでも人件費を抑えて少ない人数で出来る方向へ向かおうとしているけれど、そうではなくて「より人がかかわる」というか。
 ー 仕事が人をつくるというか、働くことを通じて人は展開するし、能力も拓かれてゆくし。関係も育ってゆくわけだから。
田瀬 無駄なことをしないように考えていると、お金は生むかもしれないけど価値は生みださない。人が「めんどくさい」と思うことのほうが、むしろ価値を生みだすというか。人がつくったわけではないものが溢れかえっているから、世界全体がなんだか砂漠のようになってしまっているのだと僕は思うんだけど、でも、人の仕事は、投入されればされるほど価値を残してゆくんですよ。アルプスの鉄道にしたって、石造りの橋もトンネルも、みん
な人がつくっているわけですからね。仕事の投入が、そのまま人の営みの再生に繋がってゆくように考えるというか。そんな価値観が大事だと思う。
  P.106 ー 事業でなく、"環境"に投資する
このまち(東京)の未来は、どれだけ安全で、気持ちよく快適に暮らせるまちに出来るかに尽きると思います。それは公共の空地において、いろんなかかわり合いや、コミュニケーションがちゃんと交わされるかどうかにかかっていて、そのためには空間を空けてゆくしかない。計画的にどんどん駅前を空けてゆくとか。
たぶん税制改正なんでしょうね。個人の所有物だった不動産を、私有地でありながら公有地や公的な土地として活用してゆくには、税制が変わる必要がある。あるいは別の土地と交換しやすくなるとか、そんな動きを実現する国策が要ると思います。
  P.150 ー これからの東京
いまの社会の状況は、ただごとじゃないと感じています。誰も彼も、限りなく「手間をかけたがらない方向」に向かっていて。でもその人たちに手間をかけさせるというか、それぞれが自分にとって「本当のこと」をしてゆかない限り、なにも力を持ちえない。
僕はいま遠野と東京の両方に身を置いているからわかるけれど、本当にどっちも限界集落ですよね。どっちもどっちですよ。で、どっちか片方だけやっていても、どっちも解決しない。両方やることで初めて、都会のことも田舎や地方のこともできる。そんな気がするんです。
  P.152 ー 東京は出先くらいのつもりで


「わたし」のこと、遠野のこと、そして「わたしたち」のこと、具体的な法制度のビジョンや、パブリックマインドといったBeのこと。本気とは、見たいものだけを見るのではなく、ソリッドな現実も焦点に含む態度だと思う。けれど理想も忘れない。理想なき現実はひとを活かさない。

理想と現実を往き来する。自分が見たい理想にとどまりがちなので、現実の方に重心をおいていたほうがいいんじゃないかなあと思う。
コツコツやるフェーズと、目線をあげて、自分ごとが拡張されるフェーズ、それがしっかりとつながっているところ。こういうはたらきをしたいな。


そのほか

気になっているニュースは、BLM運動のこと、あと、UPLINKのはなしなど。

UPLINKの話は「すべての個人の”すき”をした活動の主語が、わたしからわたしたちになるときに起こりうる話」だと思っています。


もう少し本を読みたい。けれど、西村さんをとおして語られる田瀬さんの話は、しっかりと受け止めたかったので、今月はこれでよかった。

フワフワした言葉ではなく、しっかりと、地に足がついた言葉で話したい。
甘い期待、自分が見たいものだけではなく、ソリッドな現実から、希望がある話を見出し、語りたい。そうできる毎日を過ごしたいなあと思う。


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