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バーリトゥードのリングに立って

何でもありだ、くだらない人生なんて。
きっと何やったってそんなに悪くないし、どんな奴かも気にしない。
外国人かどうかも、どんな性別であるかも、本当にやりたいのかどうかすら、本当はどうでもいい。

平等であるその時は、バーリトゥードのリングに立った時だ。
最初からそこに立っていた感覚を持っていたら、皆きっと勝者になれた。そうなれなかったのは、知らなかったから。

言ってみれば色んなことが片付いてしまう。
人生はバーリトゥード、経済もバーリトゥード、生活だって、教育だって、果ては恋愛ですら、バーリトゥード。そんな生活。

やりたいかどうか、勝ちたいかどうか、そんな事は観客には一切関係ない。
生まれ落ちた瞬間から、資本家のご子息もファヴェーラのスラムドッグも、生きていかなければいけないことにおいては平等で、都会的な美人系でも、可愛らしい女の子も、ヤンキーもガリ勉も、観客はそんな事、舞台を彩る要素の一つとしか見ない。
同じリングの上で拳を交え、誰が勝つかを目撃するかにこそ価値がある。

経済戦争だってきっと同じだ。
市場シェアの過半数を取ろうとする絶大な大企業と、対して稼げなくても良いけど、やりたいことをやると言う小さな企業無量大数が同じリングの上で闘う。
本物の勝者は存在しない。

残念なことに生まれ落ちた時から、バーリトゥードのリングはずっと存在していて、幸せとか貨幣とか、果ては愛とか、そういうジャンルの違いだけがあって、観客も俺らも、ずっとリングに立っている事だけは確かで、仕方なく闘う。本当はそれすらどうでもいい。観客にとって、美談であるか、それだけが価値をもたらす。

相手が誰になるのかもわからない。鉄の拳でぶん殴ってくる若い男かもしれないし、開始早々フライングニーをかましてくる茶髪の姉ちゃんかもしれない。

シャドーボクシング、空に向かって放つ左ジャブ、牽制のインサイドローキック、裸絞め。
リングの上で軽くジャンプして、汗と心の在り処を、もっと下に下ろして。

対戦相手とアイコンタクトを交わす。ほんの一瞬、僅かの刹那。
僕は焦点を絞った目付きで、バーリトゥードのチャンピオンを取りに行く。その為に、まず、目の前で対峙するあんたと、小さな小さな密約を交わす。拳を突き合わせて構えた時にはもう分かる。このリングの上で、二人だけ孤独だ。

僕がストレートを受ける事も、ハイキックで一度ダウンを決めるところも、全て全て予定調和。
馬乗りになってパウンドをかますその時に、僕は偉大なるインチキをやっている。その事を諸手で実感する。

そうだよ、俺がこのリングで勝ちたいかどうかも、あんたがこのリングで、闘いたくないかどうかも、観客は気になどしない。それがリングのルール、バーリトゥードの本当のルール。

その中で作る、ほんの僅かな予定調和。俺とあんたの、くだらない八百長。
リングとは人生だ。リングとは生活だ、リングとは恋愛だ。リングとは金を稼ぐそのステージだ。

そんな世界の、可愛らしい抵抗。
リングの上で演じる僕は、きっと何より勇ましい。
堂々とした、八百長を踊るあんたは、きっと何より美しい。

バーリトゥードの人生の上で、堂々と僕等は大ボラを吹く。本当に打ちのめした挑戦者には悪いけど、これから僕等は、観客どもを騙してやる。
3ラウンドは必要ない。

10カウントの後に、床に倒れ伏すあんたはニヤリと笑う。
そうだ、僕は掲げられたペラペラの成功と勝利のチャンピオンベルトを床に叩きつけて笑うんだ。

偉大なるインチキ、その刹那に轟く怒号は、きっと何より壮大だ。

またこいつよくわからんこと書いてるよー。
そうお思いになるお気持ちはようわかる。察する。
意外とごく普通のことなんだけどね。過日、全社会議にて徹底討論がなされた、成功する事について、そののちうんうん唸っていたのだけど、唐突に答えが出てしまった。
勝ちたい奴も、別にどうでもいい奴も、勝負そのものを否定する奴も、立っているのは同じリングだ。なんで違うと思ったのか、なんて。
じゃあもうこれしかねぇじゃん。インチキ八百長。
全身全霊、精神ギリッギリの壮大なインチキ。

まあ何が言いたいかというとね、ひさしぶりに格闘技の試合が見たくなったという、それ!

サポートはお任せ致します。とりあえず時々吠えているので、石でも積んでくれたら良い。