記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

【エッセイ】タイムリープの罪

映画『君の名は。』の物語には、大きなきずがある。

過去を改変する目的でなされるタイムリープだ。

物語の始まりから3年前、ヒロインの住む糸守町に、隕石が落下し、多数の死者が出た。死者の中には、ヒロインも含まれていた。

主人公の少年とヒロインは、夢の中でお互いの体が入れ替わる現象を通して、無意識に惹かれあっていく。しかし、実は二人が生きている時間の間には、3年のズレがあることが、中盤で明らかになる。

主人公は、3年前に既に死んだことになっているヒロインを含む、糸守町の人々を救うために、ヒロインの体を借りて3年前の糸守町にタイムリープし、隕石落下による死者数をゼロに防ぐことに成功する。

エンタメ的には、ここでいったん「めでたしめでたし」となる。

では、糸守町の人々の死をなかったことにすることで、物語に直接描かれない、主人公が見ている範囲外の世界では、どのような事態が発生しえるのか。

例えば、3年前に東京で、AさんとBさんのカップルができたとする。

二人は結婚し、やがてCちゃんという子を産み、現在も三人で暮らしている。これは一つの歴史だ。

そこに歴史の改変が加わった場合、東京のAさんが、Bさんと出会うよりも先に、糸守から避難してきたDさんと出会う可能性がある。このとき、DさんがAさんのパートナーになったらどうなるか。

3年という歳月をかけて築いたAさんとBさんの歴史は、当然なかったことになる。Cちゃんの命もなかったことになる。

これは極端に直接的な影響だが、さらなる歴史への間接的な影響は計り知れない。

心理的な影響もある。遺族が現実を受け止めて、悲しみと向き合うのにかける3年という歳月は、あまりに重い。そんな遺族にとって、もともと死がなければ「めでたしめでたし」と言えるのかもしれない。しかし、だからと言ってその3年間の苦悩は、安易に否定してよいものだろうか。

やがて再会する主人公とヒロインの運命は、「なかったことをあったことにする」ことだ。糸守町のヒロインの友人二人が結婚する描写も、それに含まれる。

これら「あったことにされる」幸せの足元には、常に「なかったことにされる」者たちの無念が踏みにじられている。この二者はコインの裏表か、ある意味では同義とも言える。必ずしも一方がポジティブに働き、もう一方がネガティブだとは限らないからだ。隕石の被害は「なかっとことにされる」が、それ自体はポジティブな事柄だと認識される。

しかし、過去を改変する行為が原理的に持つこの罪について、作中で少しでも触れられただろうか。物語として、タイムリープが可能な仕組みや装置の存在する世界なら、それは使われない方が不自然だから仕方がない。しかし、その描き方として細心の注意が払われなていないように感じるものは、筆者はどうしても許容することができないのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?