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スキップとのりしろで「問いの大切さ」を教えてもらった


アイキャッチのスキップはちょっと仰々しい。このあとでてくるスキップ、アスリート感はないものをイメージしてください。


わかいこがきた

お世話になっているのぶさんの会社、アスノオトの「わかいこ」が関西に来ているということで、神戸を案内させてもらうことになった。ちなみにのぶさんはこんな人です。greenz.jpでの連載。とても良いので「学びあうコミュニティに夢を見て」のキーワードにピンとくる方は見てみてください。「ひとの可能性をとことん信じきるひと」って紹介してる。

わかいこから事前にもらっていたリクエストは「のぶさんの紹介だから会ってみたい」「たのしいことが好き」「おいしいものが好き」ということ、13時に待ち合わせし、合流してから話すなかでもらったリクエストは「廃墟が好き」「知らないひとと話す時間が必要な感覚がある、おばあちゃんとかだとなお良し」ということ。ついでに「おいしいもの」はまわらない寿司というリクエストに具体化されました。コミュニケーションのなかでじぶんの必要なものをしっかり伝えられるのはすごいことだ。

さて、「知らないひとと話す時間が必要な感覚がある、おばあちゃんとかだとなお良し」にどう応えよう?と思いながら歩いていると、見るからに怪しい、そしてその場所の文脈を大切にしていることがわかるギャラリーが。吸い込まれるようにはいっていくわかいこ。奥に喫茶スペースがある、そのカウンターには妙齢の女性。まよわず座る。コーヒーを直前に飲んでいたのでジンジャーエールを頼む。2つ。

すぐにカウンターのお母さんとなかよくなるわかいこ。お母さんは「ずっと芸術家」で「とんでもない不良なのよー」と自己紹介してくれた。店内に飾っているいくつかの作品もお母さんがつくったものだそう。大きい作品が多いですね。

お母さん「ずっと芸術ばっかりしてたのよ。だからお金はないけれど(笑)」

「世の中には ”社会から要請されるやるべきことをやって世の中を豊かにするひと” と ”社会から要請される役割に反抗して世の中を豊かにするひと ”の2種類があると思ってるんだけれど、わたしはずっと反抗する役割だった
わ」

「このエリアは反抗するひとが流れ着いてくることが多いんだけれど、わたし以上の不良はやっぱりいないわねえ」

「最近は ”自分はアーティストだ” と名乗るだけで、じつのところなにもクリエイトしてない人が多い。アーティストを免罪符にする人はきちんと見抜きなさいよ」


話しもおもしろいけど、これ、聞き手がすごい。わかいこ、すごい。たぶん席に着いて3分もしなかったんじゃないだろうか、その時間で価値観を受け止める聞き手になってる。


その次にされた話が「ときどき、学校や幼稚園で図工や工作の外部講師をしているの」という話題でした。「スマホによってじっくり考えるという時間が盗まれている」っていう話からだったかなあ。

「先生とよばれる仕事は、ほら、給料がいいでしょう?」といたずらっぽく笑いながら2枚、紙を取り出してくるお母さん。

途中でコーヒーのオーダーがはいる。常連さんの様子。お母さんは「この齢で喫茶店をやるののいいことは、なにか言われても ”聞こえないフリ” ができることなのよ」と笑って教えてくれる。コーヒーの準備に取り掛かる様子はない。紙を片手にそれぞれ一枚づつ持ち、話は続く。

「このまえ幼稚園でやったのはね、紙を2枚だけ渡して ”これで家をつくってみない?” という遊びだったんだけれど」

「家にするために、まず床が必要。だから1枚は床にして、じゃあもう一枚は壁にしましょうかということにして」

「その教室にテープみたいなものはなくて、あったのはのりだったんだけれど。これでどうやって壁をつくる?と聞いてみて、あとはわたしはじっと黙ってるの。そしたらみんなはすぐに円になって、あーでもないこーでもないって」

「ちょっと待ってると、すぐに紙を折ってのりで貼り付けるのよね」

「のりしろの再発明が起きたってこと」


その話をきいたわかいこのポロっとこぼしたひとことに衝撃をうけた。

「ああ、やっぱり問いなんですね。いい問いがあったら勝手にはじまるんだ」



すごくないですか?ほんとになんでもないといったふうに、「やっぱり問いが大事なんですね」って言えちゃう彼女。

いままで「問いが大切」だったり「課題設定能力が大切」だったりするということは、なんとなくわかったつもりでいました。わかってなかったんだなあ。


なぜ、問いが(あるいは、課題を設定するということが)大切か。それは、受け手にエネルギーがあると「勝手に動き出していくから」なんだ。


逆にいうと、良い問いがない場所は全体主義的な(目指す場所が規定されており、偶然から生まれる価値は起こりにくい)、あるいはやりがいが生まれづらい場所になるんだということも理解できた。その仕事からの意味があまり感じられないとやりがいは目減りしていき、それにかかわるひとの本来持っているエネルギーはどんどん削がれていく。

みなさん、良い問いが投げかけられるっていうのは「その場所/ひとを信頼して物事がはじまる起点をつくることができる」という特殊能力のようです。超能力みたいだな。そりゃ大事ですね、問いからはじめること。課題を設定できる力。

ああやっとコーヒーの準備をはじめたな、とお母さんを見ながら、いま起きたことは、こりゃ、すごいことだと。ミルで豆が挽かれる音がしていました。


わかいこのこと、そのほか

一日一緒に過ごしたわかいこからはいろんなことを教えてもらって、彼女、教育を学んでいたということなんだけど
「学びが教室のなかでしか行われないことになっている」ことに違和感をずっと持っていた、という教えてくれました。
まなびって、関係性や社会との接点からのほうがうまれるんじゃない?って。

あたりまえとされる就職活動では、教育に関わろうと思うと、教室のなかの学びあるいは教室のなかでの学びを補強することしかできないと思ったんだって。それで、最初にかいたのぶさんの会社を見つけ「会いたいです」とコンタクトをとったんだそう。そして「雇ってくださいと、なかば、脅すように(笑)」彼女の学生の肩書を卒業した新しい生活ははじまったんだとか。

わかいこは、じぶんのはたらきかたを誇るようなそぶりはまったくなくて。じぶんの資質と、じぶんで設定したミッションにもとづいて、ごくあたりまえにそのはたらきかたを選んでいた。


だって、ぼくはいまでもしちゃいがちな、言葉をつなげるために肌ざわりがしないことを話す瞬間は一度もなかったですし、おそらくそのせいで無言の時間もたくさんありましたし、「ボーっとしてる子なのかな・・?」と最初は思ったぐらい(1時間後には「ああ、いま考えているんだな」とわかった)。


まわらないお寿司をたべたあとは「ああ、おいしかったなあ。たのしいなあ」って言いながらスキップをはじめちゃうような子なんですよ。わかいこ。ごく自然にその振る舞いをしている。ちょっとおじさん(ぼくです)のインサイトをつかんでしてあげたスキップではなかったはず・・。・・うん、きっとそうではなかった。そう信じたい。そう信じたいバイアスもあるかもしれないですが、やっぱりあれは自然に出たスキップだった。はず。


ぼくが(あるいは、ぼくら、は。世代で括っています)「まだじぶんにはできない」と思っていたはたらきかたを、ごく自然と、おいしいものをたべてスキップするような女の子が選べる選択肢なんだ。そのことも、しみじみと、感じた一日でした。


いい問いを持ちながらまいにちを過ごしたいな。

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