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授業はいらない、でも学校は必要って話

今回の記事を結論から言うと
①学業はオンラインで全国にいる(全世界にいる)優秀な先生の講義を受けた方が良い、だから近くにいる平凡な先生の授業は受けない。
②でも学校には非認知能力を養うために通った方が良い
一般の先生に求められる役割は子供を見守るスキル

つまり既存の学校に通う概念が大きく変わるって事です。


教師の淘汰が始まる!?

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良くも悪くもコロナによって我々の生活を大きく変わりました。良い面?で言えばリモートワークによって既存の仕事の無駄が大幅に解消されました。結果、不必要な社員も可視化されたとか、、、、(汗)

これは授業やセミナーでも同じことが言えます。私はビジネス系やクリエイター系のセミナーに通っていたのですが、現在はZOOMでも参加しています。さらにZOOMを使うようになって海外にいる優秀な人と繋がるようになりました。時間や移動コストも解消されたのです。自分が得る情報の質や密度はコロナによって逆に高まったと実感しています。

これは学校でも同じことで、今後はオンライン授業が主流になり物理的距離の制約から解放されるようになると思います。日本はなぜか学区という訳の分からないものに縛られます。この地区に住んでいるからこの学校みたいな。だから習う先生も選択の余地もなく決まってしまうのです。これは運と言うしかありません。

しかし、オンライン授業になれば別に近くの無能な教師より世界中の優秀な先生から「良い授業」を受けられます。距離も人数制限という制約もありません。すると教師の淘汰が始まります。英語はこの先生、数学はあの先生なんて感じで。


でも学校は必要ですよ

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みなさんは非認知能力って言葉を知っていますか?

認知能力とはIQとかテストの点数とか数値化できる事を言います。一方非認知能力とは数値化できない感情や感性などを指します。

例えば友達と遊んで楽しいと思う気持ちや他人を思いやる感情などです。他人と関わるために気を使う・空気を読むなどコミュニケーションスキルも非認知能力です。人間に備わった「感性」と言った方が適切かもしれません。

この非認知能力はけっこう大切でAIには代替えできない人間の強みです。オンラインでもコミュニケーションをとることが出来ますが、実際に会った時の肌感覚はオフラインでしか体験できないでしょう。


一般の先生に求められることは

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これまでの話をまとめると
①オンラインで世界中の優秀な先生から授業を受ける
②学校には非認知能力を養うために通う

では先生はどうする?

学校に先生も大切な役割があります。さきほど教師の淘汰が始まると言いました。しかし、それは授業のみにフォーカスした場合です。

実際生徒はまだ精神が出来上がっていません。つまりメンタルフォローというか「先生は見守っているよ」っていう安心感、言い換えれば「心のよりどころ」が必要です。

○○君はこの問題が解けるんだ。頑張ったねってとか体調悪そうだけど大丈夫って感じで承認欲求とか気にかけてくれる大人の存在が必要です。

先生はそんな子供を支える役割があり、一番大切なスキルだと思います。

皆様のお役に立てるnoteになれば幸いです。