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たけジョブサンのプロフィール

 こんにちは!このページでは、”たけジョブサン”のプロフィールを紹介します。どんな内容にするか、書きながら考えてみたいと思います。

 (追記)
 サッカー中心の話になりました。長めで重めです。


◇プロフィール

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本名:北川 岳之(きたがわ たけゆき)
ペンネーム:たけジョブサン
家族:妻(よめジョブサン)
誕生日:1979年12月5日
出身:石川県金沢市
現住所:沖縄県国頭郡今帰仁村
職業:エンジニア ⇒ 塾講師 ⇒ 牛の世話のお手伝い ⇒ 無職
趣味:ドラム、サッカー、プロレス、スマホゲーム(キングダム セブンフラッグス)、お風呂に入って「あ゛ー」って言う。
特技:手でおならの音を出すこと。少食のくせに目の前に食べ物を出されたらずっと食べる。初対面の人に対してガツガツ行く。
弱点:あれやこれや考えて結局何もしない。過去ばっかり気にする。牛乳が大好きで飲みすぎて腹壊す。初対面の時はガツガツ行くくせに、慣れてくるとおとなしくなる。遅筆。

◇生い立ち(サッカーとの関わり)

 石川県金沢市生まれ。両親と祖母と姉2人に囲まれて、とっても大切に育ててもらいました。小中高と何不自由なくたくさん遊んで、部活はサッカーを頑張っていました。サッカーを始めたのは、僕自身も記憶があいまいなんですけど、おそらくキャプテン翼の影響だと思います。
 
 中学は弱小チームだったので、3年のときの公式戦で初めて点を取ったときは思いっきり舞い上がっていました。高校3年時のインターハイ県予選で星稜高校と対戦しました。僕は当時、センターハーフ(オブベンチ)で後半途中からの出場でした。頭の中が真っ白になっていたのに、スルーパスやトラップなどうまくいったプレーは覚えています。試合終了後、ミーティング時になぜか泣いてしまったんですが、不思議な感情でした。「ああ、もう終わりか」「あれ、泣くほど頑張ったっけ?」「楽しかったなぁ」

 高校卒業後、一浪を経て仙台で大学生活をスタートしました。大学でもサッカーを続けましたが、いわゆる”部活”ではなく”サークル”に近いもので、「大学に入ったからバイトしたいし遊びたいしなー」という動機で選んでいました。

 それから大学院に進学して、たまーにボールを蹴って遊ぶくらいになりました。大学在籍当時からベガルタ仙台を応援していたので、よくスタジアムに行って観戦していました。佐藤寿人選手とマルコス選手の2トップにはいつもワクワクしていました。このころから、自分にとってのサッカーは”プレーするもの”よりも”見るもの”に変わっていったかもしれません。

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(2019年のサッカーキャンプにて。佐藤寿人選手。会えてうれしかった!)

◇就職してから

 卒業後、無事に愛知県の会社に就職することができました。そこでは、草サッカーチームに参加させてもらったり、会社のフットサル大会などでプレーしたりしていました。また、グランパスの試合もよく見に行きました。

 入社してしばらく経って、会社の研修プログラムでアメリカに一年間行ってきました。現地では仕事もほどほどに(笑)、めいっぱい楽しんできました。出向先の同僚といっしょにフットサルに参加していたんですけど、あるとき、ジャンプした後の着地に失敗して、左ひざのじん帯を損傷してしまいました。「グリッ!」という音が体の中に響いたのを鮮明に覚えています。そこからさらにサッカーをプレーすることから遠のいていきました。

 日本に帰ってきてからも会社の同僚と楽しくフットサルやサッカーをやることはありましたが、左ひざをかばいながら恐る恐るプレーしていました。10代や20代の頃のようにプレーすることができなくなって悔しい気持ちと「まっ、いっか」という諦めの気持ちが混ざっていました。

 体を動かさなくなると心もすさんでくるもので、仕事の責任や昇進などを意識するような時期になったことも重なり、勝手にプレッシャーを感じてしまい、もともと仕事ができなかったのにさらに手につかなくなりました。当然、同僚や関係会社の人たちに多大な迷惑を掛けるようになりました。そこからはもう悪循環で落ち込むだけでした。

 妻や同僚には声を掛けてもらったり笑顔で接してくれたり、何度も手を差し伸べてくれましたが、顔は笑っても心の中では「やばい、また迷惑かけてしまう。」「助けてもらえるほど、自分で努力したか?」「このまま見限られたらどうなってしまうんだろう」というネガティブワードばかりが浮かんでいました。

(米津玄師の『Lemon』を聞きながら書いています・・・泣きそう)

 結局、周囲の人を裏切りっぱなし、迷惑掛けっぱなしのまま、逃げるように会社を辞めました。


 「人生オワタ」と本気で思いました。 


◇沖縄に移住

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(今帰仁村 うっぱまビーチ 海開き。4月です(笑))

