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立場をデザインする


釜ヶ崎という街に行った。「あいりん地区」という呼び方が有名かもしれない。日雇い労働者の方がたくさんおり、その不安定な生き方ゆえに路上生活をする方も多くいる街です。あいりん地区のWikipediaを見ると概要のあとに「地域のかかえる問題」という項目が続き、そのあとには「あいりん地区ではたびたび暴動が発生している」という記述が続く。Wikipediaの治安さえ悪い。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%84%E3%82%8A%E3%82%93%E5%9C%B0%E5%8C%BA


どす黒い「貧困」というイメージを持っている。ひとりで歩くのは危険、とか。



この街で、路上生活のおじさんや含めた釜ヶ崎でアート活動を行っているNPOがある。


http://cocoroom.org/


Wantedlyに求人掲載しているんですけれど、もうおもしろいです。

” ひとはひとりで生きていけないから。「表現」をとおした自立・自律を育むための活動、社会や地域の問題解決のきっかけとなる活動をココルームは日々試行している。ホームレス、障がい者、派遣切りの若者、ニート、生活保護受給者など、多様な人たちと関わりながら、「新しい公共」のありかたをさぐっている。”

” 困難な状況にある人がいてその人を支援する、または支援されるというだけの関係はおもしろくないことだと思っている。 上下の立場や固定化した関係になりがち。 表現はこれを反転できるんですね。また抑圧されていた人達が勇気を振り絞って表現する時に、わたしは心を動かされる。 専門のアーティストが表現する機会をたくさん作るだけではなく、困難な状況にある人、抑圧された人、悩んでいる人達が表現をできる場を作っていきたい。 自律的な生き方を考えていくきっかけになるのではないかと考えている。”

(活動を手伝いたい、と申し出たカメラマンの方への言葉)
”ここは啓発や代弁をする場所ではありません。私たちは支援団体でも運動団体でもないんです。遠藤さんの仕事に共感はするけど一緒にはできません”

https://www.wantedly.com/projects/15689 より


このNPOのみなさんがつくるゲストハウスに友人が泊まっており、遊びにいかせてもらった。すこしだけ街を案内してもらい、井戸を見せてもらった。

井戸があるんですよ。中庭に。釜ヶ崎のおっちゃんたちとつくった井戸が。

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ゲストハウスを案内してくれた方が「ほんとの井戸端会議ができるんですよ」と笑っていたその場所から思ったことだけを話そうと思う。ぼくは3時間ほどゲストハウスと駅からゲストハウスまでの道を歩いただけなので、釜ヶ崎という街、ゲストハウスとそれをつくるNPOのみなさんについては話す資格は持ちえない(と、自分でおもう)ので。

さまざまなシーンで「わたしたちの立場をどう定義するか」は問われているな、それはもしかしたら、デザインしなければいけないのかもしれないな。という話です。


「支援する側 - 支援される側」という関係を超える

井戸は直径1mとちょっと、深さは4mあるらしい。コンクリートでつくられたとても立派な井戸だった。

この井戸をつくるとき、「ホームレスのおっちゃん」たちは大活躍されたんだそう。みんな土木関係の仕事についていた。「この道路やトンネルをつくったひとたちだから」と。

あいりん地区で活動をおこなうNPOというと、貧困の課題に対し~と想像しがちだ。実際、明日のごはんがないという空腹を満たしている側面もあると思います。けれどそれだけだと「支援する側 - 支援される側」という関係性のまま、固定されてしまう。この関係性を超えたところが「さあ、じゃあ、なにをしよう」というスタート。そのように(意図されているかどうかはわからないけれど)立場を軽く超えていく、この言い方をするのは勇気がいりますが(そんな意図がじっさいの現場のみなさんにないことがほとんどだと思うので。ごめんなさい)立場のデザインからはじめている人たちがいる。そう思うと、ああ、あれもそうだなあと思うものがいくつか思い出したので紹介させてください。

ルワンダ大虐殺

中学生だろうか、高校生だろうか、そんなタイミングでこの本を読んだ。ルワンダ大虐殺を生き延びた女性の手記。昨日まで、隣の家に住んでいた友人が鎌を持って殺しに来るという記憶はとてもショッキングだった。

https://www.amazon.co.jp/dp/B07GWCSD6T/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

ルワンダ大虐殺では、3か月で80万人が人種を理由に虐殺された。加害者側のほとんども、おなじ自国民だったということで、ホロコーストとは違う意味で人間の弱さを語る。わたしたちは、イデオロギーによって、一瞬で、昨日までの友人を鎌で殺していく。

