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今年も3月11日が過ぎた。気仙沼にはともだちがいて、「ちょっとイケてる」街になってきていました


今年も3月11日が過ぎた。9年目が終わった。10年目がはじまった。

とても久しぶりに気仙沼に行かない3月11日を過ごした。気仙沼でむかえない3月11日は7年ぶりだろうか。

14時46分は気づいたら過ぎてしまっていた。例年、気仙沼で過ごす3月11日の14時46分は決まって雪が降る。その時間だけ。今年はどうだったんだろう。どこかではその時間ぴったりに虹がかかったとTwitterで流れていた。タイムラインに流れてきた虹はそれは見事だった。

3月11日のそのかわりといってはなんだけど、3月7日と8日は気仙沼へ行き、友人たちと過ごした。美味いモノをたくさん食べた。たくさん笑った。


震災後から気仙沼に事務所をおき、3.11後の気仙沼の魅力のおおきなおおきな力になっている糸井重里さん(たとえば、斉吉さんアンカーコーヒーさん気仙沼ニッティング。そのほかもきっとたくさん)の3月12日のほぼ日の言葉は「いまにして思うと、いちばんちゃんとできたことは、
 ただ、「ともだちとして、会いにくる」でした」と書かれている。

” 気仙沼に来ています。
 2011年にできたともだちに、次々に会ってます。
 なにができるかの「御用聞き」をすることから始まって、
 それなりのできることをしてきたのですが、
 いまにして思うと、いちばんちゃんとできたことは、
 ただ、「ともだちとして、会いにくる」ことでした。
 それだけが、「してほしいこと」だと言われたのを、
 ぼくは、ずっと、いまでもよく憶えていました。
 それだけでいいのかと思ったこともありましたが、
 このごろは、いいんじゃないかと思えてます。
 会って、なつかしんだり、相談したり、報告したり、
 食べたり飲んだり、笑いあったり、少し泣いたり、
 なんでもないようないろんなことがあります。
 まさか、ぼくも東北のある地域に、こんなふうに
 ともだちができるとは思ってもいませんでした。
 でも、実際に、ずっと、ともだちとして会っています。”
 ー 3月12日 ほぼ日『今日のダーリン』より


真似っこじゃないが、ぼくも同じことを、いつからだろう 、2016年ぐらいからかな?思って、言っていた。できることは「ともだちでいること」しかないとおもうし、もしそれ以上があるとしても、それは「ともだちでいること」のうえにできることだと思うのだ。


そして「ともだちでいること」ができることは、もうほんとうに、感謝すべきことだ。
むかえてくれる人がいるから、遊びにいくことができるんですから。


きっと「なにかしたい」と思うひとはたくさんいるが、ただの旅行だといっかい行ったきりになることがほとんどだろう。三陸にとってそんな人がたくさんいてくれることはとても大切ですからどんどん行きましょうね。ほんとに美味い。それを食べてくれる人がいなければ、美味いものは捨てられてしまうだけだ。

でももしかすると、消費者の立場からだけの旅行だと、三陸に足をはこぶ「なにかしたい」の気持ちは満たされないのかもしれないなあ、と想像している。


「ともだちでいてくれる」から、こうしてまた、気仙沼に行ける。


ぼくが三陸に直接できることは「ともだちでいること」になった。
そんで、それは、最高の運に恵まれたからだ。

「最高の運(ともだち)が転がっているところに足をはこべた」ということだけ、自分を褒めたい。


悲しいことや、みんなで共有する社会の痛みのようなものが起きたとき、できることはそれぞれに違う。じっと悲しむこと、連帯することもすごいことだとこころから感じますし、経済をとめないことも言うまでもなく大切な役割だ。

ただ。「ともだちでいる」ということは、なんていうんだろう・・
誤解を恐れずにいうと、とてもとても、うれしいんですよ。


ほんとうに「できれば」なんだけれど、痛みがあまりに大きくみえて無力感に苛まれるとしても、わたしにできることはないと確信があっても、もし身体が動くことが許される状況なのであれば
「行ってみる」を選んでみてほしいなあと思うのです。
三陸だけの話じゃない。



「わたしはだれかとつながっている」という事実は、自覚がなくてもその人が気兼ねなく笑える理由になってると思います。友人がひとりもいない自分の笑顔はあんまり想像できないもんなあ。ずっとぶすっとしてると思う。いま自然と笑えていることも笑えていないんじゃないかと思う。


きわきわのときはもしかすると思いとどまる理由にもなるかもしれない。「ここを曲がったら、きわきわになる」という心の状態って思い返すとだれにでもあるんじゃないかなあと思うんですが、その角をきわきわとは逆のほうに曲がれるのは、だれかの存在があるからだったりしませんか。直接会わなくても、わたしがだれかのなかにきちんと存在しているという事実は強い。
それとか、あのとき、あのひとと話すタイミングがなくもう少し思い詰めてたら相当しんどかったやろうなあ。そういうことって、わりとあるじゃないですか。


仰々しい言葉をつかうと、ひとりぼっちだとわりとすぐ人は死ぬんだろうなあと思います。「つながっていること」は、多かれ少なかれだれしもに必要なことなんだと思います。

「もしじぶんが」なんていうのもおごがましいけれど、もしじぶんがを考えると、やっぱり「ともだちでいてほしい」と思うんじゃないかな。一度で終わらず。最初はちょっと気恥ずかしい、というか申し訳ない「行くんすけど、時間ありますか!」の連絡も、9回もやれば恥ずかしくなくなるしね。



淳とは「なんであんなにとがってたんだろうね、出会った頃の俺ら」
「いやいやあんたはいまもやで」のやり取りが印象的、いや衝撃的だったw

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章さんはいつもどおり早口と小さい声で知っていることを教えてくれる。気仙沼の医療を支えてくれてありがとう。

てるちゃんにはまた壮大な忘れ物をしてしまい、迅速なご対応をいただいてしまいました・・なにしに行ってんだか・・って感じ(笑)

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被災時、自身ももちろん家が流され家族が見つからないまま経営するホテルを避難所として開放し運営せざるをえなかった社長は、新しい心臓埋め込み型のパートナーとともに新しい挑戦をはじめようとしている。

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女将はいつもどおり、どんな状況でも女将だ。女将がいつも女将でいることに9年間たくさんの人が元気になってるのだと思う。

なるさんとはほとんど下ネタしか話さなかったよ(笑)これからも気仙沼で新しく芽吹く可能性をなるさんが支え続けるんだろう。

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写真を撮れなかったともだちもたくさんだ。新しいともだちもできた。


そして気仙沼を友人に紹介するとしたら「ちょっとイケてる街」といえるような、そんな街になってきているなあと思いました。コワーキングスペース=人が集い、新しくクリエイトする場所を内湾のまんなかにいちばんに建てたのは意思を感じるし、いま建てられているのがスローフードをテーマにした施設だということもとてもセンスが良くないですか?


これらがつくられた意図や情熱がすくすくと育ちますように。そこにひとがたくさん集まりますように。

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ともだちでいれることが嬉しい。みんなありがとう。
また来年いきます。元気で^^

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