 正確に言うと、会社を辞める少し前に徐々に気分が上向いていました。というのも、妻が「沖縄もいつか住んでみたいねー」と言っていたので、ためしに沖縄で仕事を探してみたんです。そしたら塾講師を募集していたので、「一応高校までは勉強していたからイケるかな」と応募したところ、運よく今帰仁村(なきじんそん)の教育委員会に拾っていただいた次第です。

 その後はトントン拍子でものごとが進んでいき、沖縄に移住することになりました。このとき、『ポジティブな動機で何かに取り組んだとき、得体のしれない外力が働いて形になっていく』のを感じました。

 感謝の気持ちはもちろんですが、次やることが決まってホッとしたのが一番でした。何かの役に立てるかもしれないという自信も少し湧いてきました。実際はというと、環境がガラッと変わったこともあって、また、新しく始まる取り組みだったので、やることなすことが新鮮でとても楽しかったです。委員会の方だけでなく近所の方々も生活面などでサポートしてくれて、とても助かりました。

 あ、サッカーの話を忘れていましたが(汗)、来沖して1か月が過ぎたころ、地元のサッカー好きに混ぜてもらったサッカーチームの練習中に、またしても左ひざのじん帯を損傷しました。そこから「あ、もうダメだこりゃ」と諦めました。

◇塾講師として

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 (塾での一コマ。ほぼ毎日欠かさず塾に来てくれた生徒。ありがとう!)

 塾講師として勉強を教えることも大切ですが、県外から来た「よそ者」として生徒たちに接することで、考え方の多様性につながったらいいなと思って取り組みました。とにかく生徒たちがかわいくて、変容していく様を見てうれしかったですし、「自分も頑張らなきゃ」と励みになりました。

 またその傍らで、地域の活動に参加させてもらったり、県外の研修に参加させてもらったりして本当に勉強になりました。特に、会社にいるときには絶対に出会わなかったであろう人たちと交流できて、いろんな考え方に触れられたことが何より楽しかったです。

 ところが、仕事に目を向けると会社時代と同様、自分ではどうにもできないことが増えてきたときに、また悩み始めるようになってしまいました。その結果、また同僚や関係者、何より生徒に迷惑をかけることが増えていきました。

 そして、塾講師を辞めてからというもの、「自分は何ができるんだろうか、何をしたらいいんだろう」などと、40歳間近にして、自分探しをするようになりました。

 結論から言うと、自分は見つかりませんでした(笑)

 ただ、その間に、今帰仁で仲良くなった人から「牛やってみないか?」と声を掛けてもらったのがきっかけで、牛の世話のお手伝いをすることになりました。


◇牛飼いに。そして無職へ・・・


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(牛の美人さんコンテスト 沖縄県大会にて)

 やり始めてからというもの、これもまたまあ楽しいこと。塾講師のときの生徒たちと同様に、牛もまたかわいいんです。つぶらな瞳でじーっとこちらを見つめています。「エサくれ」ってことなんでしょうけど。

 牛の世話は基本的に手作業ですが、大変な作業では重機を使います。僕はというと、重機に乗せてもらう機会があって、壁や水道管などに威勢よくぶつけて破壊してしまいました(汗)。やっぱり何をやっても迷惑をかけてしまうもんなんだなと、これまでより深い諦めの感情が湧いてきました。

 そして、しばらくお手伝いをする中で、新しい感情が芽生えます。「あれをやってみたい」「こんなふうにしてみたい」というポジティブなものです。会社時代や塾講師のときもありました。しかし、「でもこうなったらどうしよう」とか「できないよなぁ」とネガティブな感情がすぐに浮かんできていました。

 牛飼いは基本的には手作業なので、牛飼いには体力が必要です。牛飼いたちはみんな体がゴツイです。最初のうちは体中が痛かったんですよ。特に腰。腰を曲げる作業が多いので当初は「あいたたたーっ」と声を挙げながら作業していました。

 でも人間の体って慣れるもので、腰の痛みは減っていきましたし、腕の筋肉がついてきました。そんな感じで体の使い方が分かってくると、牛に目を配る余裕ができ、牛の変化が分かるようになります。そうなると、「牛のためにはこの作業をこうしたほうがいいんじゃないか」とアイデアがどんどん浮かんできます。少しずつ勝手に現場をいじって(汗)、うまくいったら残すようにしました。そうしてうまくいく事例が増えると、止まらなくなりました。

 大事なところはボスに任せていたので、責任感が薄かったのと(⇐オイ!)納期がなかったので伸び伸びとやれたのがポイントだったかなと思います。

 (そりゃ組織じゃ生きていけないですよね・・・)

 体を動かしていると自然と頭も回るようになるんでしょうか。もちろん、牛の世話をしているだけではなく、いろいろな方と接して他愛もない話をする中で、様々なアドバイスもいただきました。そうしてポジティブな感情が増えてくると、欲が湧いてきたんです。

 (あ、サッカーは全然してません・・・試合は見てますよ!)