ルワンダでいまなお続くプログラムが、ジェノサイドの加害者として語られるフツ族のみなさんが、被害者であるツチ族のみなさんの家づくりを手伝う、という関係性の回復の仕方だ。「償いの家造り」と日本では紹介されている。

http://www6.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/?pid=081127

もちろん現地に足をはこんだことはないので多くは語れないし、単純な性善説だけでされているわけでもないことは想像がつく。文化背景や、もしかすると、GDPなどの背景もあるかもしれない。けれど「罰する - 罰される」という関係性を超えようとする受け皿をつくる取り組みにはとても共感しますし、この時間が両民族のみなさんにとってポジティブなものになるのなら、その感情は、とても高尚なものだと思います。



バングラディッシュで化粧をする

向田麻衣さんも関係性を超えていく。「女性社会起業家」という文脈で紹介されることが多い。最近は音楽をつくっているらしい。

バングラディッシュやネパールで、人身売買など人権の危機に瀕する女性の逃げ場所、シェルターをつくり、その活動を持続的なものにするため、化粧品をつくっている。こんなブランドです。

https://www.lalitpur.jp/


向田さんを追った情熱大陸は感動的だ。
向田さんは、バングラディッシュ(だったと思います)へ行き、まず女性を集め、彼女たちに化粧をする。
化粧をされた女性は鏡をのぞきこみ、とてもとても、恥ずかしがる。一度、目をそらす。そしてまたおそるおそる鏡をのぞき込み、頬を赤らめて言う。「これがわたしだなんて、信じられない」と。

化粧をしてもらい、鏡にうつったじぶんの顔をのぞきこむ瞬間、彼女たちはなにを感じているのだろうか。向田さんの「化粧をする」という行為は、「支援する側 - 支援される側」という関係性を超越していると思います。「あなたには、価値がある」という強烈なエンパワメントなんだとぼくは理解している。そして、正しい自己肯定感のうえに、ほんとうの「自立」は育っていくのだということも確信する、そんな表情なんだ。



雪かきをして朝ごはんをたべる

僭越ながら、ぼくは大学生のときにこんなことをしていました。雪が多い町で、学生が高齢者宅へ雪かきをしに行き、朝ごはんをたべさせてもらうという活動。これは「立場をデザインする」ということの原体験かもしれない。

この活動はぼくの人間性の至らなさから、活動自体がもつパワーや本質性にくらべて育ちきらなかったなあという感覚(後悔?)が強いんですが、なんていうんでしょう、「これこそ」というはだざわりは覚えている。

「困ってるんでしょう?助けてあげますよ」ではなく、立場をデザインできたとき、お互いにいきいきとした、なんていうんでしょう、本来持っているエネルギーのようなものが満ちみちてくるんじゃないかなあ、と、体験的に知っている感覚があります。



その役割をおりよう。定義をしよう

「デザインするもの」ではないのかもしれない。結果的に起こるもの、なのかもしれない。
けれど、「支援する - 支援される」や「施す - 施される」という関係をこえていくことは、想像しているよりも大切だよな、と思っている。もしかするとシーンによってはいちばん大切なことかもしれない。

適切な立場のデザインを施せた場所は、ひとがいきいきとエネルギーに充満し始めるのではないかなあと思っています。そういう意味では「良い問い」と一緒のような効果があるのかも。釜ヶ崎の井戸には、そういうパワーがあったとぼくはそう感じています。この感覚は友人とは共感したいかも。「おれは助けてやっている」「おれは教えてやっている」という立場から健全な取り組みは育たないんじゃないかなあと思っているから。とてもファシズム的ですし、そういうものとわたしたちは決別しなければいけない。わたしたちがきちんと大切にされなければ、そしてそういう場をきちんと育てなければ先はないよなあ、ということです。これは結構切実な想い。わたしが大切にされない場所は、あなたも大切にされない場所だ。そういう場所はもう十分にあると思いますし、これからも生まれ続ける。そのことに自覚的ならば、せめて、自分がプロセスにかかわる場所はわたしが(あなたが)大切にされる場所である最大限の努力をしたい。



そしてこの「立場を規定する」ということの根元にあるエネルギーは、違和感なんじゃないかなあということも感じます。「なんだこれ?なんでこんなに偉そうなんだ?自分」といったような。そういった違和感から、「支援する側」「施す側」から降りていくひとが多いんじゃないか。そんな気もしている。どう思いますか?

釜ヶ崎にまた行きたい。できればぜんぶの役割をおろして行きたい。「教えてもらう立場でいきたい」ということすら、ちょっと気軽には言えないです。「ただそこにいれるように」なれればとてもうれしい。

じぶんが立つ場所に敏感でいたいですし、自分が立つ場所に、悩みながら過ごしたい。

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