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「役立たないもの」っておもしろい

シラバスに興奮した大学1年生の春

 宗教学、犯罪心理学、西洋経済史、生命進化論、映画芸術論、アジア社会とイスラーム、比較文学入門……。

 大学生になった僕は「シラバス」を眺めながら興奮していた。なんだろう、このよくわからないけどワクワクする感じ。なんの役に立つのかわからないけど学んでみたいという欲求。「もしかしたら自分が考えているよりも世界は広いのかもしれない」「僕の知らない世界がまだまだ広がっているのだ…!」シラバスを眺めながらひとり興奮していた。

 受験勉強をしているあいだは「いかに効率的に点数を取るか」に注力してきた。すべては大学に受かるため。このテキストをやるのも、あの講義を受けるのも、すべて点数を取るのに「役立つ」からだった。けれど目の前のシラバスには「なんの役に立つか」は書いていない。なんの役に立つのかわからない。でも「めっちゃくちゃおもしろそう!!」だったのだ。

(ただ、実際の講義が始まるとそれは失望に変わる。シラバスの「おもしろそう感」に比して講義がそんなにおもしろくなかったから。結局、大学に寄りつかなくなって、バイトや遊びに明け暮れて留年することになります。)

タモリ倶楽部に出てくる人への憧れ

 大人になった僕は、普段、役立つ本を中心につくっている。役立つものは売れるからだ。好きな人やテーマで本をつくるときであっても「ノウハウ要素」「お役立ちエキス」をかならず混ぜる。文春の編集長だったら暴露本ではなく「仕事術」に仕立てる。佐藤可士和さんだったらデザインではなく「打ち合わせ」という身近なテーマに寄せる。それは商業出版では大切なことだと思うし、それはそれでいい仕事をしているとは思う。

 ただ、それとは違ったフェーズで自分の中で飽きてきた部分もある。「役立つもの」がちょっと食傷気味なのかもしれない。役立つものとはお金になるもの、だ。それもわりといますぐに。ビットコインを学べばお金になる。プログラミングを学べばお金になる。数字、お金、数字、お金……そんな世界にちょっと疲れてしまったというのもある。売上、点数、前年比、ノルマ……いや、大事だよ。大事なんだけど、ずっと考えていると疲れちゃう。

 ただただ「おもしろい」という感覚に、素直に、忠実に、動いてみたい。そういう欲求がむくむくと湧きあがってきている。

 タモリ倶楽部なんかを見ていると「誰がそんなの興味持つんだよ!」というものに目をキラキラさせている人がいる。心底うらやましい。この人の人生はきっと幸せなのだろうな、と思える。鉄道、辞書、坂道、プロレス……どんな世界であれ、夢中というのはまさに夢の中。夢心地で人生が過ごせたらきっと楽しいだろうな。

「役立たない学校」ってどうだろう

 そんなわけで昨日の深夜、ふと「役立たない学校」ってどうだろうと思いついた。「教養」って謳うのはちょっと違うし、じいちゃんばあちゃんが集うカルチャーセンターとも違う。20代30代向けの学校。学ぶこと自体を楽しむ学校。(すでに「現代アート」「笑いの構造」について学びたいという返信もあった! もうおもしろそう!)まずは、小さく開いてみようかな。具体的に動きそうならツイッターでお知らせしますので、よろしくお願いします。

「キャリア」とか「お金になるか」とかそういうものはいったん脇に置いておいて、知的好奇心に素直になってみるのはどうだろう。シラバスをめくったときのあの興奮と感動を、もう一度!

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