◇「やりたいことをやってみよう!」

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(今帰仁村 長浜ビーチ付近 まだ水が冷たかった・・・)

 やりたいことがなかったわけではないんです。ただ、「これをやったところで、どうすんの?生きていけるの?」という疑問が湧いてきていたんです。今までは。

 今帰仁で生活していく中で、そういう疑問が頭に浮かんだ時、「ま、いっか。とりあえずやってみるか。」と考えるようになっていきました。

 僕の周りの人は、やりたいことをやって楽しんでいる人が多いんです。牛が好き過ぎて牛といっしょに寝る人や、音楽が好きすぎてミュージックバーを作った人、そのミュージックバーで毎日ハイボールを飲み続ける人、学生時代勉強してこなかったのに40歳近くになって物理を勉強してる人、3日前に詩人になったゴーヤ農家の人、地域の子どもたちの将来を心底考えて即行動する人。

 もちろん、みんな生きるために仕事をしています。中には歯を食いしばって働いている人もいます。「あきらめてるからよぉ!やるしかねぇだろ!」と言うのはゴーヤ農家さんです。

 ただ、みんなに共通しているのは、”生き生きしてる”っていうことです。みんながキラキラしているように見えて、うらやましかったし、「こうなりたい!」と思うようになりました。他人のことは置いといて、自分がどうしたいかに重心を傾けることができるようになりました。

 じゃあ、改めて「自分は何ができるか」と、ようやくポジティブにこの疑問に向き合うことができたわけです(永かった・・・)。



◇ようやくサッカーにたどり着く

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(2019年 浦和レッズのサッカーキャンプ@金武 西川選手の笑顔!)

 まずは見てください!西川選手の笑顔!トレーニングの後で疲れているはずなのに満面の笑みで2ショットに応じてくれました。何より僕も歯茎が見えるくらい笑っています。二人とも顔がシワシワですが、今まで撮った2ショット写真の中で一番好きな1枚です。

 選手個人の考えは聞いてみないと分かりません。仕事としてやってくれているかもしれません。ですが、それでもこうやって笑顔で接してくれると心が温かくなります。また応援したいと思わせてくれます。

 だからといって、笑顔で接してくれない選手を責めるつもりは毛頭ありません。選手だって人間です。仮に僕がサッカー選手でそこそこ知名度あって、一定数のファンがいたとして、毎日のキツイ練習終わりに、早く家に帰って休みたいのに、写真を求めてくるサポーター全員に、西川選手のような笑顔を続けられるかといったら、正直できないと思います。

 この考えに至ったのは、実は無職になってからです。何度か写真を撮る際、選手に無視されたことがあり、「ええええ?」とビックリして、後々考えて「何が悪かったんだろう?」と悩むことがありました。でも答えは簡単で、選手だって人間だもの。もともと人前に出るのが苦手だったり、笑顔を作るのが苦手だったりという選手もいるでしょう。試合に出れず、いいプレーができず、悩んでいるときもあるでしょう。本当に疲れていてそれどころじゃないときもあるでしょう。

 で、何が言いたいかというと、

 「選手たちの声を聞いてみたい!」と思うようになったんです。昔から僕が憧れていたサッカー選手という職業に就いた人たちは、どんな考えを持っているのか。それこそ、サポーターとの関わり方についてだとか、今後のサッカー人生をどんなふうにしたいかとか。

 でもそれをするためには、相応の信頼関係が必要になってきます。何の関係もない一人のサポーターが選手に対して上記のような質問をぶつけたところで、何も返ってくるわけがないでしょう。

 現在、那須大亮さん(2020年1月に現役引退)のYouTubeチャンネルが人気です。たくさんのJリーガーや国外でプレーする選手をゲストに呼び、様々な質問をぶつけたり、フットサルをしたりしています。僕が知らないだけで、他にもそういったことをされている方もいることでしょう。でもそれは、ゲストの選手との信頼関係があるからこそできることだと思います。「この人のためだったら、一肌脱いでやろう!」という思いがゲストにはきっとあるのでしょう。

 そこで、「まずはライターをやってみよう」と思ったんです。

 塾講師時代にお世話になった先生に、どういう話の流れか忘れたんですが「ライターに興味ないの?」と質問されたことがあったんです。その時は「え?何でですか?文章書くのは苦手っすねー」と答えましたが、実は、その質問がずーっと頭の片隅に残っていて、ここに来て、大事な選択肢の一つとなりました。というのも、文章書くのは苦手だけど、キライじゃないからです。

 まずはフリーライターとしてサッカーに関する記事をたくさん書いてみて、それで選手たちのことも含めてサッカーについてもっと知ろうと思いました。今住んでいる沖縄県には、1月になると多くのチームがサッカーキャンプのためにやって来る!せっかくのチャンスがすぐそこにやって来る!

 ということで、この note を始めることにしました。

 今後、とにかくやってみます!

 以上、かなりの長文になってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました!

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